情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2019年5月5日

 今日は日曜日ですね。明日でGW最後になります。昨日、もうGWも終わりか~と凹んでいましたが、GWではなく3連休が始まったばかりだという見方をして生き延びました。だから夜更かしもしちゃった。

 10時くらいまですやすやと眠っていました。夢を見ました。高校の同窓会。めったに来ない美術の先生がやってきたので、これはみんな会いたいだろうと思い、後輩の美術部の男の子に連絡をした。彼は結局来なかったけど、あとでご飯を食べた。後輩とその友だちと。後輩は日に焼けていてサッカー部のような陽気な奴だ。(実際にはそんな知り合いはいない)体操着を着ていた。一緒に来ていた友だちは少しにやにやしている。私と彼の関係を怪しんでいるのだろうか。後輩は、また会いましょうと言って私に笑いかけた。

 目が覚めてから夢の内容を考えるとおかしい点がある。高校のときの美術の先生は夢に出てきた人ではない。やさしい物静かなおじいちゃん、みんなに慕われていた。夢に出てきた人は、中学のときの最初の美術の先生だ。彼女は40代くらいだったのだろうか、もっと若かったかもしれない。体に癌を患っており、常に体調が悪そうだった。そして気難しい人だったように思う。

 多くの生徒は彼女を苦手にしていた。何を目的に美術の授業をしているのか摑めなかったためだろう。彼女は期末試験に白い紙を全員に配ってピカソゲルニカ》を時間の許す限り模写しなさいという課題を与えた。鼻から試験なんて関心がない奴らには有難かった。しかし、良い内申点を勝ち取り、良い学校へ進学することを目標とする奴らはみんな動揺していた。知識を問われる問題なら教科書を覚えてくればいい。きっとピカソの名前や作品名を覚えてきたはずだった奴らの目の前には白い紙だけ。私は絵を描くことが比較的得意であり、好きだったので楽しく試験時間を過ごしたが、奴らにとっては地獄のような時間だっただろう。結局、あの試験はどういう評価の仕方をしたのだろうか。説明されたような気もするが思いだせない。模写についての作法のようなものを授業でみんなで習ったわけではないので、答案用紙に書かれた《ゲルニカ》はひとそれぞれ全く様子が異なっていた。全体を大雑把に捉えて描く人。端から詳細に描く人。特徴的な部分を取り出して描く人。教室の中に《ゲルニカ》を全て模写できるほどの能力を持った人はいなかったし、まず時間が足りない。先生は最初から完成させることを私たちに望んでいなかった。今思えば、あれは優れた作品の細部まで見つめる練習だったに違いないのだけれど、生まれたばかりの中学生には先生の意図を読み取ることはできなかった。

 先生は交換日記のようなものを希望者と行なっていた。希望者なので、やりたくない人は提出しなくてもよいしやりたい人は提出すればよい、成績には何も反映されないと言った類のものだった。私は毎回提出した。毎回絵を描いてコメントを書いて先生に提出した。絵を褒められると嬉しかった。当時の私は文章よりも絵の方が得意だと思っていた。先生は時々弱気なコメントをしていた。先生も苦労されているのだと思った。それなのに生徒は先生に不機嫌な態度をして先生を怒らせる。それを気に入らないと思っていた。

 先生は途中で学校をやめた。病気が悪化して、教室に立てなくなったのだ。新しい先生は新任で若くてみんなからいじられながらも、すぐ好かれた。前の先生よりも美術の時間が和気藹藹として楽しい時間になったようだった。私は提出する先のない交換日記をどうしていいか分からなくて、ずっと新しい先生とはみんなみたいに馴染めなかった。

 私が中学を卒業する前に先生はこの世から消えた。さびしかった。みんなはそんな人いたねって言っていた。そのとき、交換日記を未だに持っていたのは私だけだと思った。今はもう、捨ててしまった。

 すっかり忘れていた先生のことを、夢の中の私はちゃんと名前も覚えていてびっくりした。夢を見ている私は「あの人、見たことあるな」と思っていた。夢の中の私がちゃんと教えてくれた。そして思いだした。中学生の頃の思い出。美術室の水彩絵の具の匂い。ちょっと怖い石膏像。静物画を描くときに使われる瓶、よく分からない植物、オレンジのレプリカ。1階のひんやりした空気。ガタガタとした椅子。退屈そうな生徒。かつぜつの甘い先生の声。

 

 今日は友だちがおうちに泊まりに来るので、大慌てで部屋を掃除しました。いろんな話ができるといいな、楽しみ。今日は暑いからTシャツででかけたいと思う。日焼け止めを塗るよ。

 それでは。