情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2020年5月20日

早退しちゃった。頭の中で「死にたい」「なにもできない」が連続して発話されて、会議中に口から飛び出しちゃいそうだったの。その後もずっとなにもできないなにもできないと頭の中で巡って、思考も鈍い、動きもとろい。嫌になってる。病んでるときってこんな感じだったなと思う。それにしても症状が急にやってきて、全然太刀打ちできない。病院行った方がいいのかな。しんどい。動けなくなって泣くだけの生活に戻りたくない。なんで。

 

笑わないで聞いてくれる?私ね、昨晩「大森靖子」になろうと決心したの。

綺麗に伸ばした黒髪にピンクを入れる、アコギをかき鳴らして歌う……ということはしない。彼女の真似をして同一化しよう、コスプレをしようという意味ではなくてね、私は大森さんの生きざまに倣おうと思ったの。大森さんはシンガーソングライターの枠からもアイドルの枠からも飛び出して、「超歌手」とご自身で仰っているけど、つまり「大森靖子」っていう世界で唯一の音楽ジャンルを歌って踊って表現しているのね。誰かの言葉に依存せず自分の魂の叫びを作品に起こしている。私はいつでも本物を作り続ける大森さんが大好きで、本物の感情が宿っているからこそ目が離せないでいる。私も彼女のようでありたい。私も声をあげたい。いつも弱虫で誰かの顔色ばかり窺っている私を、私はもうやめたいと思う。文句言われようが、嫌われようが、時には傷つくかもしれないけど、それでも自分を唯一の武器にして怯まずに表に出たい。私が私であることをやめたくないよ。

 

たぶん、「大森靖子」になろうと決めたからだと思うのだけど、すごく本が作りたい。ねむよしで合同誌を作ってみたいとは前々から思っていたので実現させようと下調べを始めていたけど、それよりもまず自分の本を作ろうかな。できるだけ早急に。簡単なコピー本みたいな形から。なんだか、じっとしていられない。どうしよう。

実は(?)これまで本を作りたいって気持ちがあまり理解できてなくて、作品を読んでもらえれば十分だからネットに公開するだけでオッケーと思っていた。でも、そうじゃないんだな。一つの作品としてパッケージングして「グッズ」を「手渡す」感覚がみんな欲しいんだろうな。「これが”私”です」と。※””の中は私でなくてもよい。

 

引越しの日が近いため、荷造りをせっせとやりました。洋服とか本とか、詰められる物から。段ボールに詰めてみると、洋服多すぎると感じました。恋人を真似して持ち物を減らしていけたらいいな。恋人は最低限の物しか持たない。

狭い1Kにある荷物は、ほとんど不要なものがなく常に使うから前日までなかなか片付けられない。あごに大きなニキビが出来ちゃった。痛い。あとほっぺにも。肌をメンテナンスできる心の余裕がない。

 

恋人の話をしていないな、と思った。恋人の話ってどこまで書いていいのかな。そういうのこそ紙にしてひっそりと公開しようかな。恋人と過ごすひとつひとつの出来事が砂浜で拾う淡い桃色の貝殻のようにきらきらしています。みんなに自慢したいようで、秘密にもしたいです。いつも私の顔見てにこにこしてる。マスク越しにキスしてくれた。私が自分のことを嫌になって布団で自分の顔面叩いてたら、僕の大事なものだからやめてねって言ってくれた。これはちょっと笑えるね。

 

そんな感じ、です。明日は仕事できるかな。やらないとまずい。