情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2021年11月23日

今日は勤労感謝の日でしたね。恋人との休日が1日増えてお得な気分でした。

文化の日だと思い込んでいたことはここだけの内緒にして)

 

ごにょごにょしていたらあっという間に11月も終わりが見えてきて、無職のkkkくせに気にせずお金を使うからちょっと不安になってきて、労働のことを少しずつ考えなくてはなあと思い始めている今日この頃です。順調にいけば4月まで無職でいけるはずではあるが、仕事のことを考え始めるのは、まあ悪いことではないと思うのでちょっとずつ整えていこうかなって感じです。

編み物が好きな理由のひとつに、失敗したら紐を解いてやり直すことができることが挙げられます。絡まったり、形が気に入らなかったら一度手を止めて調子を整えればいい。そんな感じで、私も考えていることの絡まった部分をゆっくり解いて、また編んでいこうかな。

思いついたまま書くので、ご了承ください。

努力した人が報われて、輝かしい結果を出している姿を見るとすごく勇気づけられる。だからみんなオリンピックとか、好きなんだろうと思う。きっと自分も、こんな世界で一位なんて大きいことではなくて、どうしてもやりたいプロジェクトを通すとか、自分のための本を書きおろすとか、そういうところで努力が結ばれていく。なんというか、そういうことが必要なのかと思う。何を言っているんだか。

 

家でのんびり過ごすのが楽しくて、自分らしくて、無職をやめられそうにないということが言いたかったです。無菌室にいるみたい。誰にも傷つけられず、暖かいお布団があり、大好きな人がいる。ここから抜け出さないと、私は何にもなれないのかあと思うと、うーん、どうなんでしょうか、なんにもなる必要ないんじゃないかと。私がふわふわ綿毛のようにその辺に漂って生きていられたらいいのにねと思う。人生に欲しいもの、が十分家の中にあって、ほんとうにもうこれでいいんじゃないかと。いいんじゃないかと思うのだけど、お金は稼がないといけなくて、命がある以上、変化は絶えず訪れて、私がどこかへ裸のままで冷たいつま先をお湯で温めることもできず、扉の向こうへ行かなくていけなくて。みんな、よく生きているねと思う。