情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2017年12月30日

 今日は病院に行った。乾燥が酷くなってきたせいか肌が痒く、荒れてしまったため、塗り薬をもらおうと思った。受付のお姉さんがだるそうに私の保険証を奪い取った。私は待合室の硬いソファに腰を下ろして自分の番が来るのを待つ。
 右隣に5歳くらいの男の子が座っていた。懐かしいグレープの匂いがした。彼は口をクチャクチャさせている。駄菓子屋で売っている10円の風船ガムを噛んでいるのだろう。青くて爪先が黒く汚れているマジックテープの運動靴を履き、黒と青のチェック柄のズボンと彼にはサイズが大きい黒くて内容の薄い英文が書かれたパーカーを着ていた。待合室に置いてある漫画をせっせと閉じたり開いたりしている。棚を見た限り、青年漫画ばかりで彼が読むには適さないように感じた。
 少しすると病院の自動ドアが開き、ひとりの男性は入ってきた。私の右隣の男の子の前に立ち、男性はにっこりと笑った。
「近くのホームセンターに居るから、終わったらおいでね」
 男の子は何も言わなかった。ただ男性を見つめていた。男性は手を振って病院から出て行った。男の子は目で彼の背中を見ていたが、表情は変えず手を挙げることもしなかった。彼はその後も漫画を開いたり閉じたりしていた。内容は読んでいないようだった。漫画に飽きると待合室全体を見渡す。このときも表情は変わらない。真っすぐな瞳に何を映そうとしているのか、私には分からなかった。
 「××さん」とお姉さんが呼ぶ。隣に座っていた男の子がすくっと立ち上がった。慣れたようにお姉さんの後に続き、診察室へ入った。彼の背筋が綺麗と指先がきれいに伸びているのが印象的だった。
 ここの病院はいつも待たされる。予約した時間通りに診察が始まったことなんてない。私はその後1時間は待合室で雑誌に目を通していた。その間に先ほどの男の子が診察室から出てきた。目が赤い。彼はズボンの強く握っていた。
 お姉さんの誘導に従ってお会計までしっかり済ませて彼は病院から出ていった。何度も通院しているのだろうと思った。私が小さい頃は、いつでも母親が隣で待ってくれていたが、彼はひとりで終わらせて父親が待つホームセンターへ向かったのだ。幼いながらもえらいなと感心する。一方で、彼の痛みはちゃんと親に伝わっているのか不安になった。
 
 今日の新聞の一面に高齢化する引きこもりについての記事があった。仕事で失敗して実家に戻ってきた息子が引きこもり続けて気付けば50歳。親は80歳。親が死んだら子どもも死ぬ。共倒れ。それを防ぐためには一体どう対策していけばいいのか。私はその記事を音読して父に聞かせた。父は自分の娘息子がこうなるのではないかと笑いながら悲観した。
 身体的または精神的障害があり、自立して生活が出来ない人間はどのように生きていくのか。たまに考える、けど何もできない。今の私には何もできない。私自身社会に適応できず抑うつ状態に苛まれたことがあるから、自分のことのように心配になってしまう。TLで自殺を仄めかすフォロイーを見るといつも苦しい。親しくなくても悲しい。どんな人間も楽しく生きられたらいいのにね。って、思うだけで私が何か行動を起こすわけではないから偽善だ。大変つらい。自分のことでいっぱいいっぱいだし。考えるのを辞めておこう。そんな感じでいつも蓋をしておく。こんなんだから世界はいつも曇ってる。
 知り合いの低所得の女性は生活保護を受けて暮らす人を馬鹿にしていた。私は信じられなかった。彼女の年収は高くても××万。両親にお小遣いを貰って実家で暮らしている。もし彼女の両親が不慮の死を迎えたとき、彼女はどうやって生活するのだろうか。生活保護受給を他人事として考えていたことにとても恐怖を感じたのだった。
 窮地に追い込まれた鼠は必ず猫を噛むかと言うと、そうでもない。個体差があるので無理やり窮地に追い込んではいけない。恐怖でおしっこ漏らしてショック死してしまうかもしれないし、直前で潔く舌を噛み切って死ぬかもしれない。まだ生活が問題なく行われている状態でリスクを回避する方法を作っておく。最悪が訪れないような仕組みを作っていく。それは自分に対しても思う。××が来てみんなで一瞬で散ることができるならむしろ有難い。問題は生活を続けていくことにある。
 必ずしも全ての準備をしておく必要はない。困ったときにどこに相談したらいいのか、誰が信頼できるのか、どうやって情報を得るのか、そういった自分で調べる能力があればだいぶ違う。私も馬鹿だから知らないことだらけで、これから学んでいくべきこともたくさんあるけれど、文章を読むという力はちょっとはある。頼れる人もいる。だから何か困ったことがあってもどうにかなるだろうという楽観的な気持ちで居られる。この心の余裕があるか無いかが生きやすさにも繋がってくるのだろうと思う。
 国語の読解問題は、社会で生きていく上で必要だよ。ただ、教育の仕方に色んな問題があるから文部科学省と義務教育に携わる皆さんこれから頑張ってほしい。もう成長してしまった皆さんを支援する仕組みも同時に考えていかないといけない。
 

 柄にもなくシリアスなブログになってしまった。ちなみに前半部分は全て創作です。病院行ってません。それでは、よい年末を。