情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2021年10月29日

こんにちは。お昼からだんごちゃんのお出ましだよ!

今日は会社員最終日です。あらまあ。有給消化でずっと家にいたから気分はすでに無職ですが、明日からは正真正銘の無職です。親の扶養に入っておらず、学生でもない、本当の無職です。人生で初めてです。役所に諸々の届け出をしないといけないのが面倒くさいですが、こんな経験そんなにないと思う(思いたい)ので、ひとつずつ楽しんで片付けていきたいですね。

無職になるぞ!というタイミングでなぜか服を買ったり毛糸を買ったりシーシャに通いまくったりしてお金がすごい勢いで消えています。無駄金を使わないと決めたつもりが……。む、ムダ金ではないかな?そうだよね?そういうことにしておきます。

昨晩はネットフリックスで『真夜中のミサ』の最終話を観ました。毎日食事のときにちょっとずつ観ていたのですが、序盤は話が静かすぎてちょっと苦痛だったのが、物語の根幹が見えてから展開が一気に面白くなった印象です。SNSで絶賛されているほど、私には響かなかったかな。でも、これは毎回話を途中で区切ってたせいかもなとも思います。タイトルの通り、夜が舞台になることが多く、静寂でどこか不穏な長い夜を、長い台詞、長いシーン、繰り返す場面によって表現されていました。監督はシャイニングの続編にあたる映画『ドクター・スリープ』を手掛けた方のようですね。ホラー好きには有名だと思われるが、私はまだ拝見していませんでした。機会があれば観ようかな。エドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」をベースにしたドラマも撮影も決まっているそうです。こちらも楽しみですね。
キリスト教をテーマにあげた作品では、敬虔な信徒に苦難が訪れたとしても、神は依然として沈黙し続ける様が描かれることが多いように思います。(遠藤周作の『沈黙』がまさにですね)そこで「やっぱりね、奇跡は嘘だし神はいない。誰も救ってくれない」と言って信仰を放り投げるのは簡単ですが、苦難の中でどのように耐えて、生きるか、または死んでいくか、ということを見つめることが大事なんだろうと思います。ここからは完全に私の考えで、キリスト教とは一切関係ない話です。私たちはひとりひとりいろんな個性を持って生まれてきます。私は古着とかサンホラが好きだけど、恋人はV系が好きだし洋服には関心があまりありません。その個性は本当に多種多様な場所で顔を出して、苦しいときが訪れたときにどのような態度で過ごすか、という方法でさえもきっと個性が出ます。自分にとってベストの自分が苦難のときを過す方法が、信仰を投げ出すことであっても、信仰を貫くことでも、それぞれに必要なことなんだと思います。

『真夜中のミサ』ではパフォーマンスのように分かりやすく”奇跡”が目の前で行われ、島民の信仰心が厚くなっていくのですが、それは偶像崇拝とか、なんというか、今すぐに正しい語彙が出てこなくて申し訳ないですけど、嘘の姿だと思って私は見ていました。島民たちのそれが偽りの信仰だと本来司祭は理解できるはずなのに(そうでなければ司祭としての務めを果たせません)”天使”によって自らを盲目にし、過ちを犯してしまった。聖戦だとか、政治だとか、いろんなものが我々を盲目にして多くの犠牲が生まれる。キリスト教とは、聖書とは何のためにあり、何を語っているのか。私たちはあまりに愚かなので曲解して正当化し自分の行いが分からなくなってしまう、そういう恐ろしさを見事に描いていたと思いました。

おしまい。