情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2019年11月27日

 恋人の話をしようと思う。

 恋人は限りなく猫に近いが、尻尾は生えていない。

 彼は外側から見るよりもずっと情緒豊かで、よく笑う。一人で話している途中に笑う。私にはまだ何が面白いのか伝わっていないが、彼が「いやー、おもしろかったんだよ」と笑っているとこっちまで面白くなってくる。

 付き合う前は1か月に1回くらいのペースで遊んでいた。内容はいろいろ。ダーツ、ビリヤード、卓球、気になる展示、公園を散歩、カラオケ、ごはんももちろん一緒に食べた。当時の私たちは男子高校生みたいな関係だったと思う。

 そのころの彼は会うたびに違うことをやっていた。仕事をはじめて、仕事をやめて、仕事をはじめて、仕事をやめた。何かをはじめて、何かをやめて、何かをはじめて、何かをやめた。そんな感じだからいつもお金がない。それでも借金もせず、毎月をやり過ごしている。人間、どうにか生きていけるんだなと思う。

 彼は孤独な人だと思う。居場所がないとか、友達ができないとか、女にモテないとか、死んだ人(作家や思想家)としか親しくなれないとか、そういうことをぼそぼそと喋っているのを聞くのが好きだった。ひとりぼっちの彼が好きだった。

 私は彼と仲良くしていたが、一定の距離感を保っていた。私はあえて踏み込んでいかなかった。いつか、いつかセックスしてやろうと心の中でひっそり企んではいたが、それが来週になるか、10年後になるか、想像もできなかった。彼から私の内側に踏み込んでくるその瞬間までずっと友だちでいようと思っていた。

 

 だめだ、考えがまとまらない。話が飛ぶけど、許してね。

 

 私のこれまでの恋愛はおよそ人前では言えないようなことばかりだった。共依存して破滅したり、SMしてたり、ね。(初めからこのブログを読んでいる人はご存知でしょうが……)私の愛や感情が過剰で巨大すぎるのだ。お付き合いするたびに彼が最後の人だと思った。この人と私は一緒に死ぬんだと思った。それくらいの覚悟で人と付き合うと毎日が刺激的で心臓が持たないくらいドキドキした。すごく気持ちよくてすごく苦しかった。早く「彼」と死にたかった。……生き延びてしまいブログを更新しているのだけど。

 今は本当にまともだ。わからない、他の人から見たらまともに見えないのかもしれない。でも、まともだと思う。「彼が私の交際相手です」と言える。共通の知人から、あそこは付き合っていると認識されている。まともだ。すごくまともだ。これまで一度も、そんな経験はなかった。

 私は心中願望の塊みたいな人間だからそういうことを言ってしまうことはあるけど、でもやっぱり彼と一緒に死ぬことはないだろうと思う。なんだったら、彼と一緒に暮らすこともないかもしれない。

 

 なんか、上手に書けない。

 

 恋人も私も4月に住居を引っ越した。それまでは夜に通話をしていたのだが、彼の住環境の都合上、通話ができなくなってしまい私がひどく寂しがって、毎週1回一緒に夜ご飯を食べる約束をした。4月からずっとよく会っている。家が近いから、お互い行き来しやすいのだけど、それにしたってよく会っていると思う。週何回会ってるか、よく分からないくらいだ。

 私がメンタル死んでて何もできなくなっていたときに、恋人がうちに来て私の代わりに家事をやってくれたことがあった。すごく助かった。一緒に住んだらきっとお互いのために良いかもしれないと思った。そういう瞬間もあった。

 でも、ここのところはもう会わない方がいいような気がしてきている。週1回のごはんは、無くなった。わざわざそんな約束しなくても会いたければ声をかける。

 今までみたいに月1回とかでも十分なのかもしれない。私は依存心が強く、寂しがり屋でおまけに性欲も強いので、冗談でなく、毎日でも会いたいけれど一緒にいればいるだけお互いのためにならない。もっと一人の時間を持った方がいいのかもしれない。できないかもしれないけど。

 

 彼はひとりぼっちだから好きだった。私が彼と付き合ったら、私が彼に好意を伝えたら、彼はひとりぼっちでなくなってしまうかもしれない。それは私が好きな彼ではないかもしれない。彼が彼であることの魅力を損なわせてしまうかもしれない。今でも思うよ。彼は、私と付き合わない方が彼の言葉や人生がより説得力を持つだろうと思う。だから、付き合うのは怖かった。最初は付き合うことを考えていなかった。今思えば、本当に最低なんだけど、冥途の土産として一度セックスさせてもらえれば十分だった。それ以降はセックスもする友だちでいいと思っていた。なんか、なぜか恋人になってしまっていた。人間って不思議だ。私が我慢できなくて彼に踏み込んでしまった。

 

 もう祈りみたいに、ずっと恋人のことを考えている。恋人は今頃星を見ている。

 

 私も彼も一人の時間が必要で、自分のことは一人でできるから、2人で住む必要がない。男子高校生みたいに、好きなときに連絡して遊んで疲れたら適当に解散するみたいな、そんな遊び方ができるようにご近所に住めたらいいねと思う。そういう関係がやっぱり一番私たちには自然だと思う。

 

 別れるみたいな書き方をしてしまった。違う。別れない。そういう話ではない。

 

 私は彼と別れてもいい、ずっと付き合っていてもいい、どうでもいいことだ。

 彼が他の人と恋愛をしてもいい、セックスをしてもいい、どうでもいいことだ。

 大切なのは私は彼のことがとても好きで、彼もたぶん私のことを大事に思ってくれていて、お互いが自分らしく生きていけること。それ以外はどうでもいいことだ。各々が一人で生きていくのだ。私たちは孤独でなければいけないので。

 

 思っていた着地点とは違うところに落ち着いてしまった。なんか、下手くそでごめんね。読んでくれてありがとう。またね。

 

2019年11月23日

こんばんは、だんごちゃんです。恋人にもう寝るねってlineしたけど、ちょっと落ち着かなかったからブログを更新しちゃう。夜更かしさん。

 

近況報告がしたいなって思ってたの。ここのところ、仕事で思うことが膨らみ続けていて。一言でまとめると「現状を変えたい」に尽きる。去年の私はずっと家から出たい。自立したい。絶対東京に住みたい。と思ってて全部叶えるために、就活して上京して、それで今に至るのだけど、とりあえずの目標は達成できて満足して半年が過ぎ、気づいたら新たな欲求が生まれてきたよ。仕事がね、面白いと感じる回数が減ってきちゃった。行くのが嫌だなとか、帰ってきて心が虚無に包まれることが増えてしまって、こんな毎日じゃ続けられないよというのが本心。給料も安い。IT業界が肌に合わないわけではなく、今、新人の私に振られる仕事の質の低さに辟易している。作業員みたいな、言われたことだけをやるような、自分で決定権を持てないような、土方のような、誰でもできるような、そういう仕事が多いの。そして同じことの繰り返し。まあ、飽きるよね。私が技術的に秀でた知識があるわけでないから、そういうことになるので自分から積極的に勉強するなり上司に相談するなりすれば状況が変わる悩みであって、今を変えるためになんらアクションを起こしていない私は文句を言えるような立場ではないのだけど、でも、退屈なものは退屈なのだ……。少しでも仕事を通して私の技術力がある、私自身の能力向上に結び付く仕事だったら大変でもモチベーションを持って取り組めるのに、今やらせてもらってる仕事って全然そういう将来的に役立つ部分が少ないのよ。私、そもそもなんでエンジニアを志望したかって、技術的知識を身につければ女でも食っていけるし、最低限生活していけるお金を稼げると思って決めてるから、将来役立つ知識が得られない今の環境じゃ全く意味ないわけ。今の会社で長く勤める気ならそれでもいいかもしれないが、私はそういうつもりもないからさあ。まあ、やっぱりなんだかんだ言って自分で時間作って勉強をしないのがいけないのよね。はあ。当分、勉強よりも小説を優先させたい時期に差し迫っていて、だから勉強していないのだけど、どうにか両立させないといけないのかな。文章が超うまいわけでもないから、文章で食っていけるほどの自信がない、この度胸のなさもいけないのかな。いろんなことをもっと具体性を持って動いていかないといけないな。やりたいことはもうはっきりとしていて、それに向かって走るだけだから、本当に、やらないといけない。すべてのことを。やる。つらいとかだるいとかねむいとか言ってる場合じゃないよ。人生が過ぎていく。人間の時間は有限だ。有限なんだよ。というわけで、現状を変えたい。毎日ウキウキ楽しく過ごしたい。仕事の質を上げたい。もっと文章に集中したい。どうにか現状打破するような、一歩を得たい。表面的には変わらなくても、自分の中で大きく変動する何かに出会いたい。ぶつかりたい。そのためには書く、動く、学ぶ。がんばっていこう。これまでちゃんと悩みを解決して次のステージに進んできただんごちゃんなら大丈夫。できる。やる。行くぞ。

2019年11月4日

だんごちゃんです。だんごちゃんです。

 

はてブはてブで更新したいことがあったのだけど、忘れちゃったよ。メモを取る習慣が完全に終わっており、どんどん記憶や思考が脱走していっています。あーあ。私はしゃべるのが下手で、記憶するのが下手で、人と話すたびに劣等感に襲われます。あの子みたいにもっと上手におしゃべりできたらきっと楽しいのでしょう、みんなから好かれるのでしょうと悲しく思うこと多々あり。それでも会社では一応、どうにか嫌われてなさそうだし最低限仲良くしてもらってて、人間と会話するのも仕事するのもみんなそんな真面目にやってなくて雰囲気でやり過ごしていると覚え始めて、私も力を入れないでいる。でもそんな風に脱力して生きていたらどんどんバカになってしまう。大多数の馬鹿になる。もう、なっているのかな。悲しいな。ツイッターで舌ピアスを開けている人は癌になりやすいかもねっていう内容のツイートが流れてきて、まあ、そうなったらそうなったで一緒に消えちゃおうねって心の中で勝手に思った。まだ教えてない、今言った。情死願望は消滅しなかったし、今でも殺されたいし、痛くされたら気持ちいいんだよ。君が僕を見つめるときの顔は僕しか知らないし、きっとこれまでの人にも見せてない顔だろうって思いこんで優越感に浸る。何か、何かは起きないのだけど、何かが起きてナイフを胸に向けられたら微笑んで受け入れたい。そういう妄想がやめられない。どこか遠いところで名前を無くして生活するとか、二人きりで貯金が尽きるまで遊んで死ぬとか、そういう、そういう、そういうのやめられないの。だから遊んじゃうんだね。毎日毎日明日のことも考えられないや。やりたいときにやりたいだけやる。やらしい意味じゃないよ、やらしいことも含まれているけど。私が書いた文章よりもキャッチ―で刺激的な文章の方が読まれるみたいで、私もずっと性とか死とか昔みたいに語っていればよかったかしらと思う。私は被虐趣味があり、セックスが好きで、男好きで、で?何か問題ですか?いつも暴力に飢えてて自分も対峙する相手も剥き出しの状態にしないと気が済まなくて夢中で夢中で、いつか惰性になっても同じことを繰り返すと思う。飽きてもそれ以外に生きる方法が最早ないのだから。破滅願望から目を逸らしてもちらちら視界に映りこむ。無視できなくてお酒を飲んで走り回ったところで、残るのは筋肉痛だけで何も解消されない。楽しい友人とバカ騒ぎに楽しくカラオケをしても結局は空しく、やりたいことをやってもどこかつまらなくて、最後にセックスしたら落ち着いたって本当に私ってしょうがねえ奴だなあと飽きれてしまった。もう本当に君の体だけあればいいよ。君の体が好きだよ。やらないといけないこと、だいぶ無視してしまったなあ。こんなこと書くつもりなかったんだけど、でも最初に書きたかったこと思い出せなくて、今までのブログみたいに今思ったことを脳内そのまま書き写して、精神ストリップを久しぶりにやってみた、楽しい。ねえ、あとどれくらい生きてればいい?死にたいとかはないけど、なんかもうよくないか?よくない?だめ?会社に行きたくないのかもしれない。仕事は全然簡単だし人間関係も良好だけどもう文章を書く本を読む恋人と遊ぶ以外のことがもうしたくなくなってきちゃった。いろんな人に会っていろんな勉強をしていろんな分野に触れて私と言う人間性を大きくして夢をかなえて収入を増やし理想の暮らしを実現しようとか、もうどうでもよくないか?ああ、だめだよそんな。一時的な悪魔のささやきに耳を傾けるのはまだ早いよ、そのときが来るまでおとなしくしていてね。まだやれるからわたし、だって本当に本当にそう思ってる。どっちの気持ちも本当だから、嘘じゃないから。

2019年10月22日

おはようございます!だんごちゃんです!

今日は祝日なので、会社お休みです。

昨日、酔っ払いながらツイキャスしていたんですけど、ツイキャスで話そうと思って話忘れた小ネタがあるのでブログにしたいと思います☆

 

 

先日、恋人と喫茶店で作業をしていたんですね。作業に飽きて、恋人がネットサーフィンをしていたところ「かよちんの××ブログ」みたいな名前のサイトが出てきたんです。恋人は「かよちんってなに?」って言うので、私が答えてあげたんですよ。

 

私「かよちんとは、かよわいちんちんのことだよ」

 

恋人「……なんですか?」

 

私「かよわいちんちんって、つまり早漏ってことだよ」

 

恋人「……」

 

私「好きな人と手をつないだだけで射精してしまう、かよわいちんちん」

 

恋人「……なんですか?」

 

私「好きな人と初めてラブホテルに行くも、部屋の扉あけた時点で興奮しすぎて射精してしまうんだ。かわいそうだね」

 

恋人「……なんですか??????」

 

私がかよちんのことを教えてあげたのに、こんな反応。ひどいですね。もっと彼女に愛を持って接してほしいと思います。皆さんも恋人には優しくしてあげてくださいね。

 

私が下ネタが好きな上に妄想癖がやばいので、気を抜くとおじさんみたいな下ネタばかり発言してしまいます。それを聞かされる恋人はいつも微妙な顔をします。面白いですね。

 

それだけ!以上、解散!!

2019年9月21日

 頭が痛い日が多い。週末になるといつも以上に眠ってしまう。平日の夜に何かを書こうと思ってパソコンに向かっても言葉が浮かんでこない。本を開けば集中できない。家に帰ってきてからも仕事のことを考えるようになった。明らかに変わってきている。会社に、社会に適応してきている。以前のような、大学に通っていたときのような、哲学的思考が出来なくなっているように思う。頭が悪くなっている。仕事に必要な能力はそれなりに成長してきていると思うが、意識せず衰えている力もある、と思う。悲しい。筋トレをするように意識的に本を読み文章を書き物事を思案しないといけない。私は割となんでもそつなく出来てしまうタイプで、朝は起きられるし理解力は高いし集中力だってあるし最低限の会話もできる。だから会社に通える。会社で仕事ができる。致命的な欠点がない代わりに特筆すべき長所もない。プログラミングはできないし最高の作品を書けたわけでもないし美少女でもない。だから会社に通う。会社で生活費を得るしかない。悲しい。
 今日は恋人と休日を過ごした。と言っても、私の家で各自やりたいことを勝手にやっていただけだ。二人で何かしたわけではない。恋人はいつもシンプルだ。やりたいことをやる、やりたくないことはやらない、以上。恋人はたぶん、私よりもずっとなんでもそつなく出来るタイプで会社で働く能力がある。彼にとっては会社勤めが一番楽なんじゃないかと勝手に前々から思っていたのだが、私が正社員として働き始めて彼がそれを敢えて選ばない理由が分かってきた。正直、決まった時間に決まった場所行き、決まった作業を熟せば1か月困らず生活ができるだけのお金をもらえるのは私にとってかなり楽だ。考えなくていい。これがフリーランスだったら税金のことやらなんやら全部ひとりで考えないといけないだろう、私には確実に向いていないと思う。私は会社で働くことが「できる」。だから「やる」。恋人の場合は会社で働くことが「できる」。でもやりたくないから「やらない」。どちらがいいとかではないが、時々つらくなる。会社で働いていることが悪いことに感じてしまうことがある。上司が云々、同僚が云々と会社の話をするのが恥ずかしくなってへらへら笑うしかなくなる。悪く感じる必要ないのにね。
 最近は涼しくなって夜にお散歩するのが気持ちよい。仕事のことでいっぱいになった頭を鎮めてくれる。頭の中が空っぽになる。これでようやく”遠く”が見える。今日も恋人とお散歩をした。帰る時間になったとき、私は公園のベンチで泣いた。あなたとここでお別れするのが寂しいと泣いてしまった。恋人は寂しさを解消する方法を考えてくれたけど、私はずっと泣いていた。仕事のことを考えてしまう私が嫌だった。恋人と一緒なら、もっといろんなことが見えて考えられて幸せでいられるのに一人になったらまた、余計で世俗的なくだらないことを考えてしまう、それが嫌だったのだ。本当は彼に頼ることなく私が私のままで私として世界に触れていなくてはいけないのに、その能力が失われつつある、ということが寂しかった。だめだめでごめんね。
 今日はヨハネによる福音書を読んだ。かなり胸熱で劇的だ。他の福音書にない奇跡も多く、読み物として面白いと思う。聖書を読む時間を作るのは私には有効だなあ。愛することや信じることについてまだまだ考えたいよ。
 どんな文脈だったか、忘れた。恋人に「信じるってどういうこと?」と聞かれたことがあった。そのとき上手に答えられなかった。今も答えられないけど、できる範囲で試しに書いてみよう。例えばあるカップルがいて、彼氏が浮気したけどもう二度としませんと彼女に誤った場面で彼女が「もう裏切らないってあなたのこと信じてるからね」というとき、これは私の思う「信じる」とは異なった意味となる。例えば親友に会社を立ち上げるから金を貸してくれって言われて「成功するってお前を信じてるよ」と言ってお金を貸すとき、これもまた異なった使い方をしている。このような場面で使用される「信じる」は、相手への呪いを含んでしまっている。期待とか、希望とか、言い方を変えてもいい。相手へ何かを求めている。例え話に出した彼氏や親友が大きな失敗を犯したとき、周りの人間は「信じていたのに」と落胆するだろう。これはとても傲慢だと思う。信じることを決めたのは自分自身なのに、他人の行動で肩を落とすのは間違いだ。だからと言って、「信じていた俺がバカだった」と言い出すのも違うと思う。それは結局のところ「信じていなかった」ということだ。信じる対象がどのようなことをしようと信じること。ただ在るということを在ると思うこと。それが信じること。って、これじゃあ説明にならないのよ。語彙なし女。つらい……。信じることによる損得は本来発生しないはずなのだ。その価値観の外にある。何かを信ずるということ。信じる対象が、あなた自身を傷つけて悲しむことが起こるかもしれない。それでも信じるということは損なわれない。信じることをやめるということには繋がらない。
 恋人と私は考え方(プロセス)としては似ていないのだけど、着地点(結果)が似ているから仲良くしていられるのだと思っている。詳しいことを書こうと思うと、彼の考えについて書かなくちゃならないからやめた。間違って理解してたらやだから。笑。

 

そーんな感じ?はい。明日はお友達とおでかけです。たのしみ!

2019年9月12日

1ヶ月ぶりだね。だんごちゃんだよ!シーシャがおいしくて幸せ~~~。シーシャ吸いながら何をしているかというと、「暇」をするよ。シーシャを吸うと「暇」ができるよ。もう少し稼ぎがあったら毎日シーシャ通いたいレベルで最高だなあ。これは人から聞いた話で、どなたの作家の話か忘れてしまったのだけど、その方は毎日退勤後に喫茶店に行って日記を書くらしいの。そういうルーティンで、会社員から作家に自分のモードを切り替えるのね。なんか、そういうことを私もシーシャ屋さんでやれたらいいなあ。文章を書く時間をもっと生活の中に増やしたいのだけど、どうしてもうまくいかなくて、なんだろう。疲れて寝ちゃったり体調が悪くて何も思い浮かばないとか、まあそういう感じなのよ。卒論を担当していただいた教授に「もう文学はやらないのかい?」って言われて、「個人的にやりたいです」って言ったら「みんなそう言って本も読まなくなっちゃうんだよね」って、ってね、すごく寂しそうにおっしゃってて、それがずっと頭の中に残ってて生活や仕事に精一杯になっていて何も書かない何も読まない時期が続くと教授の顔が思い浮かんで、絶対私は文学をやり続けるぞって背筋が伸びるよ。ちゃんとやるぞちゃんとやるぞって、入社してから4月からずっとそこそこやってるよ。って、言うほど文学をやれているかと言われるとかなり疑問なのよね。でもね、まあ、結構がんばれていると思う。だよね?(実は先週、自分に課したタスクを解消できなくてやばいんですが、甘えです、はい)やるぞ~。生理で腹が痛い。

2019年8月18日

こんばんは、だんごちゃんです。

 

寝る前にコーヒーを飲んだせい(?)で眠れません。クーラーつけてるのに、むんむん暑いしやになっちゃう。ごろごろしてても仕方がないので、起きたらやろうと思ったことを片付けちゃおうと思います。

 

というわけで、おしらせだよ!

 

note.mu

 

web詩誌『傘と包帯』第七集が公開されました!

今回も寄稿しております。主催者は早乙女まぶたさんです。(いつもありがとうございます。)私の作品はおおよそ1万字の短編小説になっています。よろしければぜひ。

順調に継続して、メンバーが増えて、ジャンルの幅が増えて、質も上がっているかさほたすごいね。

私も参加されている皆様に負けないようにレベルアップしていきたいです。

気軽にご感想などツイートしていただけたら幸いです。恥ずかしかったらこっそり私にDMください。

 

最後に、早乙女まぶたさんの序文の好きなところを引用したいと思います。ここだけ読んでもなんだ?と思う方いると思うのでぜひ、全文読んでね。

 

きみが生まれなければすべての現実は発生しなかった。生まれてしまった淀みは、書き換えることで流れていく。 

 

引用元

note.mu