情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2020年11月17日

ビールを飲んだせいでふらふらです。

この間、古本屋さんで買った本を読み始めていますが、図書館で予約した本が待ち遠しくて何度も連絡のメールが届いていないか受信トレイを観に行ってしまいます。

11月は節約すると決めて、できるだけ何もしないようにしていたのですけれど、気付けばいつもと同じくらいお金を使っている気がします。どうしてこうなってしまうのやら。日々の出費より、知らぬ間に引き落とされているお金を見直すのが先だと思います。

いろんなことが自分の目の前を通り過ぎて行きます。私は気が向いたときだけ、手を伸ばしては「いいなあ」と言っています。

 

2020年11月16日

人生初めて行った整骨院は店員さんが元気いっぱいで、溌溂とした説明にどっと疲れてしまったのだった。体からはすごい音が鳴り、何が何だか分からないまま施術は終わった。

 

ツイッターでホームレスを取材した記事が物議を醸していた。週末にホームレスの権利を描いた映画を観たこともあり、気になって話題の記事を読んだ。cakesクリエイターコンテスト優秀賞を受賞した作品なんだそうだ。

 

……ひどい。想像よりもひどかった。ホームレスを悲劇的に描くか、三流ゴシップのような卑しい描き方をするかのどちらかだろうと思って読んだのだけど、全然違った。想像を裏切る酷さ。ホームレスの暮らしを間近に見て、この感想を書いていいのは小学生までだと思います。無邪気が過ぎる。かつて西欧の人たちが”未開の土地”の民族のもとへ訪れて“動物を観察するように面白がって”記録を取って広めていた、この反省を文化人類学はすでに歩んだはずで、ちょっとお勉強していればあんな記事は出せないと思うのよ。いや、そういう知識がなくてもなんか、気付けないものかな。自分の視点がどれほど残酷なものかとか、あー、これをちゃんと批判するには体力と時間がなくてごめんなさい。とにかくひどい文章でした。こんなに嫌な思いすることってあんまりないよ。

人がどのような感想を持って、文章を書くかは自由ですから著者のことは100歩譲って多めに見れないこともない(だいぶ苦しい)けれど、cakesはちょっと、これをクリエイターコンテスト優秀賞に選んだという一点で、完全に信用を無くした。メディアを扱う人の感覚として信じられない。cakesは個人的理由であまり好んでいなかったけど、今回のことで決定打になった。

 

私の家にはテレビがない。テレビが嫌いだから。情報が受動的に延々摂取させられる感じが気持ち悪くて苦手だった。でも、最近はツイッターも同じことになってきて、自分にうんざりしてしまう。今回のホームレスの件も話題になってるから、見てしまったに過ぎないし、その前はマルちゃん正麺、その前はタイツ、ずっとツイッターで炎上している話題を追っかけてしまう。もうやめたいナ。ちゃんと自分の選んだ情報だけを見て生きたい。

 

恋人が私の影響か、TWICEを聞くようになった。かわいい。

先日、恋人のお友だちが家に遊びに来た。その際に誰かが「家、きれいですね」みたいなことを言った。すると恋人は次のようなことを言った。

「だんごちゃんが掃除してくれたんだよ」

私はびっくりしてしまった。確かに掃除はしたが、ちょっと掃除機をかけただけだ。普段はあまり掃除をしない。恋人の方がずっと家の掃除をしている。それなのに、さらっとパートナーの株を上げることが言える、私の恋人ってちょっと凄くないですか?と脳内で私大興奮。おそらく私の恋人のことだから、全く裏の意味もなくただ事実を述べただけなのだろうけど、その辺の男だったらまずできないと思いました。凄い。こういう嫌味なく自然に相手を褒める言葉が言えるのが、彼のモテる所以です。絶対そう。恋人は恋人が思っている以上に、みんなに好かれていると思います。

 

 

2020年11月12日

フリートがツイッターにやってきた。

賛否両論あるこのフリート、皆さんはもうお試ししてみましたか?私は一度、フリートをしてみたのですがなぜかその後はTLから消えてしまい、再度投稿することができないでいます。アップデートしたばかりでサービスが不安定なのでしょうか…。

フリートはInstagramのストーリーにかなり類似した新機能。短い動画が24時間限定で投稿できるサービスです。私はInstagramをやっており、このストーリーをかなり気に入って使用していたので、ツイッターにも同様のサービスが実装されて嬉しかったです。

最近、ツイートするにも緊張します。余計なこと呟くと後で後悔するし、リアルに近いことを書くと身バレするし、でも鍵はつけたくない。そんなこと考えてるともう呟くことなくなっちゃって、もうそろそろツイッターも卒業だなあ(※何度も言ってる)と思っていたところでした。

フリートならすぐ消え、検索機能から内容を探れないのでリアルの人間関係にバレずにリアルの内容を投稿できるなと目論んでいます。ネットの人に身バレして背後から刺されたりするリスクは依然としてあるので気を付けます。

 

今週はエッチな妄想ばかりしています。妊娠しやすい時期は性欲が旺盛になりがちです。動物です。会議中、ちんちんのこと考えてたら一瞬で終わりました。でも、セックスが本当にしたいのかわかりません。くっついてさえいれば満足な気がします。

 

 

 

2020年11月9日

 突然ですが、ポリアモリーの話をしたいと思う。ポリアモリーとは「関与する全てのパートナーの同意を得て、複数のパートナーとの間で親密な関係を持つことまたは持ちたいと願うことを指す」とwikipedia*が言っています。反対の言葉はモノガミー、意味は一夫一妻制。分かったかな? 

 私はかつてポリアモリーの人とお付き合いしていまして、お相手の方には交際関係・性的な関係の人が複数いらっしゃったんですね。私はそれを受け入れておりましたが、その経験からかポリアモリーの話題には関心があります。

 そもそも私は一対一の閉じた関係性を好んでおり、憧れがあります。死ぬまで添い遂げる愛し合い方が理想です。

  ですが、現実的な問題として一夫一妻制は困難な制度だと思います。無理難題です。死ぬまで添い遂げる関係に強い憧れがある私でさえ、これまで何人もの人と交際をし、破局しています。そのために私は「一生、1人の人を愛し続ける」自信がありません。誓う資格もありません。今どれほど相手のことが好きでも、来週にはもっと好きな相手ができるかもしれない。どれほど相手を大事に思う意志が強くても、いとも簡単に挫けてしまうことはあり得ると思います。それを意志薄弱だ、裏切り者だと言うのはあまりにも厳しすぎます。人間は一貫しない生き物です。

 まあそういう感じでポリアモリー/モノガミーの話題は私には自分自身の問題であるわけです。

 で、今日お風呂に入っててふと思ったんですよ。よく言うじゃないですか、「浮気をするなら見えないところでやって。他の人に本気になったら別れる」みたいな。「ワンナイトは許すけど、2回目はだめ」みたいな。その考え方って私からすると全然納得できないんですよね、私が嘘つけない人間だからだとは思うのですけれど。
 そうすることで自分の身を守る気持ちはわかります。大事な防御です。見え過ぎると傷つきますからね。ポリアモリーの人とのお付き合いはとても傷つくことが多かったです。(これは特定の人との交際経験から生まれた感想であり、ポリアモリーの生き方すべてを否定する意図はありません。)
 私はなんで「浮気をするなら見えないところでやって。他の人に本気になったら別れる」みたいな考え方に納得できないんだろうということをお風呂でちゃぷちゃぷしながら考えました。
 私がなんとなく嫌だなと思うのは、この考え方だと交際相手が向き合っている第三者を蔑ろにしている感じがして、うーん?となる。
「”本命”が第一優先されるべきで、一等愛されるべき」だから、「”本命”じゃない相手とは”遊び”でいて」って、考えるのは当然の帰結と思います。
 でも、なんか、嫌じゃない?それって本当に誠意?とか、言葉を選ぶのが難しいのですけど、私はモヤモヤしてしまうのです。

 私からすれば遊び相手が複数人いるパートナーよりも大事な人が複数人いるパートナーの方が魅力的に思えます。だって、ワンナイトだけ許すって、それって「おなかすいたけど時間ないから手頃なマックにでも行くか」ってノリで第三者と遊んでるんですよ。いつか”本命”に対しても「今日時間ないしマックでいいか」のノリで付き合ってきません?私、マックになりたくない!!

 マックになりたくない!!は、ちょっと冗談入ってますが、とにかくどんな場面、どんな関係性であれ相手を大事にしない人はあまり好きではないなあと思ってしまうわけです。相手を大事にした結果、ワンナイトとか遊びの関係になるのは良いと思うけど、「嫁にワンナイトは許されてるからw」「バレなければ浮気に入らない」って言って第三者と関係を持つのは違うでしょうとなります、なります、説明が鬼下手でごめん……。

 あと、あれだ。私、人に言えない関係が好みじゃないのかも。相手の全部を知りたいし、私に黙ってる部分があるっていうことに耐えられないのかもしれない。

 まあ、考え方の違いと言ってしまえばそれまでです。ワンナイトのみ許されているから、ワンナイトだけするという誠意の表し方はあると思います。それで”本命”を守れて、自分自身を守れているなら、お互いが傷つかず良好な関係を築けるのなら問題ないです。私が口出しする話ではありません。
 ただ、私だったら、私を大事にするように、相手にも大事にしてあげてほしいと思う。それが誠意だと思います。人の体や心に触れることを軽く思ってほしくないのかもしれません。中途半端な気持ちで浮気をするな、本気でやれということですね。それで私が泣こうが喚こうが、関係ないです。私が勝手に反応しているだけです。私とあなたは別の人生を歩む人なのですから、第三者との関係をちゃんとやってほしいです。

 以上です!考えたことを文章にしてすっきりしました。読んでくれてありがとう。かなり個人的な話ですので、一般化はしないでくださいね。皆さんはどのように考えるのか教えてくれたらうれしいです。違う考えを知るのも大好きです。

 余計な妄想した人へ。直近で恋人に浮気されたわけではありません。急に私の頭に浮かんだことを書いただけです。

 

 おしまい。

2020年11月8日

11月となった。昼夜の温度差が厳しく、冬用のアウターや下着を引っ張り出して着こみんでは暑い暑いと汗をかく。日曜の午前中、家の前には必ず誰かの家の犬が繋がれている。私も恋人もよく眠る。

 

昨日、恋人と古書店へ行き、矢内原伊作の本4『人生の手帖』を購入した。私は小説を除いた芸術家の中で一番ジャコメッティが好きだ。矢内原の著作はジャコメッティのモデルを務め、深い交友を築いたため、いずれ読みたいと思っていた。

『人生の手帖』は「人生の手帖」「回想」「追憶」の3部構成となり、ちょうど「人生の手帖」を読み終えたため、記録のためにブログに記す。

 

「孤独について」から始まる9つの章からこの本は始まる。これは「若い女性への手紙」と題して1951年に雑誌『新女苑』に連載された文章が収録されているそうだ。この「若い女性」という対象に25歳の自分を含めてよいか分からないが、少なくとも私は自分への手紙として読んだ。それは彼が魂を込めて書いたためであろう。

 

読書の最良の方法は、書物を手紙として読むということ、直接自分に宛てて書き送られた手紙として読むということである。手紙として読むことができないのは、書かれたものに魂がないか、読む方に魂がないか、どちらかだろう。

*『人生の手帖』「孤独について」p.3

 

若い女性」を対象に向けられた9つの章の言葉は常に優しく暖かい。言葉の節々に深い教養とキリスト教的な愛が溢れ、現実に塞ぎこみ鬱屈していた私を解きほぐし、今より若かったころの瑞々しい感覚を思い起こさせた。

 

自己に忠実であるということは、小さな自己にこだわらず、むしろ現実の醜い自己を乗り越えて、高い人間性に自分を結びつけてゆくことにほかなりません。(中略)自己とはむしろ未来であること、未来に向って刻々に築かれつつあるもの、築くべきものであること、真の自己は私たちが意識しているよりもいつも一まわり大きいのだということを忘れないでください。

 *『人生の手帖』「自己について」p.46,47

 

しかしここではその後に続く、「軍隊ー軍隊の思想ー」の章を紹介したいと思う。

本章は評論集『抵抗の精神』に収められたものらしい。戦時中におけるフランスの《抵抗》と日本の抵抗について記載されたもので、「軍隊ー軍隊の思想ー」は特に日本の戦後に依然として蔓延する「軍隊の思想」について警鐘を鳴らす。

やや長いが、以下に引用したい。

 

もしもわれわれが、あたかも軍人が命令を受け取るように民主主義を受ける取る(原文ママ)としたならばそしてかつての軍人が軍国主義を観念的支柱にしたように民主主義を排他的なスローガンとして掲げるならば、わが国は再び帝国軍隊の過誤と悲劇を繰返すことになるだろう。にもかかわらず、すべてを命令として受け取って諦めてそれに身をまかせる習慣は根強いし、その上、今日の複雑な国際政治情勢と日々の生活の逼迫は、自由に物事を考え、自己の理性的判断にもとづいて行動する力をますますわれわれから奪ってゆくのだ。個人と社会、生活と思想とのつながりはますます失われてゆく。われわれは自己に存在理由を見出すことができず、どうにもならない社会の動きのなかをただ《もの》のように流されながら、一方では外出時の兵隊のように何かに追われるようにして少しでも多くの享楽を追い求めつつ、他方不安のあまり平和とか民主主義とか自衛とかと口走ることによって、本当にわれわれのなかから出たのではない観念に救いを求めようとするのだ。

 *『人生の手帖』「軍隊ー軍隊の思想ー」p.134.135

 

矢内原の危惧する方向へ、まさにわが国は進みつつある。しかも多くの国民はそのことに気付かず、《もの》のように流されている。私たちはあまりに困窮している。お金がない。お金がないために、齷齪労働してばかりいて時間がない。時間がないために、思考しない。どんどん状況が悪くなっている。
私自身にまさにそのことを感じている。思考する時間があまりにない。休日は「何かに追われるようにして」享楽を求めている。頭をバカにして現実の苦しみから逃避し続けている。

私は毎日が穏やかに過ぎ去れば十分に幸福で、政治や国のことは意識の範囲外にある。”私には関係がない”と思っていた。が、矢内原の文章を読み、その態度こそがわれわれの暮らしを脅かすのだと痛感した。
だからと言って、今すぐ何か行動を起こすわけではないが、思考することを怠るのだけは止めたいと心から思う。それを捨ててしまったら人間を辞めることと同じだ。

不勉強で恥ずかしい限りではあるが、現在の日本がひどく貧しい状況であることを知らないわけではない。なぜこのような事態になっているのか、ひとりひとりが《抵抗》しないためであろう。まともな生活が送れない給料を文句も言わず受け取って、家賃の支払いに苦しみ、安いごはんで健康を害して孤独に死んでいく。このような人を減らすために、《抵抗》しなければならない。
(しかし、国民はもはや疲弊し過ぎており、抵抗できる余力はないとさえ思う。)

私は弱く、できることは少ない。でも、ただ働いて快楽で目を濁らせるだけの日々は止めたいと思った。われわれはわれわれの身を守ることができ、戦うこともできる。そう信じたい。

 

追伸。

このような読書体験が久しぶりにできて、心から嬉しい。腐った気持ちが吹っ飛んでくれた。健康が回復されてきている。もっと元気になれるようにやるべきことをやり、生きていきたいと思います。私の世界を守り抜く。

2020/10/8

皆さん、お久しぶりです。だんごちゃんです。

だんごちゃんは今、大好きな街に大好きな人と大好きなぬいぐるみに囲まれて暮らしています。大好きな街は前よりももっと大好きになり、大好きな人は前よりももっと大好きになりました。ぬいぐるみは数が増えました。

だんごちゃんは読めない本が本棚に増えていくのを軛のように重く感じています。積読本は私にとって希望でした、窒息しそうな日々の唯一の逃げ道を示す光であったはずなのに、最近はそう思えず罪悪感ばかりが募ります。

業務後の夜の時間を恋人と夜ご飯食べたり、順番でお風呂に入ったり、映画を観るのが好きでした。金曜日になれば、1週間を労ってちょっと夜更かしなんかしちゃって、当然土曜日は寝坊して、午前中から活動したいよねって文句言うのが楽しかった。

毎週末、テーマを決めてお出かけしたり活動するのが嬉しかったです。地元の喫茶店に詳しくなろうとしたり、よりおいしいシーシャを作れるように研究してみたり、引っ越してからまだ1年も経っていないけれどたくさん楽しい思い出があります。多分、これからもたくさん楽しいことがあるはずです。まだまだ私たちがやっていないことが山ほどあって、私たちの大好きな街の魅力は尽きないからです。

だけど、最近はあまり出来ていなくて、楽しい嬉しいことのために生きていたのに、できないから、できないけど今だけだから、今だけ頑張ればいずれいいことがあるって思って耐えていたのに、もう意味ないのかなって一昨日辺りに思って、一度そう感じるともう戻れなくて、心が真っ二つに割れたまま、会社に行けなかった。

前回のブログを見ても、私、仕事が辛そうで可哀そうだ。もっと早く諦めればよかった。真面目にやって、一生懸命やって、その結果大失敗してしまって、その場はとりあえず収まって、たくさん凹んだけど、私は私のできることを全力でやっていたから仕方がなかった、この後も出来る範囲で頑張ろうと気持ちを切り替えたのが週末のことだったのに、今週に入ってまた大きな課題が立ち塞がって、その課題はもう明らかに私の能力をはるかに超えていて、頼れる人もいない中、どうにか戦わないといけないらしくて、なんか、そうなったらもう折れちゃったんだよね。そう、折れちゃった。一瞬でももう少しだけ頑張ろうって思えたのだけど、その課題が提示されたらもう無理だよって怒りと不安で潰されてしまった。頑張るための言い訳がもう効かないの。

本当はもう今日にでも仕事を辞めて逃げ出したいけど、もうちょっとだけやらないとだめかもしれないね。私が居なくなっても仕事が消えるわけじゃないし、私の仕事を引き継ぐ人がかわいそうだから、がんばらないと。(なんて、考えるからどんどん疲れちゃうんだよね…)適当なところでちゃんと辞める。

やっぱり、上司は私に期待してたんだと思うんだよね、だから二年目のほとんど素人の社員をこの案件につけたんだと思う。期待に応えられなくてごめんねって思うけど同じくらいフォローが足りなすぎるよって怒ってる。

やっぱり仕事は好きなことをやらないと続かないのかなあ。仕事だから、お金がもらえるから、って言い訳でつらいことを耐えられるほど私が大人じゃなかった。好きなことなら、どんなにつらくても頑張れると思うけどなんか、今回は無理だったなあ。本来自分がやりたいことを犠牲にしてまでなんでこんな苦痛を感じなくてはいけないのって頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった。意味わからないじゃんね。これからも仕事をする以上、今回みたいなことが繰り返されるのかなあ、嫌だなあ。私ってどうやってお金を稼いでいけばいいんだろう。

久し振りのブログがこんな内容で恥ずかしい。読んでくれてありがとう。いつも見守ってくれてありがとう。じゃあね。

 

 

 

2020年8月16日

こんばんは、だんごちゃんです。

お盆休みはみなさんいかがでしたか?私はいつも通り働いてました。8月いっぱいは仕事が忙しそうで、9月にお休みを取る予定です。とはいえ、9月も体が空かない予感がしています。悲しいです。何が悲しいって、業後やお休みの日でも仕事のことを考えてしまうのです。めりはりが大事なんて言いますけれど、全然出来てません。最近振られている仕事が今の私にとってはハードで、ちょっと余裕ないんです。休まった気がしません。大好きな本や映画を観てリフレッシュしたいのに、集中できなくて手に付かない。というか、脳みそを休ませるための道具として小説や映画を扱うのは、自分にとってかなり抵抗が大きく、自分自身の文学に対する態度が自分で許せなくて、情けなくてもう、なんか、毎週のように泣いています。こんなはずじゃなかったと、やりたいことができないと、同じことをずっと言っています。仕事に肩入れしないって決めていたのに、仕事で良い評価もらったり私が主担当として動かなきゃいけなくなったりでどんどん仕事に夢中になっていく自分がいて、おかしいな、おかしいなって思っています。会社の同僚や先輩、上司とも最近はコミュニケーションが円滑になってきて仲良くなって、絆みたいなものが芽生えてきました。前向きに言えば順調なんです。だから、頑張らなきゃいけなくて、でもふと立ち止まってみるとそれって私がやりたかったことだっけ?って分からなくなって、それで、それでね、泣いちゃうんです。バカです。仕事のことだけ言えば、本当に今は頑張らなくちゃいけない時期で今頑張ればすごく伸びる。会社員としても、エンジニアとしてもすごく伸びる。それが私も上司も共通認識としてあるから、私は頑張ろう頑張ろうと、期待にできる限りこたえようと毎日パソコンに向かってコマンドレッドを入力してドキュメンテーションを作成して後輩に指示を出してお客さんに連絡してスケジュールを立ててやってるんです。

 

実はマツさん(@matsurara)にお声掛けいただきまして、エッセイを寄稿しました。

 

 文芸同人誌に寄稿するのは初めてです。自分の文章が本に載るなんて、すごく幸せで有難いことです。正直、恥ずかしい。今できる限りのことを出したつもりですが、やっぱり……。ネガティブなことを言うのはやめます。

テーマが『性と生』ということで、自分の経験を基に男であること、女であることについて書きました。「二卵性双生児」私は双子としてこの世に生を受けました。よろしければお手に取ってみてください。

 

創作をするお友だちが、どんどん創作物を作って世に出して、公募に出して、ステージに立っています。私は今週末も何も出来ませんでした。TLを見ていると焦ります。みんなすごい。

ツイッターの友だちだけじゃなく、リアルのお友だちも自分の人生をちゃんとやっていて、私ひとり置いてけぼりをくらっている気分です。同じ土俵に立ててない。

恋人に今は休む時期なんだよと励ましてもらうのも、情けなくてつらいです。いつもありがとう。こんなでごめん。

仕事をしながら創作を続けているみんなはどうやっているんだろう。私がダメなんだろうね。

 

文章を書けないのも本を読めないのも、すごく生きている感じがしない。生きたい。

 

知り合いに強く勧められて「Nizi project」というオーディション番組を観ました。アイドルを目指してダンスと歌を全力で練習して人生をかけて努力をする彼女たちを見て、たくさん感動し魅了されました。最初は軽い気持ちで観たのですが、ハマっちゃってメンバーのことをよく考えています。夢を叶えることは簡単じゃないです。彼女たちくらい傷ついたり泣いたりしないと辿り着けない場所があるのです。最高のパフォーマンスをするためには日々の筋トレや音階練習が必要で、私はその日々の小さな積み重ねが出来ていなくて実力不足のまま人生を流れるままに放置しているのです。オーディションに挑戦した彼女たちは本当に輝いていて、眩しかった。美しかった。

 

あと、昨日舌ピアスを開けました。久し振りです。二度目です。

(前回はこの時期に開けたらしい⇒2017年11月2日 - 情死

恋人が舌ピアスを開けているので、恋人とお揃いにしたいとかそういう乙女チックな理由を想像されるかもしれませんが、私が舌ピを開けたことを恋人が舌ピを開けているのは全く関係ないです(笑)

昔から舌ピを開けている女の子に強く憧れていて、自分の舌を眺めては「ここにピアスがあったらどんなに素敵だろう」と夢を見ていました。だんだんと舌ピアスがない自分が不完全に思えて、それで、一度開けたのですけど、バイトとか就活があったので閉じちゃいました。絶対にまた開けようと思っており、やっと時が満ちたといった感じでしょうか。マスクするのがマナーになった今、口の中を見られる心配もありませんし、仕事は基本的にはデスクワークでお客さんに会う機会も少なく会社も緩いので多分バレても問題にはならないだろうと判断し、開けました。もし転職するとしても舌ピアスを外さなくて済む場所に、自分が完全で自分のことを好きになれる体でいられる場所に移りたいと思います。仕事のためにピアスを外すのは違う。前回はまだ社会に対して不安が強かったからできなかったけど、もう大丈夫だと思います。

舌ピアスがある自分はすごくかわいいし無敵な気分になります。嬉しい。25歳を特別にしたかったから、このタイミングでまた開けられてよかった。

 

それとインナーカラーを入れました。こっちはビビってしまって、ちょびっとしか色を入れられなかった。気が弱い。苦笑。次回はもっと派手にしたいです。

 

ちょっと前だけど、私が一番大好きな映画を恋人と一緒に観ました。恋人が楽しんで観てくれて嬉しかった。

 

恋人はいつも自分のやりたいことをやっていて、それで私の相手をしてくれなくて寂しい思いをするときもあるんですけど(笑)、でもそんな彼が好きです。いいなあって思う。私もいつも自分のやりたいことをできるようになりたいな。

 

みんな知ってると思うけど、私は広義の意味でのセックスが好きでいろんなえっちなことをやってみたいと思っているのだけど、最近は性欲がうまく働いておらず、ぶっちゃけてしまえば性欲が以前に比べて落ちました。愛情表現としても重要なセックスが、上手にできなくなっちゃって恋人に申し訳ないです。セックスがアイデンティティに組み込まれてしまっているので、そんな自分に違和感を覚えます。自分じゃないみたいで、それこそ生きてる感じがしません。鬱なのかな。てか、書いてて思ったけど性欲で文章書いてるところあるから、性欲がないから創作できないのかも。やば。

以下のnoteがすごくためになったので、セックスが好きな人やセックスを上達させたい人は読むとよいと思います。

note.com

ここで紹介されているコンドームを購入して使ってみましたが、私たちはそこまでではなかったです。コンドームひとつ取っても合う/合わないがあるという発見があり、ためになります。いろいろ試したら楽しいと思います。だんごちゃんは皆さんの良きセックスライフを応援しています。(余計なお世話だよ)

 

最近、私にとって大事な喫茶店が閉店しました。20歳のときからお世話になっていて、定期的に足を運んでいました。コロナ影響ではなく、店長の方がそろそろおしまいにしたいと考えていたみたいです。最後にお花を届けに行きました。大事な思い出がたくさん詰まった場所だったので、寂しいです。どんな場所もずっとあるわけではなく、そしてどんなコミュニティもずっと継続するわけではないということを思いました。だから、会えるときにたくさん会って写真に残したり日記の記録するのだと、思い出しました。私ができるだけオフ会をしたり、友人と会うようにしているのはそのためです。みんないつか死んじゃうし、この場所から離れていくから、今だけでも一緒に居たいとよく感じます。大好きだから。別れていった人も、場所も今でも元気でいてくれたらいいなと思います。

 

恋人が昔住んでいた土地に歩いていきました。恋人が懐かしそうに「あー、これあった!」「そうそうここを歩いて通勤してた」と言っていて、私にとっては初めての土地だったけれど、人の思い出の中に連れて行ってもらえて楽しかったです。土地は思い出と結びつきやすくて、良いことも悪いこともずっと残り続けます。だから人は引っ越しをするのだと思います。当時の恋人は苦しみの渦中にいたみたい。あの頃に自殺しないでくれてよかった。会えてよかった。毎日恋人と一緒に居られて楽しいです。

 

お風呂上りに鏡で自分のすっぴんを見ると、子どもみたいだと感じます。恋人には「15歳に見える」と言われてしまいました。25歳なのに!童顔が過ぎる。将来は安達祐実みたいなロリババアになろうと思います。