情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2017年10月29日

 今日は台風接近の影響で気圧の変動が酷く、1日中だんごむしになって小説や詩集の文字を齧ったり、ツイッターを眺めたりして過ごしたよ。10月は雨が多い月だったね。だから調子良い日が少なくてパフォーマンス落ちまくり。勉強全然してないの。今も課題やテスト対策しないといけないのに横になったりキーボード叩いたりしているよ。昔からそうなんだけど、締切が迫ってものほほんとして自分がやりたいことを最優先に始めちゃうんだよね。それで間に合ってしまう成功経験が下手にあるから悠々とちゃうんだ。(失敗もあるけど)最低だね!
 昨晩はとっても嬉しいことがあったんだ。何年も鬱積してきた苦悩を軽々と吹き払う言葉を友人にもらった。救われた。帰りの電車の中で少し泣いた。早く最強になりたい。適当な男と寝たいとか、早く誰か私を殴ってくれないかななどとつまらないことを考える隙も無いくらい強くなりたいよ。それは全く必要の無いことだから、私の栄養にならないしね。
 私はまだまだ弱虫だから、今日ももう会うか分からない人のツイッターを探ってネットストーキングしちゃったよ。ろくなもんじゃないです。暇人のやることです。いつももうやめようと思うのだけど、なんか、調べてる。ううーん、未練とか全くないんだけどなあ。怖いもの見たさ、気持ち悪いと分かってて見ちゃう、臭いと知ってて嗅いじゃう、そういうあれ、ですかね。ちなみに調査した内容は、なかなかショッキングでした……。私、まだ、××なのに、あなたは××なんですか、××なんですね……。
 弱虫トークを続けよう。TLに「私の恋人が~」という文字列を確認して感情が動く前にその垢をブロックしようとしてて自分でびっくりしちゃった。ヘイトがやばいよ。他所のカップルに罪は無いぜ。人の幸せを素直に喜べる心の余裕を持ってくれ。
 散文を書きたいと思って、ちょっとずつ散文を書いているよ。(散文って範囲が広すぎる)エッセイ以上小説未満みたいな、ブログよりもかっこよくブログのように簡単な文章をということをね、意識してみたら書き易いことに気付いたのだ。訓練中の身なのでとりあえず小さい文章をぽつぽつ発表していけたらいいな。アイデアの集め方もコツを掴んだ。アイデア、溜まってきた!文章化する時間を少しずつ生活の中で見つけていく。140文字のツイノベルは急に降りてきた文章をばーって書くみたいなことが多かったけど、星空文庫に載せるものはアイデアを出して、少し寝かせてから文章に起こしている。この段階をクリアーしたら文章に起こしてからも数日寝かして推敲して、を繰り返し1000字~3000字よりも長い文章が書けるようになるといいなあ。文章書くのって楽しいね。全然上手に書けない、自分のイメージする完成形に近づけないのだけど、筆を折らずに形にし始めてるのでえらい。いつも最後の方がいい加減になっちゃうから気をつける。あと、もっと書くスピードを上げたい。たった3000字で数時間も経ってた。
 今までは小説が書きたいと思っても「別に雑誌に投稿するわけじゃないし……」「文フリに出たいわけじゃないし……」「ましてはプロになんてならないし……」とやらない言い訳を見つけて書いてなかったのだけど、最近は書きたいから書く!が出来てる。よかった。自分の欲望に素直になれて嬉しいな。性欲が創作欲に変換できているとも言う。
 そもそも旧だんごむし時代はツイッターでポエムみたいな奇怪な文章を生みだしてたのだけど、どうやって生んでたんだっけ?と電車の中で思い出してたの。あれはね、多分まず最初の単語を考えてからあとはそれに続く言葉を連想して並べただけだね。よい例が多分ブログにどこかにメモしてあるんだけど探るの面倒臭くなっちゃった。140文字のツイノベもそんな感じに近いな。そういうのは、面白くなるときと全然面白くないときの振れ幅が酷いからメモ帳にたくさん出して良いやつだけ発表するのがいいかもね。あとでネタになるかもしれんし。

slib.net

確か↑はツイッターで連想式に書いたやつだった気がする。何も考えてなかったけど、それなりに面白いことしてたのね、私。
 なんだっけ。書きたいこと忘れちゃった。えっとね、なんだっけ。そう、今NHK土曜ドラマで「この声をきみに」という朗読をテーマにした作品が放映されているのね。毎回良い詩と良い脚本、良い俳優さんの声が聞けて幸せになる作品です。私は大変注目しているのだけど、前回が短歌を朗読する回だったの。『回転ドアは、順番に』という短歌集を主人公を演じる竹野内豊さんと朗読教室の講師役を演じる麻生久美子さんが交互に朗読していく、というシーンがあって、それがそれが本当に素晴らしかった。『回転ドアは、順番に』の内容を公式HPから引用しますね「ある春の日に出会って、ある春の日に別れる男女の心情を、詩人の穂波弘さんと東直子さんがお互いの言葉に刺激され合いながら順番に綴った恋愛問答歌です。」ということで、もう、これだけで短歌集の素晴らしさが伝わると思うのですが、それに付け加え竹野内さんと麻生さんの声で読まれるんですよ!!この!!興奮を!!伝えたい!!みんなに見てほしい!!すごい!すごい!官能的で最高だったんですよ!!!!!!ひやああああ。ぞくぞくしました……あんなの見せられちゃったら……あんなことしちゃったら……恋に落ちちゃう……。だた短歌を読んだだけなのに!?偶然居座った二人が交互に読んだだけなのに!?なんで!?すごい!??!?!?!?すごいよ!!!!!!!!!!!興奮のままにドラマを観た次の日に大学の図書館に行って短歌集を借りようと思ったら、なぜか置いてなかったがっくし。読みたい……。あの官能的空気をもう一度……。ね、だから言葉は肉体的接触よりもうんと官能的なのです。言葉を交わし合うことは相互の精神を溶け合わせ、一体化させることなのです……。はあん。普段は心に中学二年生を飼っている私ですが、あのときだけは女子高に通う初心で夢見る乙女になっちゃったよ。よかったなあ。

 うう、文字だけ見ると超元気だ。こんなに頭が痛いのに!絶対私元気じゃん!!元気だ元気だ明日もがんばろー。今週も面白いことがたくさんあるんだいいでしょ。それにハロウィンだからね、サンホラの『朝までハロウィン』って曲をみんな聞いてね。ばいばい。

2017年10月26日

朝 電車の中で

 

衝動的に動いちゃうとか欲望のままにとか何も考えてないとかバカとか頭がおかしいとか、よく見る分かりやすい言葉に変換して過去の行動を説明する私は私にとても不誠実だ。楽な方へ流されている。当時の自分と向き合い、言葉に落とし込むのは体力が必要だから話すときには諦めている。家での宿題にする。それにしたって、よくもまあほいほい否定できるものねと呆れてしまう。その時の私が私なりに最善の選択をして命懸けで生きてただけなのに、言葉にすると陳腐で、音にするとエンタメでしかない。私が私を消費させてしまう。想像しやすいキャラクターを私に与えてそれを提供すれば一定の承認を得られるし、私は浅ましいからどんな形であれ喜ばれたら満足してしまう。ごっこ遊びは楽しいけれど、もう少し自分を守ろうね。防衛のつもりが消耗している。小さく削れるからこの程度なんともないわねと無視している。いずれぽっかり穴が穿つ。コマンドが褒めるしかないと思っていたけど、あれは嘘だ。褒めるに加えて自虐もある。笑える自虐のつもりが心身ヒリヒリ擦り切れて、あーあ自尊心を育て忘れたなあと思う。一気に全てを改善することは難しいからひとつずつ捻れた配線を整えて、ぱちりと電源をつけたら穏やかな母のような微笑みが付くといいな。変に素直だから嘘がつけなくて「大人の対応」でやり過ごせない。いちいち気にしてしまえば部屋に逆戻り。一応、社会の歯車になろうとしているのだから、少しは我慢を覚えてうまく発散していく。

 

2017年10月25日

眠る前の覚書

 

書きたいことと読みたいことがたくさんあるのに毎日気付くと眠る時間。眠ったら忘れてしまう些少なものの保存状態を良好にする時間が生活には必要だ。私の頭は小さ過ぎる。忘却を拒否したい瞬間に出逢える日々。幸せだ。私もあなたも忘れても私の日記帳は覚えている。どちらの手で傘を持ち、はじめに何を注文して、何度「つらい」と発言したのか。どんな味の身振りと、何色の表情をして、言葉からどんな薫りがしたのか。全部忘れたくない。この執着もいつか手放せるのでしょうか。全てを失ったときに私は笑うのでしょうか。剥奪を望む心はまだ眠らせて今は生きよう。夜に眠るのも生命活動のうち。おやすみなさい。

2017年10月22日

だんごちゃんだよ~。頭が痛いのでお布団でうつ伏せになってブログを書いているよ。

 

 今日は家族で選挙に行って、その足でいきなりステーキで肉を食べたよ。選挙の日に家族で外食って週末家族でディズニー並みにバクワラだね。私が、いきなりステーキは行こうと考えた時点でいきなりステーキではなく、計画的ステーキになるというパラドックスを父に言ったら気に入って「いきなしステーキに行こう」とか「直前まで迷っている振りしてお店が近づいたら行くって決めるんだ、じゃなかったらいきなりステーキじゃないからね」とかしつこく言ってた。
 数日前まで今回の選挙は私には関係無いのだと思っていた。投票権が無いなら一生懸命テレビやWebニュースで小池さんがなんだ枝野さんがなんだと情報を追い掛けても仕方が無いと思い、無視して暮らしていたよ。なんで勘違いしてたのか理由は分からないけど、私も投票に行く権利が一応あると気付いたのでよかったね。結局、情報集めることもせず語感の響きで投票してきた。
 ツタヤである邦画を借りに行ったら置いていなくて取り寄せしてもらうことにしたよ。取り寄せ初めて。ちょっと高くなっちゃうのね。仕方ない。私の地元のツタヤは邦画のスペースを縮小して韓流コーナーを拡大している。行く度に広がっている。邦画はさらに国内ドラマと一緒くたにされているので、本数が明らかに減っている。客のニーズに合わせてフロアを作るのは当たり前だけど、あまりにも悲しい。私の地元の書店も最悪なんだ。文庫コーナーの平積みがハヤカワ官能小説河出文庫官能小説ちくま学芸文庫みたいな並びになっている。
 おうちに帰ってから本を読もうと思ったけど、低気圧に負けてぐっすり熟睡。夢を見たよ。「雨が降っている」から始まる連をいくつか重ねた詩(実際に書いた記憶は無い)を知らない人に盗作されてそれは私の詩だぞ!と怒っていた。台風が来ていることよりも、ツイッターアポリネールの詩の画像を見たことに影響を受けているのだろう。折角なので「雨が降っている」から始まる詩でも書いてみようかね。そして誰かに盗作してもらおう。正夢は自分でつくる。
 それに、そもそも私は台風が来ることさえ知らなかった。誰に許可取って台風来たの?私何も知らされてないよ?報連相徹底してって新人の頃に散々教育したよね?今、入社して何年?ねえ、いい加減覚えてくれないと困るよ。給料に見合った仕事をしてよね。明日の学校、午後からになった。
 最近は何をブログに書いても、前にも同じ記事を書いたような気がする……というデジャブに襲われるよ。実際同じことを書いているんだと思う。同じこと書いて気付く人はいないと思うけど、こいつまた同じ話を繰り返してると思ったら老化が始まっているのだと埼玉県の方角を見て憐れんでください。あー嫌だ嫌だ。
 オタクなくせにオタクからはみ出してしまった私はオタクの閉じた語彙では物足らず、大衆の言葉は理解に苦しみ、ふらふらひとりで気ままに語彙力を育ててきたのだなあと思う。オタクにもメンヘラにもサブカルにもアイドルにもなれなくて悲しい気持ちだった過去の私に少し答えを与えられた気がする。何者にもなれなかったけれど、私はだんごちゃんになれたよ。だんごちゃんがいろんな世界に連れて行ってくれるから、私は毎日楽しく生きている。
 そうそう、いきなりステーキで母親だと思われる女性が子ども二人に向かって「ちびども!車に戻れ!」と言っていたよ。お母さん、海賊の女船長に違いないね。いいな。授業参観日にお母さんへ感謝の作文にこうやって書くんだ。「僕のお母さんは主婦だけど、本当は海賊です。僕たちにお宝をたくさんくれます。ビンの蓋や、公園に落ちてたかっこいい石、きらきらしたボタンをくれました。僕も大きくなったら海賊の船長になりたいです。」


 もう少しお話していたい。ちょっと寂しいからね。でも、何を書いたらいいか分からないや。頭に浮かんだことを筆記してみる。解毒したいなあ。寂しさがどこからやってくるのかさえ分かったら対応できるけど、曖昧模糊として見えないのよね。あっちから来てると思う、とだけ。私は全てを赤裸々にしたっていいけど、周囲の人に迷惑かけてしまうのは嫌だ。こっそり耳打ちしてあげる。精神を露出させることで面白いことがあるのでしょうか。精神を露出させることそれ自体がみんながやってないから面白いことなのか、特別な精神だからこそ露出させることが面白いのか。肉体的露出は興味無いです。ハリボテってよく言われるけど、見た目に内容の無さを凌駕するだけの魅力が無いだけで、圧倒的に見た目が素晴らしければ内容が無くてもかっこいい。私がそれを出来ないからなおさらかっこよく思える。出来ないことをやろうとしてた。私は私ができることをやろうと思う。私のマイナス面をプラスに転じる努力よりも私の長所をより伸ばす方が楽しいと気付いたんだ。長所を長所として認められるまでが長かったのだけれど、きっともう大丈夫。自分のための儀式も考えたし、愛せるといいな。誰かツイキャスしてくれないかな。人の声聞いていると落ちつくから聞くのは好きだ。通話相手がいない。私の友達は突然私に電話してきたりして、それがかなり嬉しい。彼女の図々しさを私が許してくれるって思っていることや、話したいことをすぐ連絡してくれる気持ちが嬉しい。私は誰かに突然電話なんてできないな。申し訳なくて。一度くらい思い切ってやってみたらいいんだろうけど。女の子に甘えるのが極端に苦手だ。女友達はいるけど、女の子の前で落涙したりできない。私の中の見えないミソジニーが女を馬鹿にして信頼してないのだと思う。すごく友人たちのことを感謝してるし好きなのにな。それによっぽど男の人の方が私を傷つけて信頼できないようなことするのに、変だなあと思う。女性に私の弱いところを開示できるようになりたい。20歳になってから新たに友達になったのは、思えば男性しかいない。恐ろしい。高校生まではあまり男子と会話をしない初心な(というか喪女)女の子だったのに何がどうしてこうなった。弱いところを女性に見せられないから恋愛対象が男性なのか、単純に男好きなのかここは審議の必要がある。男の人ならだれでもいいぐらい男の人が好きなので、たぶんただの男好き。男(概念)に常に恋してる感覚がある。私は私の理想を映した概念が好きなだけで、どんどん現実の存在と乖離して、結局人間はくそだ…といういつもの結論に辿り着く。ちゃんと地に足着いた「人間」を好きになろうね。素敵な人間の小さな所作が募って募って心の中がラブで満たされて対象不在で愛してる~!!と叫びだしたくなるときがある。意味不明ハイテンションラブ。自分の中で勝手に愛を思うのは自由だけど、愛を誰かに届けようと思うと両者に責任が伴うから迂闊に発信しちゃだめよ。愛を貯金しておきます。10年くらい。うっかりやると地獄を見るのは知ってるんだ僕は賢いからね。それにあなたそれ、個人宛じゃなくて人間宛ですよ。人間宛のラブはどこに届けたらいいんだろうねえ。詩かなあ。物語かなあ。ラブレター書きたいなあ。まあしかし、みんなのこと大好ききゅぷりん☆なテンションになる日があるというのはいいことで、それまで嫉みばかり心でとぐろを巻いていたから、それよりは幾分かマシ。まじで。はやく存在を消したいな。はやく存在を消したいな。そうしたら愛が伝わるのだけどな、私が人間であるうちは困難だ。ゆるゆる。それはそうと、意識を飛ばしたい場合はどうしたらいいのかな。意識ってひとりのときはどうやって飛ばすかな。意識氏~飛んで下さい~。意識氏が飛ぶ時間ですよ。意識氏~。

 

また会おうね、だんごちゃんでした。

2017年10月20日

こんばんは。ねむい、だんごちゃんだよ!ここで使われている「よ」は終助詞だよ。主張の意味があるよ。あまり連続して使うと主張がうるさくて嫌われるから注意だよ。詳しいことは日本語教育の本を読むよ。←「よ」を使おうと必死で語末が誤っているよ。たまには日本語の機能に注目する遊びをすると楽しいよ。言語学はこのサイトがおすすめだよ。私は勉強サボってるよ。⇒東外大言語モジュール

 

 

 

ナマケモノになりたいねえ。「閉鎖生態系」って言葉が好き。

 

 

今日は軽く躁だったな。おてちゅけ。落ちつくと途端に恥ずかしくなる。恥ずかしい。羞恥を抱えて生きていかねばならない。険阻な道だ。明日のことを考えて生きるのは恥ずかしい。教科書を忘れることは恥ずかしい。お金を稼ぐことは恥ずかしい。せっくすを語るのは恥ずかしい。無知を晒すのは恥ずかしい。男の子と話すのは恥ずかしい。すずめを愛でるのは恥ずかしい。雲を動物に例えるのは恥ずかしい。昔の音楽を聴いているのは恥ずかしい。誰にでも連絡するのは恥ずかしい。恋人と別れるのは恥ずかしい。筋が通らないことは恥ずかしい。動物園で迷子になるのは恥ずかしい。詩を発表するのは恥ずかしい。誰かに認められるのは恥ずかしい。爪が短いのは恥ずかしい。クリスマスコフレが分からないのは恥ずかしい。目を見つめるのは恥ずかしい。空気を読めないのは恥ずかしい。悪口を言うのは恥ずかしい。天啓を受けるのは恥ずかしい。家に帰るのは恥ずかしい。全てをやめてしまうのは恥ずかしい。大卒は恥ずかしい。女なのにヒールを履かないのは恥ずかしい。孤独を誤魔化すのは恥ずかしい。味噌汁が美味しくないのは恥ずかしい。毎日歯を磨くのは恥ずかしい。花をインスタグラムに投稿するのは恥ずかしい。メンヘラツイートするのは恥ずかしい。野球でトンネルするのは恥ずかしい。車が買えないのは恥ずかしい。言い訳をして何もしないのは恥ずかしい。不倫をしないのは恥ずかしい。ラーメン一杯完食できないのは恥ずかしい。作者を褒めるのは恥ずかしい。ハグするとき手に力を入れないのは恥ずかしい。スマートフォンの画面が割れているのは恥ずかしい。部屋に生活感がないのは恥ずかしい。他人のブラジャーを盗むのは恥ずかしい。人間は恥ずかしい。

 

 今日は「グモ」って言葉を覚えました。アニメの録画に失敗して萎えてます。
恥ずかしいことを言いたい。言えない私は弱っちいのです。でも言ったところで虚しいです。届かないのに伝え続ける馬鹿にはまだ成れずにいます。あなたはどうですか?

 

 

2017年10月18日

全然暇じゃないし課題とかタスクが積み重なってるのに元気でなくてインターネットの海に潜水してたら私のエロ画像()がその辺転がってて一度公開されたものは二度と消せないって分かってるけど私がその世界から足を洗ったんだから(というとなんだか悪いことしたみたいだ)頁から消去するでしょ?と思って吃驚してアップロードしている本人に連絡した方がいいのか。面倒臭いから顔写ってないし放置するかなと思う。私の知らない誰かが《私》を知らない状態でその画像を保存するかもしれないと思うとかなりエモい。「僕はこういう画像みたいなプレイがしたいんだけど…」「その画像の女の子、私ですよ」なんてことがあり得るのである。笑える。いつだがオフ会した男性に(あれスカイプしたときかな)だんごちゃんの自撮りで抜いたよと言われてあれもかなりエモい気持ちになった。良いお勉強になったので感謝している。それからは開き直って自撮りをツイートするときは私で抜いてくれとか言ってた、頭がおかしかったので。性を売る仕事をしてるわけでもない一般人がそんなことを言っていては大変だ。私は何を得ようとしていたのか。魂を削ってまで何が欲しかったのか。我ながら哀れで泣けてしまう。傷ついた末の私はちゃんとかっこよくなってるよ。雨で寒くて頭痛くてごろごろしてばかりだ。めそめそ。地獄から抜け出したい。今も天井が落ちてきて私の上に落ちてきて潰れて蟻んこを殺した時に出てくる黒い汁になっている。冬を乗り越えられる自信が薄れてきた。あ、でも昔にこのブログの記事を読んで抜いたって言ってくれた人がいてそれはちょっと嬉しかった。普段は蓋をして無視している記憶が自由奔放に自意識に挨拶しにきて罪人の気持ちにさせるんだ。階段から転げ落ちないように必死に歩いた。もう何も考えたくない。私、私がいけないんだろう。私がいけないんだ。みんな忘れていく。次へ?折り合い?くるしい

 

 

 

 

なんてことは全部うそで、ここからが本題だよ!

今のツイッターのだんごちゃんのアカウントはリアルなフレンズにもフォローしてもらっているため、健全に行こうと思っているせいでくそくだらない下ネタをどこにも放出する先がなく、結局ここに集めてきちゃうんだね。

それでは、これより下書きツイートの供養を行います。

 

「えー!まだ性器使って性行為してるのー!だっさーい!今は使わないのが主流なんだよー!」

 

はい、こちらのツイート、考え付いたときは私wwww天才wwwwと思ったのですが、何も面白くないですね。性器使わない性行為とか遍在してるしね。次!

 

「人間の性行為を観るな、とんぼの交尾を観て抜け」

 

こちらは季節を意識したツイートですが、ひどいですね。呟かなくて正解でした。

 

「先生が『大根』を『だんこん』と板書するから私の中の中学生が昨晩読んだ官能小説で見た!と騒ぐ」

 

これくらいは、呟いてもかわいくない?かわ…可愛い…可愛…くないですね。はい。

 

「CDがかわいそう←意味不明」

 

これはね、文脈がないと理解できないメモですね。確かフォロイーがAKBのCDが大量に捨てられたニュースに言及しててその中に「CDがかわいそう」という言葉が出てきたんだね。私、思わず失笑してしまったのですよ。CDがかわいそうって何言ってるんだろう、CDはかわいそうじゃないでしょう。CDの制作・運搬・販売に携わった人びとの労力を侮辱する行為かもしれないが、CDはかわいそうじゃないでしょう。CDに魂無いしお金で買ったものだし。とか、言うと魂の定義やらなんやらややこしいことになるのでこれ以上はやめます。私の倫理観が……。

 

「大声を上げて泣く赤ちゃん、羨ましい」

 

うむ、私が泣きたいよね。大声で電車の中で泣きたいよね。あやしてほしいよね。願ったものが全て手に入る赤ん坊の時代に戻りたいですよね。

 

「意味がないことをしたい」

 

疲れているのでしょうか。山積みのタスクから現実逃避しているのだと思います。大丈夫です、おおよそのことには意味がありません!おめでとう!おめでとう!おめでとう!

 

「だんごちゃん22歳!趣味は怨念を燃やすこと!」

 

いらいらしてますね~~~いらいらしてますこの女!何があったんでしょ。草です。

 

 

まとめるとくそつまらなくて私つまんねーおんなだなーーーーっておもう。もっとイケてるツイートしたいよ……ツイ廃の道は険しい。がんばろ…。

おしまい☆

2017年10月17日

 こんにちは、だんごちゃんだよ!今日は大切な講義があったのに、うっかりうたた寝してノートにミミズをいっぱい書いちゃった。だんごむしもいたよ!明日は就職について面談?みたいなことをするんだって。だんごちゃん的には、ダイオウグソクムシの人気が羨ましいって相談してみるね。

 

 大学の図書館の前に、システムはよく知らないのだけど、とにかくリサイクルとして本を無料で持って帰れるコーナーがあるのね。いつもは雑誌が多いのだけど、今日は珍しく文芸書が入荷しててだんごちゃん初めてそこで3冊引き取ったよ。
 ひとつは、詩や句をまとめた手のひらサイズの某文学会の同人誌。奥付に著者50人の名前と住所が書いてあって時代を感じる一冊。自分じゃなかなか手に入らない(手に入れようとしない)から、思わず貰ってきちゃった。テーマが「反戦」なもんで、内容や書かれていることはかなり強い。
 ふたつめは、何十年も俳句を詠んだ男性の個人句集。家族に奨められて上梓したみたい。立派に働いて、趣味の俳句も倦まず弛まず詠み続け、家族に恵まれて……。知らないおじいさんなのに素朴な幸せを感じてこの句集の存在に目頭が熱くなった。俳句はとても落ち着いて優しいものばかりだ。こちらも自分じゃ絶対読む機会無かっただろうな。リサイクル本棚に函入りの句集が5冊くらい並んでて、全ておそらく自費出版のもので、私は青色が好きだから青い函を持って帰ってきたの。
 さんさつめは、粟津則雄先生の新書!これはラッキーだった。しかし古いねえ。

 

 ツイッターをうつらうつら覗いたり、全く知らない人の句集を入手したり、世の中には文芸作品を創作して発表している人がたくさんいるんだなあと改めて思ったよ。すごいねえ。私が知らないところで今も新たな世界が生まれているのだねえ。しみじみ。だんごむしをつんつん転がして遊んでいる場合じゃないぞだんごちゃん!

 

 急に、二階堂奥歯の話するね。思い出したから。書店でアルバイトしていたとき、閉店後本棚の整理をしていたら偶然『八本脚の蝶』が入荷されていることに気付いて、誰が仕入れてくれたのだろう、この辺りだから店長の担当かなあなんて思ってそわそわしたんだ。私はすでに購入してたから、誰かに買われるのを楽しみにしてた。そして日が経った閉店後の掃除中に『八本脚の蝶』が無くなってたことに気付いた。あれは売れたのだろうか、それとも取次に戻されたのだろうか。私がレジをしてたときには誰も持ってこなかったから分からない。誰かの手に渡っているならとても嬉しいなあ。今Amazon確認したら、新品が売られてなかった。出版社に問い合わせればあるかもしれないから、欲しい人はHPを見ようね。おしまい。