情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2021年12月17日

いつ買ったか忘れてしまった、ずっとちびちびと飲んでいたリモンチェッロを飲み干した。今晩は恋人が友人らと雀荘で夜を明かすため、ひとりの金夜で、寂しいと思わないよう、ご機嫌に過ごせるように映画を観ながらお酒を飲んでいたのだった。選んだのは大学生の頃に観た際、衝撃を受けたフランス映画。最近になって中古ショップにDVDが売られていたのを偶然見つけて購入しておいた。イザベル・アジャーニまじかわいい。映画を観つつ、だんだんと酔いが回り始めたら、想定していたよりも気分が高揚したため、ツイキャスを始めてみたものの、当然ツイッターが無いので誰も来ず、持っている他のSNSアカウントで酔っ払い投稿をしようとしたけれど理性がそれを抑え(だって痛いもんね!!)、とりあえずオモチャを使ってオナニーをして気分を一度冷静にし(女性の体のことをちゃんと考えられたデザインでまじで天才的発明だと思う)、湯船に浸かって何かを考えて、ようやくこのブログ記事執筆に辿り着いた。長い道のり、長い文章、悪文です。これも酔っ払いのなせる業。

 

昨晩は、出張で東京に来ていたお友だちとご飯を食べて、うちにお泊りしてくれました。お友だちとは恋人と共々仲良くして頂いており、何度も会っているのですが、昨晩がこれまでで一番仲良くなれたような気がします。SNSを通じてどんな人か、どんな過去があったとか、勝手に知った気になることは出来るけれど、実際に顔を合わせて、人間の声で聞かないと汲み取れない感情とか、そういう表現の難しい、曖昧なもの、人間的なものがあると思いますが、それをお互いに感じて、見ることができた良い会だったと思う。遊んでくれてありがとう。(このブログを読んでいるかは定かではないが)

 

私と恋人の関係性がちょっとおもしろいので、嬉々としていろんな人に話して、喜んでもらうことがしばしばありますが、改めて話してみて思ったことは、私が恋愛やセックスに注ぐ感情は、平均値からすればずっと重く、また視点を変えれば軽やかであるということでした。平均値の近くの倫理観や規律で恋愛やセックスをする人々をどうしても、もっと自由でいいのにと背中を押してしまいたくなります。その先の快楽や、愛を掴みに行ってほしい。死ぬほど苦しんで、涙が枯れるほど憎しみ、それでいて後悔を抱かずにあなたの道を突っ走ってほしい。しかし、明らかに私が異質分子なので口を噤みます。まあ、こんな人間たちもいるよ、っていうのは、”普通”の中で生きている人の中で肩の力を抜ける場所になり得ると思うから、発信してみました。

こう書いて、最近感じたことのだいたいのことが「私が異分子だから」で済んでしまうことに気付いてしまいました。まあ、それは何も言ってないのと同じだけど。みんなの悩みを聞いて、強者の側で立って「こっちにおいでよ」と言うのは全然優しくもないし相談にも乗れていない、不親切ですよね。でも本当にそうとしか言いようがない、自分の規律を徹底的にぶち壊して、”やり切って”、こっち側に来るしかない、どんなことでも。私は恋愛やセックスはこっち側にいますけれど、それ以外のことはずっとダメです。全部をやり切ることが出来たらかっこいいよね。

結婚したことで、「これで恋愛(恋愛市場?)から解放された、恋愛しなくてよくなった」ということに安堵する人がいるようです。私は全く逆の発想で、結婚しないことでずっと恋愛市場に乗っていたいのだけど、なぜかゲームで言えば全クリに到達しているように思います。これからやろうとしている(できたらいいなと思っている)のは、1周目の記憶を保持したままのゲームの2周目の世界で、2周目の世界に何が起きるのか、楽しみでもありながら、たいていの人は1周目で挙がるか、1周目の途中で経験値不足過ぎて相手に出来ない(実力差があるのはお互いの不幸に繋がる笑)ので、結局なにも起きないんだろうとひしひし感じます。2周目をエンジョイできたら、絶対楽しいのだけれど、先を知っているゲームをやって楽しめても1周目のような感動は味わえないので、2周目ならではの遊び方を知られたらいいような気もします。これは変態プレイをやみくもにやれという話ではありません。そして、私はブログの中で何度も同じような話題を話しています。酔っ払いはサビを繰返すためです。

 

思いついたことを全部書いていたら、思いのほか長くなってしまっている。すいません、まだ本題が始まってません、以下からが当初書きたかったことです(おいおい)

 

お友だちの恋愛観についてちょっとだけ聞かせてもらって、ふんふんと理解できると思いながら聞きました。私がこうかな?と想像しただけで、ちゃんと理解できている自信はないけれど、お友だちが望むのは、人間が多くの経験と気付きを得て、複雑な行動選択をするところを見ることだと思いました。生身の人間にてそんな話を聞けたらとってもラッキーで楽しい。でも、面白い話は簡単には転がっていない。私はそれらを人からではなく、映画や小説で摂取していたと思い出し、今朝起きて久し振りに『ベティ・ブルー』を再生しました。ああ、本当に大好きだ、今日は流し見だったけれど、素敵な映画。ベティみたいな日常生活に天使のように突然現れて、台風のように喜びと悲しみを与える存在がいたら、そんな素敵なことはないですよ。きっと知り合いでベティみたいな女性と知り合ってしまったと相談を受けたら、彼女を避けないでその波に乗りなさい、と絶対言っちゃうものね。その波に降りたら二度と見られない景色があるもの。でも、現実にはないのよ、前述のとおり。だから、映画を観るの、小説を読むの、そしていつか来た日に備えておくのだ。大きな波が訪れたときにちゃんと乗れるように。(乗るしかないこのビックウェーブにの画像)

※別に、みんなが波に乗る必要はなくて、世界にはこんなこともあるんだへーでも十分かと思います。

※※丁寧な注釈はただの保身の現れ

現実にはないって言いながらも、ごく稀に起こる。うっかり踏み間違えた先に発生しやすい。大丈夫、その道は茨でも進む価値がある。あなたが望むのならば。あなたは望んでいますか?

 

そんなわけで急ですが、宿命的な恋愛に身を燃やして生きた女性の映画を紹介しますね。私の個人的な選択なので、かなり好き嫌いは分かれると思います。

 

『ベティ・ブルー』ジャン=ジャック・ベネックス

ピアノ・レッスンジェーン・カンピオン

カミーユ・クローデルブリュノ・ニュイッテン

『紙の月』吉田 大八

 

・(中黒)が多いね!? ていうか、これくらいしかすぐに思いつかなくて悲しい……。たぶん、忘れちゃっているような気がする。女性に絞らなければ、もっとあるが、今日のところはこれで良しとする。このラインナップが好きな人向けのおすすめがあればぜひ教えてください。大学生の頃は園子温恋の罪』が好きだったので、ここに含んで良いかなと思ったけど、最近観てなくてあらすじが語れないので控えました、また見よ。

 

別に浮気を推奨しているわけじゃないが、宿命的な、みたいなものを描くと禁断の愛とされている浮気とかになってしまうようだなあ。一般的な結婚はつまらないものみたいに見えるラインナップになってしまって、よくないね。私の知見が少ないがためにこうなっているだけで、偏りが強いと思います。

超個人的な趣味の話。最近は本当に女性の権利や社会的立場などが映画を通して主張される機会が増えてきた。いわゆるフェミニズム映画。これは私としても喜ばしく、弱者の立場として被害を受けてきた女性たちの悲しみと切実な願いが丁寧に丁寧に描かれるから、映画としてのクオリティーも良くなって、私の悲しみは他の人も抱えていて、そして改善されるべきだと思う人がいると安心できる、昇華できる、と当時に単純に作りの良い映画を観られてうれしいなという気持ちになれる。しかし、一方で不安に感じているのが、宿命的な恋愛みたいな、そうせざるを得なかった、みたいな性衝動を描くことが難しいんじゃないかという気もする。私は物語のキャラクター(いや、本当は生きている人間にも思っているけど)に望んでいることは、すべての地位、常識、大事なものを破壊してでも、得たかったものを得ようとする人、藻掻く人、やり切った人を見たい。それは全く綺麗じゃない、どんなときも死の悲しみが付きまとって、でも、それが観たい。わがままで、人を尊重していない態度に当たるのかな。不謹慎なのかな、私が時代に合わない人なんだろうか。そんなことを思います。

 

思いついたことを次々書いたら、ロング記事になっちゃった!しかも最後の方は読み直してないから、たぶん読みづらかったと思う!笑。

最後まで読んでくれたあなた、愛してるぜ…(軽いなあ)

 

おやすみなさい。