情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2021年1月3日

あけましておめでとうございます。2021年を迎えたことがにわかに信じがたく、私が時間の外に出ていこうとしているのを感じます。毎年、この時期は何か特別なことが起こりそうで期待と不安で体がじっとしていられないものですが、今年は日常の延長でしかなく、数ある休暇のうちのひとつのようです。朝目が覚めると晴天が気持ちよく、太陽を浴びたくてたくさん散歩をしています。

 

本を読みながら、出会った男性たちのことを思い出しました。ひとりは、大事な人。今でも大事できっとまた会えると信じています。もうひとりは、最近出会った人。彼は私を同僚以上の人にしたくないようで、寂しい。私はもっと友人として親しくなりたいと思っていますが、彼がはっきりと線引きをしています。君をこれ以上、知りたくないと。それでもたまに遊びに誘ってくれます。私は彼のことが好きです。また、ひとりは、ずっと大事に思っていたのに忘れてしまっていた人。彼のことを忘れてしまっていた自分に驚きです。月日が流れていきます。また、久しぶりに連絡をくれた人。彼のことはこれ以上、仲良くなろうとも思っていませんが、どこかで彼の幸せを掴んでくれていれば嬉しいと思います。彼も変な人だから。また、ずっと隣にいる人のことを思います。毎日、彼のことが好きで、でも時折好きの気持ちが空回りしてしまう。独りよがりなんですね。いつも一緒に居すぎていて、好きが日常になってしまって、毎日が奇跡だということを見失いがちです。

 

長めの休暇に入る前は、仕事のための勉強を進めようと気合を入れて技術書なんかを引っ張り出してみるのですが、結局読むのは好きな小説ばかりで私が仕事に対して関心を抱いていないことが良く分かります。でも、平日が始まるとすぐに仕事に夢中になっている振りをしてしまいます。バカみたいです。仕事を辞めたいと思っています、でもどうしたらいいのか分からない。私にふさわしい仕事がどこかにあるのでしょうか。白馬の王子様を待ち続ける女性たちを小馬鹿にしてきましたが、今の私はまさにそれです。この世のどこかに私にとって最も良い仕事があり、それが私の目の前に立ち現れるのを待ち望んでいます。それでは、いつまでも現状が変わるはずなのにね。休暇のときの私が「本当」で、平日の私は空っぽのお人形みたいです。連続性がまるでありません。それがつらいのです。私がずっと私で居られたらいいのに。

 

レディ・バード』という映画をネトフリで観ました。高校三年生の”レディ・バード”が家庭や自分自身に悩む物語。彼女の本当の名前はクリスティンなのですが、”レディ・バード”と名乗ります。現実の自分を受け入れられない彼女の現れです。父親は失業し、母親はレディ・バードの意見を口うるさく批判します。彼女はサクラメントにある大きな綺麗な家に憧れを持ち、NYの大学に進学したいと望み、セックスを経験したいと思います。本来の自分ではない、理想の自分に近づくために藻掻きます。その彼女の健気な痛々しさと苦しみは、自分がティーンエイジャーだったときにも感じたことのある感情で、懐かしさと愛おしさを以って、映画を観ました。彼女と同世代のときにこの映画を観られたら良かったのにと思いました。若い私はきっと、エンディングに不満を持つでしょうが、先に知っておくべきでした。自分は自分にしかなれないということを。自分の愛するものは、自分を失わないと気付かないものなのでしょうね。

 

彼と一緒に夜、日記を書く時間を作りました。私は日記帳をアメリカのティーンエイジャーみたいに、ベッドの下に隠しています。それだけでなんだかわくわくします。

 

昨日、銭湯へ行きました。そこで初めて熱いお風呂と水風呂を往復する入浴法をやってみました。興味はあったものの、水風呂はいつも怖くて入れなかった。昨日はお風呂がすごく気持ちよくてもっと長く入っていたく、そのためには水風呂に入ることが必須だったのでした。また、私と同じくらいか、もっと若い女性が熱湯風呂と水風呂を何度も往復する姿を見て、私にもできるはずだと勇気が湧いたのです。まず、44度の熱いお風呂にじっと入り、ぼんやりと心地良さから苦しみに変わる一歩手前まで体を温めて、水風呂へ入ります。膝下まで浸かり、大丈夫だと決心し肩まで入浴。想像していたよりも水風呂は冷たくなかったです。最初だけ我慢すれば、案外慣れる。とはいえ、長く入るものでもないので、30秒心の中でカウントして、上り、41度のお風呂に移りました。すごく気持ちよかったです。でも、やっぱり心臓に悪いような?これって本当に健康に良いのかしらと疑問に思いました。すごく気持ちよいのですけども。(しかし、お酒もセックスも体に悪いから気持ちよいのであるからして、万が一この入浴方法が寿命を縮めるのであっても、それであれば尚更、私にとっては好ましい気がします)

 

それでは、皆さま本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

2020月12年12日

今日は低気圧の影響で日中、ほとんど横になっていました。でも、午前中、みたかった映画を観に行けたので良かったです。噂通りの傑作で、みた後に元気がいっぱいになりました。楽しくて観てる間ずっと笑っちゃった。今度ネトフリに配信されるらしいので、今度はおうちで恋人と一緒に観たいです。ああいう映画が世の中に出たということがこの上なく喜ばしい。この世も捨てたもんじゃないと思います。

 

今日良かったことはお昼も夜もおいしいおかずを作れたことです。恋人が美味しいと喜んでくれたのでとてもよかったです。小学生みたいになってるね。あはは。

 

夜に今年の振り返りと来年の目標を書きだしました。今年はあまり良い年じゃなかったなって思っていたけれど、こうやって書き出すと良いこともそれなりにありました。今、ポジティブな気持ちで居られるからきっと良い年だったと思います。新型コロナウイルスの大流行の影響は私にもやってきて、それなりに生活に変化がありましたが、まあそれも慣れてきました。

良い年じゃなかったと感じる理由はブログを見たらわかるかと思いますが、せっかくなのでこの記事でも振り返ろうと思います。

まず、コロナ。すごく不安になって、怖かった。

次に引っ越し。引っ越し自体はすごく良かったけど、引っ越しという大きな目標が叶ってしまって燃え尽きて、仕事をやる理由が分からなくなった。結局、今も仕事との付き合い方は分からないでいる。

そして、最大の理由の仕事。上記にある通り、仕事をやるモチベーションが全然なくなっちゃった。技術力もないし、自信がないです。でも、仕事をしているからお金を気にすることなく同人誌作成に励めたり、好きな時に映画を観れる。オタク活動だって出来ている。だからお金はこれからも稼いでいかないといけないね。頭ではわかっているけど、毎日の仕事が常にダレてて、それが嫌だな。どうにか2021年は乗り越えたいです。2020年、仕事面で言ったら本当に全然ダメだったなあ。

 

2021年の目標は大きく二つあります。ひとつめは身体のメンテナンスです。恥ずかしいことに、太ってしまったので痩せたいです。もう若くないので精神の健康だけでなく、肉体の健康も意識してケアしていきたいと思います。

ふたつめは一人で過ごすことです。同棲したから恋人と過ごす時間が増え、依存してしまいました。一人の時間を大切にしたいです。

 

そんな感じです。ちょっと早い振り返りでした。

2020年12月11日 その2

nemuyoshi.hatenablog.com

 

移行したよ~ってこっちで書いたか忘れちゃったから、書いておくね。

読者登録してくれると泣いて喜ぶよ!

 

大森さんの新しいアルバムを聞いてね、すごく良くてだいすきだなあって思ったの。

でも、同時に、もう私のことを歌ってくれる人いないんだなあって思った。これまでの私は幸福な勘違いをして曲を聞いていた。大森さんは別に私のための曲を書いてるわけじゃないからね。それで、最近はあまり大森さんの曲を聞かなくなって、私から離れていって、改めて新譜を聞いたらやっぱり私の歌じゃないと思った。でも、その上で良いアルバムだなあって感じられたの、その方がずっと良いと思わない?よかったなあって思ったよ。酔っ払ってて文がまとまってなくてごめんね。

私は結婚しないし、自分の力で生きていかないといけないし、子どもも生まないし、そういうの、覚悟決まってるつもりでもどこかで無理して強がって、女がやるようなことやらないんだよなあって、友だちと同じような人生にはならないんだなあってどこかすごく怖くて寂しくて、こんなに働くのが下手なのに家庭を守るような男たちに混じって働けるの?私が?って不安ばっかりがあって、誰か私と同じような人がいればいいのにってずっと心のどこかで探してて、私の歌をうたってほしいって思ってた。寂しくて、寂しくて、私ひとりで生きて、自分で行く方向を決めないといけなくて、似たような境遇の人がいなくて、本当はやっていける自信なんて全然なくて、調子が良い時は私って最強だなって思えるけど、毎日が絶好調なんて無理で、ひとりにしないでって思ってる、そういう自分の気持ちを今日、大森さんの曲を聞いて気付くことができた、私、やたら結婚とか出産とか気にしているのは、怖かったんだって、それらに対する憧れなんてちょっともないのに、寂しくなっちゃってたんだって、知れた。大森さんのアルバムの最後の曲がKEKKONってタイトルで、サビで高らかにKEKKONしようと歌うのが、さびしかった。私の歌じゃなかった。KEKKONは「結婚」とは違う概念だと思うけど、それでも私の歌ではないことは確かで、さびしくて、でもありがとうって思う。大森さんがずっと大森さんとして活躍しているのが心から嬉しい。ずっと歌い続けてほしい。

 

私のことを歌ってる人がいなくて、こんなさびしい思いをするのなら、自分が私のことを歌ってあげるしかない

 

すごく大事なことに気付けてうれしかった

 

 

2020年12月11日

仕事ちゅうに何かブログを更新しようと思っていたのに、書きたかった内容を忘れてブログを開いています。なぜかくさくさした気持ちになっていて悲しいです。仕事嫌~~~仕事嫌~~~って言ってたけど仕事してなかったです。すいません。仕事が嫌なんじゃなくて、仕事できない自分が嫌なんです。まじ無能すぎてつらくなってきた。ああああ。

後藤まりこYoutubeを観てたら、恋心がむくむく……めっちゃすき……。

 

こんなくだらないことはどうでもいいんです。

 

ねむよし原稿入稿して入金も完了しました!うれし~。発送するためのこまごまとしたものをそろえたら、本が届くのを待つのみですわよ。

 

だめだ なんも思いつきません 書くことがあったとおもうのだけどどこいっちゃったん

2020年12月6日

いや~、このブログも全然読まれなくなったなあ~。更新したよツイートとかしないから、当然だよねえ。

 

ねむよし、せっかくだからもっと活動していきたいなあ。noteから別の媒体にお引越しして、超真面目に活動するとしたら企画出して、調べて、記事にして……って仕事みたいになってくるけど、それをするだけの理由があるのだろうか……。やってみるかねえ……。

 

ねむよしを通して、私は何がやりたいんだっけ?と言うところに立ち返る必要がある。1.発表の場がほしい 2.短いお話/エッセイを書く練習をしたい 3.仲間がほしい 4.平和活動! ぴよぴよ

 

今さっき、呟いたことをコピペした(埋め込まない、なぜならいずれ消されるツイートだから…)

 

ねむよしの今後を悩んでいます。noteで続けるつもりがないのでお引越ししたいのですが、どこに行くべきか……。使い慣れたはてなブログに引っ越して、思い切ってProでドメイン取得してもいいかなあとか、WordPress的なところで完全にWebサイトを作ってしまってもいいかなあとか。でもサイトを作ること自体は決して目的ではなく、ねむよしを続けていくことが一番大事なわけで、外側をいろいろ悩んでも仕方ないわね。

 

上記で平和活動!とか偉そうなことを書きましたが、私も文章でごはん食べられるよ!って言えるくらい、仕事依頼が来ちゃうくらいの活躍を「ねむよし」で達成できたらいいなあという野心が含まれています……。何事も続けていくことが大事で、今の状況は「続けている」に含まれないから、来年こそはちゃんとやり直したいよね。やりたいことから目を逸らさない!良記事が書けるかどうかは、続けられるかどうかにかかっている……。

 

今、生理明けで一番調子が良い時期なの。それにお風呂ゆっくり使ってお野菜もたくさん食べたから元気いっぱいで、こういうときっていっぱいアイデアが浮かんであれもこれも全力でがんばるぞ!ってポジティブに思える。でも、月末、生理がちかづいてくると途端に何もできなくなっちゃう。この繰り返しで何も続かない。どうにかならないかなあ。習慣にするってことがすごく苦手なんだよなあ

 

記事を上手に書けるようになりたいなあ。考えるの面倒くさいし、はてブにお引越ししようかしらね。

 

2020年12月5日

12月になり、クリスマスやら年末やらで気分がずっとそわそわしています。嬉しいそわそわですね。あとちょっとで冬休みが来るぞって思うと頑張れます。楽しい日が待っている!

 

告知!

ねむよしが本になります。!

note.com

 

この後、参加してくださった方のお名前と表紙を発表し、発売ページも公開する予定です。着々と進んでいます~。皆さまのおかげです、ほんとに。私一人だったら絶対完成できなかった。ありがとう!(気が早い)

良ければご購入いただければ嬉しい。

 

そんなわけで、本づくりをせっせと進めるべきだったのですが、先週はすごくだめだめな週でした。本当に反省しかない。今も反省しています。どうしていいのか、全然分からないけどとりあえず反省してます。反省だけはしてます。反省(うるさい)

 

私が恋人にあまりにもべったり依存しすぎていて、恋人を困らせてしまいました。もう、本当に私のせいです。構って構って、愛して愛して、ばっかりで自分のことしか考えておらず、恋人の自由を奪ってしまいました。これでは本当にいけない。

あまり恋人に構っちゃだめだ、自分のことに集中しようと思って、昨日くらいから気持ちを切り替えて恋人と接しているつもりなのですが、意識すればするほどぎこちない態度になってしまい、あれ?私っていつもこんな感じだったっけ?演技っぽい?自然に恋人と話せてる?あれ?あれ?ってなってしまっている。どうしたらいいものか。

恋人が最近「本を読もう」「文章を書こう」「勉強をしよう」っていろいろ言ってくれたのは、私が恋人から離れるように仕向けてくれてたのかな。全然気づかなかった。合図を出してくれてたのに、結局だめにしてしまった。

もう恋人を傷つけてしまった後だけど、ちゃんとしたい。ちゃんとする。これからは、今度こそは恋人と適切な距離感で接したい。付き合いたい。私たちは継続的な関係を望んでいるのだから、お互いが過ごしやすいようにがんばる。これは自分のためでもある。恋人のことしか見えない状態は全く健全じゃないし、私のやりたいこともできないから、自分のために依存状態を和らげる。趣味や仕事、友人に目を向けて自分で自分の人生を見て、決めて、生きる。

どれほど私がだめだったか、記録として残しておく。

 

・自分の意見がない

・自分のことを全部恋人に決めてもらおうとする

・恋人を言い訳にして仕事を適当にする

・恋人の時間を奪ってまで、私に構ってもらおうとした

・恋人の気持ちをちょっとも考えられなかった

・自分が勝手にやったことを全部恋人のためにやったと思い込んだ挙句、褒めてもらおうとする、褒めてもらうまで満足できない

・私の勝手な不満を恋人にぶつける

・口癖「私は何も出来ない。恋人がいないと何もできることがない」

 

こども!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

前回の記事にも書いた気がするけど、幼児退行がひどくて恋人に甘え過ぎてて、ほんと……涙。

恋人は私がひとりで何でもできる大人だから一緒に暮らすことを決めてくれたのに、これじゃあだめだよ、だめすぎる。恋人を傷つけたくない。もし別居、考えたくないけど破局するようなことがあったら全部私のせいです。そうならないように今ちゃんとしないと。意識を変えていく。

 

ってさ~書いたものの、今のところ「反省」しかしてなくて具体的にどのように行動を変えていこうかとか、考え方を変えようかとか、依存を和らげる方法とか、何も分からなくて、専門の人に相談した方がいいのだろうか。詳しい人いたら教えてほしい。

今の恋人の限らず、これまでも交際相手に入れ込み過ぎるところがあり、今回の恋愛はうまく距離を取って付き合っていこうと決めてたのに、すぐ忘れちゃう。こんな大事なことなのに自分のだめなところ忘れてた。壁に貼り付けておこうかな。

 

「人に依存するな」

 

早く大人になりたいです……。2021年は初心を思い出し、恋人と適切な距離感でお付き合いしていくを目標にしたいと思います。それが出来れば、それ以外の私のやりたいことも自ずと叶うと思う。自分が恥ずかしい。付き合いが長くなってきて、甘え過ぎていた。がんばらなきゃ。

 

 

 

2020年11月18日

仕事を休んでしまった。上司には心配されるし、後輩には迷惑をかけている。私は今日会社に行きたくなかった。

仕事を休んだことも問題だが、何より自分で仕事を休むと決断できなかったことが今日の一番の問題だ。私は始業直前の恋人にLINEして、恋人に休むように促してもらわなければ休めなかった。そのときはそうするしかなかったけど、今は自分が情けなくて仕方がない。

思えば、鬱が極まっていたときも自分で決断できなかった。休みたいと思っているのに、誰かに「休みなさい」と言われないとだめだった。言われたかった。自分のことを自分で出来ない。

休養したい。3か月くらい。家にずっと引きこもっていたい。冬の朝の厳しい寒さを頬に感じながら、お散歩して、家に帰ったら暖かいコーヒーを飲んで、あとは好きな小説や画集を見て過ごす。私は何かおかしくなってしまったのだろうか。

少し前に、毎晩のように泣いて会社に行けなかった日があった。そのときは自分のことを病気だと思い込んでメンタルクリニックを探したりしたが、少ししたらけろりと元気になったのでそれ以降気にしていなかった。最近は仕事量も落ち着いて、残業もなく休日もゆっくり休めるようになったのに、それでも会社に行けない日が出てしまった。
実は、先週も調子が悪くて、家で幼児退行してしまった。赤ちゃんみたいに大声で泣いたり、ふて寝したりと、自分で自分の感情がコントロールできない状況になってしまう。どうしたらいいか分からない。困っている。女性ホルモンの乱れを抑制する漢方薬なんかを飲み始めて、少し症状が良くなっているとは思うものの、まだこれじゃだめだと感じる。穏やかに暮らしたいだけなのに。

会社を辞めれば全部良くなる、と思っているが本当にそうなのだろうか。私、また適応障害になったのか。どこに行っても適応障害を起こすんじゃないか。些細な事が心身の負担になりすぎる。ストレスに過敏で、疲れやすく、だめになってしまう。自分が嫌だ。それはそれとして、今の仕事はもう面白いと感じられない。

幼児退行するのは恋人の前だけで、それは恋人に甘え過ぎていることの証拠で、私は恋人が私の思い通りに動いてくれないと不満なんだなと今朝感じた。よくない傾向。

私は一人の時間がないとダメなタイプだが、その正しい理由を理解できていなかったようだ。私が一人になる必要があるのは、一緒にいる相手と自分の境界線が分からなくなっていくからだ。癒着してしまう。べっとりと。相手のために動くのが自分の第一優先事項になってしまう。それで、相手が私の思い通りに動かないと不満が出てくるなんて、ひどい態度だ。私とあなたは別の人間だということを知らないといけない。意識的に私と相手を引き剥がして、私は私であって、私には私の願望や生活や人生があることを思い出さなくてはいけない。

私自身の問題が解決されれば、私が調子が良いときは恋人との関係は常に良好で、ずっと継続していきたいものであるから、早く私の問題を解決したい。私が苦しい。私が私をコントロールできなくなること、恋人を悲しませていること。

毎日の務めを作って、花に水をやるように素朴に生きようと思ったり、して、それも実践してみているのだけど、うまくいっていない。私が何が不満なのだろうか。どうしてずっと居心地が悪い感覚が付きまとうのだろう。自分に納得できない。

明日が来なければいいと思う。うそ。明日になったら私は専業主婦か、働かずに暮らせるだけの貯金がある人か、年金暮らしのおばあちゃんになっていて、朝起きて家事をして勉強をしてぼんやり空想に耽る、そんな生活を送れるようになりますように。