読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2015年10月29日

ご無沙汰しております。母親が今日も家にスマートフォンを置いて仕事へ出かけました。私はここ一週間ほど風邪をひいてしまい、擤鼻しては紙屑を生産しています。

 

学校に行かず、就職せず、一体何をしてるのか?というと主に編み物をして過ごしています。先日は遂に鼠色の毛糸5玉と白色の毛糸1玉使い、十数時間かけて手提げバッグを作り上げました。かなり技術が上がっています。編み物だけではなく、読書も少々しています。今は『ヴェーユの哲学講義』(ちくま学芸文庫 1996)をじっくり読んでいます。講義を文書化したものですので、まさに教科書といった具合でお勉強になります。この言葉の定義って何だったけ?この人物の主張ってどうだったかしら?と何度もページを行き来して時間をかけて読み込む予定です。ある水準まで知識を有していることを前提に講義が進みますので、勉強不足の私にはさっぱり何を言っているか分からない箇所もあります。その場合は文字だけ追って放置。ひとまずは全部読むことが大事です。そのあとにもう一度1ページ目に戻り、読みが足りない部分や足りない知識を補うべく別の書物を一緒に開きながら解釈を進めようと考えています。しかし時間がかかりますね。時間はたっぷりあるので焦らずに読んでいきたいです。合間ゞには息抜きに倉橋由美子さんの本を眺めたり、ゴットファーザー2を観たりしています。(ゴットファーザー1は持っていない笑)

 

いつだか都内に行く用があり、1時間以上電車に揺られていたのですが、そのときのお伴が『夜と霧』(みすず書房 2002)でした。心理学者フランクル氏の強制収容所での体験を基に書かれたものです。被収容者の心理や行動をつぶさに書かれています。衝撃が大きい場面もあり、車内で口開けて頁を捲っていました。全ての選択が死に直結している生活を強いられるなんて…。収容者による残虐な体罰や劣悪な衛生下での病気、粗末な食事で過酷な労働を日々繰り返すために募る疲労、被収容者が亡くなる理由は多くありますが、私が印象深かった理由は《自己放棄と破綻》と《未来の喪失》でした。

ふつう、それはこのように始まった。ある日、移住棟で、被収容者が横たわったまま動こうとしなくなる。着替えることも、洗面に行くことも、点呼場に出ることもしない。どう働きかけても効果はない。彼はもうなにも恐れない。頼んでも、脅しても、叩いても、すべては徒労だ。ただもう横たわったきり、ぴくりとも動かない。この「発症」を引き起こしたのがなんらかの病気である場合は、彼は診察棟につれて行かれることや処置されることを拒否する。彼は自分を放棄したのだ。みずからの糞尿にまみれて横たわったまま、もうなにもその心をわずらわすことはない。(125p l14~)

その他様々な被収容者の話が出てきます。生きるとは何か、という大きな問いを考えさせられる一冊。

 

今日のお昼ご飯は何食べようかなあ。