情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2021年5月25日

恋人に迷惑をかけ続けている。

今週から2週間ほど忙しい。出社をして仕事をしている。ある案件に作業員が1名必要で、アサインされたら出張で北海道に1週間ほど行けるためマンネリした日々の刺激に、と名乗り出たは良いものの、毎日会社に行って機器に設定を入れての繰り返しで、肉体労働に等しい。家に着くころには疲労困憊で、ベッドで横たわって唸ってしまう。寝て起きたら、また会社かと思うと空しく、素直に休息もできない。自分の時間を持たなければとなんとか這い上がって頭痛薬を飲み、パソコンを開いた。

この間、恋人は私の代わりにお皿を洗い、シーシャを作り、私のぐずぐずしたわがままに付き合ってくれた。自分をコントロールできないときは、もうどうしようもなく迷惑をかけてしまう。落ち着いてから、恋人の時間を奪ってしまったと自己嫌悪して悲しくなってしまう。恋人が恋人らしくあるためには私はいない方がいい、と交際するときから思っていて、せめて彼の人生の隅っこでおとなしくしていたいと思うのに、うまくいかない。シーシャ美味しい。作ってくれてありがとう。

 

コロナ禍の前は自分でお弁当を作って昼食代を節約していたが、リモートワークがメインになってからはお弁当を作らなくなった。節約のためにコンビニでお昼を買いたいけれど、休憩スペースがたまに”密”になっていて怖いので、今は会社近くの喫茶店に行っている。本当はお気に入りのカフェが他にあるが、緊急事態宣言のために休業中で、世知辛い。でも、最近通っている喫茶店も悪くない。昔ながらの落ち着いたお店で、コーヒーカップがおしゃれ。老夫婦で営んでいるらしい。昨日は夫婦がおしゃべりに夢中で、お客さんのオーダーを聞きそびれていた。これくらいの方が落ち着く。私はお財布と文庫本を持っていき、サンドウィッチを食べてから本を読んで過ごす。卵サンドの卵の味付けが絶妙で、一口食べてすぐに気に入った。読んでいる本は、前回のブログで書いた古書店で買ったものだ。とても面白いので、読み終わったら紹介したい。ちょっとずつちょっとずつ読んでいる。
小説や映画の、物語の世界にどっぷり浸って漂いたい。けど、平日はこんな調子だからきっと無理だろう。

 

作業の都合上、広いスペースで一人仕事をしているから助かっている。両隣、手が届く範囲に人がいるところに座ったら、気持ちが不安になってパニックになりかけた。うちの会社ではITとはいえ、どうしても出社しないと出来ない仕事が多々あり、若干オフィスに人が多いように思う。みんな怖くないのだろうか。

 

☆☆☆

「明日はスーパームーンなんだってね」と、テレビを観ている夫が言った。

「そうなんだ、早く家に帰ってみないとね」

蛇口から流れる水がお皿を滑り、汚れを落とす。今日のごはんは卵丼だった。半端に残った調味料を全部使い切りたくて、味が濃くなってしまったが、夫は美味しいと言って食べてくれた。洗剤のオレンジの香りが、小学校の頃に置かれていた石鹸の匂いによく似ている。

「昔、皆既月食という現象を知らない頃、小学生の頃に皆既月食を見たことある。

週末、学校の校庭でサッカーの練習試合をして、片付けをしているときだった。校庭にある、こんもりとした丘の上に大きな赤い月が、突然現れた。そう、突然だった。普段月が出てることにさえ気づかないような子どもだったから、突然に思えた。目に映った月が赤くて、思わずグラウンドの土の整備の手を止めてしまった。食い入るように見ているのは私だけでなくて、他の子どもたちや手伝いに来ていた親たちも、その場に立ち尽くして月を眺めていた。誰もが、話すこともなく、燃える月を見ていた。今まで見た中で最も大きい月だった。このまま地球に接近してきて、私たちの世界を燃やし尽くしてしまうのかと思った。何か、世界の終焉に触れたような、寂しさを感じた。
全部、美化された思い出かもしれない。本当は月を発見したのは私だけだったかもしれないし、みんなは大はしゃぎしていたのかもしれない。でも、それくらい時が止まるような神秘的な経験だった。絵画のような風景だった。いつまでも忘れられない。」

夫はどこか遠くを見つめて、思い出を語った。この話を聞くのは何度目だろう。

スーパームーンだから、きっと、それよりも大きい赤い月が見られるのだろうね」

いつもみんなの輪から一歩引いたところに居て、冷静沈着な彼であるが、今日は言葉尻に興奮が読み取れた。私はなんだか嬉しくなって、お皿を洗い終わると彼の頬を撫でてキスをした。

☆☆☆

桜が吹雪いている中に彼は消えた。3年の片思いも、終わりはあっけない。
例えば、昨日までは彼のSNSを彼に語り掛けるように楽しむことができた。
でも、今日からは?
今日からは、もう、語る声を持たない。彼の「ごめんなさい」しか聞こえてこない。

 

足元の桜の花びらを踏みつぶしてやる。
潰れて滲んで、土に混じって汚れた桜。これが私。

☆☆☆