情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2022年2月9日

おはようございます。だんごちゃんです。本日は出社の予行練習ということで、出社の際の起床時間で起き、朝食、身支度を済ませて、始業に間に合うように家を出るシミュレーションをしています。今はすでに家を出られる準備が整ったので、のんびりタイムです。朝、ちゃんと起きられたことに対するボーナスタイムですな。この時間がちょうどよいと気持ちよく1日を始められます。きっと仕事を始めるとだんだん起床時間が遅くなって、ボーナスタイムが減っていくと思います。何かを新しく始めるときっていつも完璧なスケジュールを組むけど、最終的に習慣化したものって少ない。サボっては終わり、またスタートしては終わり。三日坊主も三日坊主を続ければ、継続したことになるという話もあるので、気負い過ぎずにできる範囲でやっていきます。

 

さっき起きたばかりなのにすでに今日の反省点があります。私は何をするのも恋人と一緒が良いのですが、今日は出社の予行練習をするよと言ってあったのに、彼の朝ごはんの時間が読めなくてちょっと不機嫌になってしまいました。たぶん、生理前の情緒不安定が始まったんだと思います。悲しい。こんな些細な事でムッとしてしまい、申し訳ない気持ち。朝ごはんは起床後、一番に食べることに決定しました。
自分の不機嫌を感じたとき、いつも頭に思い浮かぶのは「私は彼と暮らすためにあれもこれも譲歩して助けてあげているのに、あなたはこんなこともやってくれないの!!」という感情。普段は全然そんな風に思わない、むしろ私より彼のほうが私と暮らすために多くの協力をしてくれていると思う。
「私はこれだけやっているのに、あなたは~~~」って感じるとき、本当に嫌な気分になる。私の性格上、だれに対しても尽くし過ぎるきらいがある。気づくと都合よく扱われてしまっていて、関係が対等になっていないことも。これは私の態度に原因があると分かっていて、優しさの安売りをして、見返りに承認欲求を満たそうとしている。誰かに褒められることが何より私にとって大事なのだ。良い言い方をすれば、優しいとか、奉仕の精神があるとか、言えるだろうけど、私の優しさは百パーセント善意であるとは言い切れなくて、すごく邪で歪なものだ。見返りがないと満たされない。
だから、嫌な気分になるのは、私の優しさが無碍にされた!という怒りと、ああ、また私は見返りが足りなくて不満に陥っているという自己嫌悪に苛まれるためだ。感情が生まれること自体に良いも悪いもないと思うけど、それをどのように処理するかが大人ってなわけで、私はまだこの不愉快な感情を大人として処理する方法を身につけられていないのである。

 

それでは、また。