情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2020年11月8日

11月となった。昼夜の温度差が厳しく、冬用のアウターや下着を引っ張り出して着こみんでは暑い暑いと汗をかく。日曜の午前中、家の前には必ず誰かの家の犬が繋がれている。私も恋人もよく眠る。

 

昨日、恋人と古書店へ行き、矢内原伊作の本4『人生の手帖』を購入した。私は小説を除いた芸術家の中で一番ジャコメッティが好きだ。矢内原の著作はジャコメッティのモデルを務め、深い交友を築いたため、いずれ読みたいと思っていた。

『人生の手帖』は「人生の手帖」「回想」「追憶」の3部構成となり、ちょうど「人生の手帖」を読み終えたため、記録のためにブログに記す。

 

「孤独について」から始まる9つの章からこの本は始まる。これは「若い女性への手紙」と題して1951年に雑誌『新女苑』に連載された文章が収録されているそうだ。この「若い女性」という対象に25歳の自分を含めてよいか分からないが、少なくとも私は自分への手紙として読んだ。それは彼が魂を込めて書いたためであろう。

 

読書の最良の方法は、書物を手紙として読むということ、直接自分に宛てて書き送られた手紙として読むということである。手紙として読むことができないのは、書かれたものに魂がないか、読む方に魂がないか、どちらかだろう。

*『人生の手帖』「孤独について」p.3

 

若い女性」を対象に向けられた9つの章の言葉は常に優しく暖かい。言葉の節々に深い教養とキリスト教的な愛が溢れ、現実に塞ぎこみ鬱屈していた私を解きほぐし、今より若かったころの瑞々しい感覚を思い起こさせた。

 

自己に忠実であるということは、小さな自己にこだわらず、むしろ現実の醜い自己を乗り越えて、高い人間性に自分を結びつけてゆくことにほかなりません。(中略)自己とはむしろ未来であること、未来に向って刻々に築かれつつあるもの、築くべきものであること、真の自己は私たちが意識しているよりもいつも一まわり大きいのだということを忘れないでください。

 *『人生の手帖』「自己について」p.46,47

 

しかしここではその後に続く、「軍隊ー軍隊の思想ー」の章を紹介したいと思う。

本章は評論集『抵抗の精神』に収められたものらしい。戦時中におけるフランスの《抵抗》と日本の抵抗について記載されたもので、「軍隊ー軍隊の思想ー」は特に日本の戦後に依然として蔓延する「軍隊の思想」について警鐘を鳴らす。

やや長いが、以下に引用したい。

 

もしもわれわれが、あたかも軍人が命令を受け取るように民主主義を受ける取る(原文ママ)としたならばそしてかつての軍人が軍国主義を観念的支柱にしたように民主主義を排他的なスローガンとして掲げるならば、わが国は再び帝国軍隊の過誤と悲劇を繰返すことになるだろう。にもかかわらず、すべてを命令として受け取って諦めてそれに身をまかせる習慣は根強いし、その上、今日の複雑な国際政治情勢と日々の生活の逼迫は、自由に物事を考え、自己の理性的判断にもとづいて行動する力をますますわれわれから奪ってゆくのだ。個人と社会、生活と思想とのつながりはますます失われてゆく。われわれは自己に存在理由を見出すことができず、どうにもならない社会の動きのなかをただ《もの》のように流されながら、一方では外出時の兵隊のように何かに追われるようにして少しでも多くの享楽を追い求めつつ、他方不安のあまり平和とか民主主義とか自衛とかと口走ることによって、本当にわれわれのなかから出たのではない観念に救いを求めようとするのだ。

 *『人生の手帖』「軍隊ー軍隊の思想ー」p.134.135

 

矢内原の危惧する方向へ、まさにわが国は進みつつある。しかも多くの国民はそのことに気付かず、《もの》のように流されている。私たちはあまりに困窮している。お金がない。お金がないために、齷齪労働してばかりいて時間がない。時間がないために、思考しない。どんどん状況が悪くなっている。
私自身にまさにそのことを感じている。思考する時間があまりにない。休日は「何かに追われるようにして」享楽を求めている。頭をバカにして現実の苦しみから逃避し続けている。

私は毎日が穏やかに過ぎ去れば十分に幸福で、政治や国のことは意識の範囲外にある。”私には関係がない”と思っていた。が、矢内原の文章を読み、その態度こそがわれわれの暮らしを脅かすのだと痛感した。
だからと言って、今すぐ何か行動を起こすわけではないが、思考することを怠るのだけは止めたいと心から思う。それを捨ててしまったら人間を辞めることと同じだ。

不勉強で恥ずかしい限りではあるが、現在の日本がひどく貧しい状況であることを知らないわけではない。なぜこのような事態になっているのか、ひとりひとりが《抵抗》しないためであろう。まともな生活が送れない給料を文句も言わず受け取って、家賃の支払いに苦しみ、安いごはんで健康を害して孤独に死んでいく。このような人を減らすために、《抵抗》しなければならない。
(しかし、国民はもはや疲弊し過ぎており、抵抗できる余力はないとさえ思う。)

私は弱く、できることは少ない。でも、ただ働いて快楽で目を濁らせるだけの日々は止めたいと思った。われわれはわれわれの身を守ることができ、戦うこともできる。そう信じたい。

 

追伸。

このような読書体験が久しぶりにできて、心から嬉しい。腐った気持ちが吹っ飛んでくれた。健康が回復されてきている。もっと元気になれるようにやるべきことをやり、生きていきたいと思います。私の世界を守り抜く。