情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2021年1月3日 その2

レディ・バード』について、もっと早く出会いたかったと書きましたが、さっきまで読んでいた『誘惑者』についても同じことを思いました。あとは、以前にもブログに書いたけど、『はてしない物語』や『E.T.』は幼い頃に出会いたかった。全部、大人になってからになってしまった。

そう、だから、私はいつも後手、後手なのです。いつも何をするときも「もっと早くやればよかった」と思うのです。なんというか、今後もそうなんだと思います。私は何をするにものんびりで、それで遅れてしまいます。何周も遅れているように思います。(何と比較をしているの)あの人が私にくれた愛が、今になって身に染みるのです。

 

自分の子どもを、子どもの意思に関係なく無理に有名私立中学に入れようと四苦八苦する親がいますが、彼女たちの気持ちがなんとなくわかります。多分、私が子どもを生したら、彼女たちと同じように無理やり映画や本を読ませるだろうと思います。私が出来なかったことを、子どもへ成就させようとして。それが間違っているかどうか、当人には分からないのだろうと思います。

 

それはそうと、昨日、逃げ恥の続編がテレビで放映されていたらしいです。私は本編のドラマが大好きでしたから、続編も何かの機会に観たいと思います。今は家にテレビがないので観られません。

なので、お話自体は分からないのですが、主人公みくりのおばであるゆりちゃんの台詞がツイッターで流れてきました。「私の子宮は使わないままなくなっちゃったけど」どうやら、ゆりちゃんは子宮の病気になってしまったようでした。

私はこのままいけば、子宮を使わずに人生を終えます。子どもが欲しいとは少しも思わないけれど、子宮を使わずに終わることについて、時々思い悩む日がないと言ったら嘘になります。本当は子どもを産みたい?私が?まさか。でも、なんでこんな気持ちがへこむんですかね。涙が出ます。こういうとき、動物の本能を感じます。あまり、こういうのは言いたくないけど。

 

それ以外にも、今の生活を一生望んでいるはずなのに、この生活を続けることによって得られないものへ、ひどく渇望している自分に気付くことがあります。子どももそうだし、幸せな家族とか、そういうたぐいのもの。大きな家に、子どもたちが走り回り、年老いた彼がにこにこ困った顔をしている。私の薬指にはダイヤの指輪がはめられている。彼は子どもが好きだから、子どもも素直にすくすくと育つと思います。

それらの望みが時々、言葉の隅っこに隠し切れずに零れてしまう。それが本当に卑しくて恥ずかしい。本当に恥ずかしい。消えてしまいたい。

 

これも若さのせいでしょうか、早く年を取りたいと思います。子どもにしてあげたいことを、自分にしてあげればいい。子どもと自分の区別がつかない限り、私は私を子ども扱いするしかないのでした。