情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2016年9月18日

 気に入っているブログが、5月の記事を最後に未だ更新されずにいる。彼の文章や見える世界が好きなのだけどなあ。書くことを生業としようとしている人なので、何等かの目的の為に原稿に取り組んでいるのだと思う。私も最近ブログを更新していなかったと思い至り、はてなブログを開いた。

 早いもので、このブログを始めてから1年が経過した。ここ半年の記事は極めて抽象的で感情が生まれた瞬間の、荒々しい言葉で表した文章ばかりであるが、それでも、整ってない言葉の隙間から当時の自分の様子を見られて、私にとっては非常に愉しい。今後ものんびりひっそりと続けられたら良いと思う。

 

 夏の思い出。初めてスキューバダイビングをした。小さい頃に水泳教室に通っていたので、水に対する恐怖心は全くない。海が好きだと思って生きてきた。しかし、マスクを装着し、器材を身に纏い、海へ入る。そして、レギュレーターで呼吸を始めると 急に恐怖心が私を襲ったのだった。口呼吸に慣れていないこと、水中にもぐる=息を止めるという意識が強く私に根差していたこと、もし海の中で呼吸が苦しくなっても空気がどこにもないこと(背負っているタンクがあるのにね)、そういった要因から、私は少々パニックに陥った。もし…なったら?もし…なったら?不安で呼吸が早くなり、潜ることができなかった。私の基本的なスタンスとして、「失敗したとしても死なないし、周りの人がいるし、なんとかなるだろう」というものがある。海の中ではどうだろうか。海の中では失敗や突然の出来事が、すぐに死に結び付く。ガイドさんは確かにいるが、1人しかいない。こわいこわいと何度も言う私に、ガイドさんは手を握って、私の呼吸が落ち着くように宥めて下さった。お茶を啜るように息を吸って、ゆ~っくり吐くんだよ。その言葉通りに息を吸って、吐いて、吸って、吐いて…そして、ガイドさんと一緒に潜水した。海は、とても綺麗だった!だが、まだその時の私は呼吸を乱さないように、水中でパニックを起こさないように、苦しいと感じても落ち着かせるように、自分自身に集中している状態であった。海の綺麗さ、ダイビングの愉しさを理解するのは、1,2本では難しいと思う。体験ダイビングというコースもあり、気軽にダイビング経験は誰でも出来るのだが、人によっては、それではただ怖かったという感想で終わってしまいそうだな。少なくとも私だったら、毛嫌いして終わっただろうなと思う。私は、ライセンス取得の為に、最初から3日間ダイビングすることを予約していたため、ある意味では強制的に2日目が始まる。1日目、海に対する恐怖心を覚えて終えたため、2日目が始まるまでかなり戸惑っていた。リタイアしちゃおうかな、お金はもったいないけど、こんな怖い思いして潜る意味ってなんだ?と。しかし、心配は杞憂に終わり、全てのプログラムを終えて、ライセンス取得したころにはダイビングの虜となっていた!恐怖心は危険を回避するために必要なものである。ダイビングのリスクを念頭に置いて、冷静に、且つ楽しく潜れたということは、自分にとってかなり良い経験となった。否応にでも精神を安定させなくてはいけない、これは日常生活でも活かせることだと思う。特に私は、心配性だったり被害妄想が膨らんで、1人で不安感でいっぱいになることが日常茶飯事であった。そういったときにも、冷静にゆっくりと落ち着いて呼吸をすること、自分の状況を正しく理解することで不安や恐怖から、少しは解放されるのかなと思う。また、海の中ではコミュニケーションが難しい。なんせ言葉が話せないのだから。日常生活では、SNSなどもあり、常に世界中の他人と意思疎通をしている状態である。それが、海では、隣に居る人とすら簡単なことしか伝えられない。孤独である。その孤独は恐怖でもあったが、心地よさも感じた。ダイビングの魅力は様々あるが、この孤独感も魅力の一つなのではないかと思った。目の前に広がる魚やサンゴ礁を、すぐさま写真をとってSNSに挙げて人々に共有するのではなく、自分の胸のうちで、その景色の美しさを堪能し、感動に包まれる。他にも魅力を感じたが、でもとにかく海の中は怖い(そもそも人間は海の中で生活できないものね)ということを忘れずに、今度またダイビングに行きたいなと思った。