情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2020年3月8日

2週間まともに掃除、片付けをしていないので部屋がまた散らかってしまった。家事をするのは生活にゆとりがないと難しく、最近の私は余裕がない。軸がぶれてぶれてぶれている。

バス停で彼を見送った後、「ああ、終わってしまったなあ」と思う。何が。彼と私の関係性はまだ続くだろうけれど、二人で過ごした楽しい週末が終わったことが、とてつもなく大きな別れに感じたのだった。喪失感や孤独とはまた違った、区切りのような感情。電車の終点で降りたときの侘しさ。また新しい電車に乗らないと次の場所にはたどり着けない。上手く言い表せないけれどそんな感じ。

彼と一緒に過ごすことで軸が整う。目指すべき方向を思い出させてくれる。それでも明日になったら私は会社員として忙しなく慌ただしく時間を殺していく。だんだんと心が乾いていく。そして、ずれていく。分からなくなる。調子が落ちる。毎日帰ってきて泣く。1年間そんな日々を繰り返している。

会社の飲み会がある。上司のおごりだからありがたく頂戴するけれど、お酒を飲んで楽しくなって仲良くなった風に勘違いして同じ時間を共有して絆を深めた気がして、距離を縮めてしまうなんて過ちをしないように気を配る。こんなことで浮かれてしまってはだめだと本当に強く思う。酒はなあなあにさせてしまう。

ツイッターを見ないのはとても良い感じがする。ずっとツイ廃だったし、何回かツイ禁やってるけど続いた試しがない。今回は長くツイッター断ちできるといいな。

飢餓感からツイッターをやって、人に会って、傷ついて傷つけて、そのたびに文章にして、いろんなことを考えて、本を読んで、ひとりで泣いて、人前でも泣いて、感情が揺れるままに動いて生きてきたけど、なんかそういうことがもう全部過去になったんだなて、ようやくわかってきて、いや、分かっていたんだけどどこか「まだ何かあるぞ」と期待していたの、それさえももう終わって、あとは静かに好きなものや人を愛することだけに時間を使いたいなとかそんなね、ことを思ってしまった。

あるべき姿に戻っていく。そうせざるを得ない形に成る。無理は続かず、嫌なことは遠ざかり、望むとも望まざるとも、そうせざるを得ない形にまとまっていく。今、私の人生はその形に徐々にまとまっていっているのではないかと感じる。

あなたのことも、あなたのことも、あなたのことも、ずっと好きだよ。

それが私の在り方。