情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2017年3月6日

 

 

ブログを更新するかなと思いながらも特に書きたいことも無く今日まで過ごしておりました。お久しぶりです、だんごです。

 

一週間弱、体調を崩しておりました。

 

だめだ 文章が書けない 思うことから離れていく

 

私に足りないのは想像であった。

私に足りないのは創造であった。

私に足りないのは孤独であった。

私に足りないのは虚無であった。

私に足りないのは野望であった。

私に足りないのは私であった。

それは、私だった。私が足りていなかった。

私で私を満たすことの尊さを、幾度と理解しながらも見失う。

 

2017年2月11日

こんにちは。土曜日ですね。

 

来年度の単位取得計画を練っていました。前々から計画してあるので、確認程度のつもりでしたが、計算してみたら卒業単位に足りていない…。慌てて資料を開いて計算し直しました。うん、数え忘れがあっただけでした。一安心。

私の努力次第では、来年度の間に卒論以外の単位は取得できることになっています。努力次第、と書いたのは、通信制だからです。私が一生懸命レポートを書いて提出しさえすれば、ということですね。具体的な勉強計画までは立てていないので、これから計画していきたいと思います。何月までに何本レポートを提出できるのか。そして、テストは合格するのか。ハラハラドキドキですね汗。

相変わらずバイトしてないので、勉強する時間は人一倍あるのです。頑張ります。できれば、前期のうちにできるだけレポートを出してしまいたいと思っているのです。というのも、後期は新しいことにチャレンジすることを決意したからです。将来の職業にも関わる選択で、通信制だからこそ経験できることでもあります。

そして再来年度には卒論と、資格の勉強と、バイトに集中できるとといいなあと考えているのです。バイト、したい。それはお金が欲しいということももちろんですが、経験が欲しいからです。経験がなければ、と思うのです。

 

2017年1月30日

風邪をひきまして、鼻水を垂らしながら記事を書いております。皆さま、うがい手洗い忘れずに。マスクをしてお外に出ましょう。こんばんは、だんごちゃんです。

 

だんごちゃんって名乗るのは、少し抵抗があるのだけれど…。まあいいか。

 

今日は新たな自分に気づいてしまいまして、それを記録しに来ました。自分の内面とはかなり向き合ってきた方だと思うのですが、まだまだ見知らぬ私がいるのですね。

 

なんとですね、私、主婦が主人公の小説を読むと腹が立つ!!!!のです。

 

もう、びっくりですよ。客観的に作品を論ずることができないんです、感情が荒ぶるのです。作品を読んで、感動したとか胸糞悪かったとかそういう感想を抱くことは素晴らしいことです。でも、それで終わってはいけないのですよ。私、娯楽で読んでるわけじゃないので。講義で扱う作品なので!!日々私は感情でモノを言ってはいけないとチクチク自分自身に言い聞かせているし、実践できていると思うのです。そんな私が、感情に揺れ動かされている!!感情が生まれるのは当然です。その作品が優れている証拠でもあります。しかし、感情をただ、個人の感想で終わらせるのではなく、その感情はどこから生まれたものなのか、作品の中、あるいは自分の中から見つけるのです。その作業が、作品の深い読解に繋がる可能性があるからです。または、一旦感情を置いておいて、作品の構成やテーマを読み取るべきなんです。一方的に自分の感情を作品、作者にぶつけるのは個人的な場所でするといいのですよ。私、苛立ってます!と大声で叫ぶのは日記の中でいいんですよ!!!!

というわけで、作品を読んでグループで話して発表するというありきたりな講義が一転して、苦痛になってしまったのでした。私、この作品に対して感情的にしかなれないよ~作品との距離感が掴めないよ~うえ~ん。

で、その主婦が主人公の小説に何のうらみがあるんでしょうかね私。主婦になったことがないから感情移入できないっていうことは、ありえないと思う。つまらないとかじゃなくて、腹が立つってところに何か、主婦へのコンプレックスのような嫉妬のような軽蔑のような黒々とした理由が存在している気がして、あまり考えたくありません!!

 

実は他にも腹が立つ物語ってあるのです。へたっぴな恋愛ものです。恋愛の問題って、大抵がコミュニケーション不足か、本人の覚悟が足りないところに原因があると思うんですよ。だから、夫に不満があるとか息子が言うこと聞いてくれないとかって書いてあると私は「話し合えよ!!!!!!話し合えないなら諦めろよ!!!!!!!」となっちゃうんですよ。本当にこれ良くないよなあと思うのです。ちょくちょく出てくるこの癖。

 

嫌な思いをするならさっさと別れればいいし、別れたくないなら腹をくくれこの野郎!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ふー、すっきりした。いろいろ文句言われることを書いた自覚があるので、本当にごめんやで…ごめん…わかってる……人類は皆、私と同じ考えじゃないってこと………ごめんね…

 

別れたいけどどうしても別れられない理由が丁寧に丁寧に書いてあるやつは好きだよ。

そこがあまり丁寧じゃないとむかついちゃうんだよ。

2017年1月19日

だんごちゃんのツイッターアカウントを消した。彼女を殺した。

 

窒息死そうになる。言葉が喉につっかえて、排出口を探している。どんな意味の無い言葉でも、不格好な文章でも、文法が間違っていても、語彙が拙くても、私の言葉には価値があると、私が言い聞かせて、私を尊重していくこと。私として存在すること。

 

隙間を埋めるように物語を読む。きらきらとして、どろどろで、私には無いものばかりだ。それでも登場人物たちの悲しみは私の悲しみに似ている。私の孤独は、彼女の孤独に近い。それが勘違いでも、自己中心的な物語の読み方でも構わない。私がそう思うということだけが、事実。だって、フィクションなんだもん。ノンフィクションも読んだけれど、文字媒体として出版され、他者の私に伝わってきた物語、私が咀嚼し飲み込んだ時点で、作者の人生とはかけ離れたものになる。私の好きなように味あわせてほしい。

 

非日常の無い日常が送れない。毎日が虚構で溢れていますように。

 

私が書きたいことって何だろう。私は何年も考えている。何が書きたくて、何が言いたくて、何が伝えたくて、私は言葉を書こうとするのだろう。排出欲にしては、綺麗なものを求めていると思わないか。排出するだけならチラシの裏でいいのに。私は私のこれをぐちゃぐちゃに丸めて捨ててほしくない。できれば、本棚の隅っこに置いておいてほしい。埃かぶってもいいから、捨てないでほしい。伝えたいことは、いつも変わる。でも、すごくわがままな欲求であることは確かだ。相手を楽しませる気もなく、社会に警鐘を鳴らしたいわけでもなく。なんでだろうね。お願いだから黙ってて。

 

言葉にならないものなんて、なんの価値もないのに。と、書いた、あなたのブログの一文が、すごくすごく好きだ。私にはまだそう言い切れるだけの力が無い。でも、あなたの主張はすごく魅力的で、私もその立場に行きたいと思った。言葉にならない気持ち、言葉にならない景色、言葉にならない瞬間。そういうものを、言葉にならないという言葉でごまかすことの無い力がほしい。言葉で言い表すことができない自分の落ち度を披露している場合ではない。言葉で表したいよ。

 

その辺の誰よりもだんごちゃんは、だんごむしだからね。じめじめしてるんだ。そろそろ太陽の光を浴びたい。

2017年1月8日

満たされない。煙草が吸えない喫煙者のようにいらついている。手持ちを代替品とするも、我慢できない。焦燥感。マッチに火がつけられない。

 

私にはやるべきことが山ほどある。やるべき期限がすぐ目の前に迫っている。そちらに意識を向ければ、今感じている苛立ちを抑えることができるに違いない。それをやらないのは、私が馬鹿だからだ。

 

小説を買った。百合の香りがする。その本を枕もとに置いて寝た。翌朝、私の隣には、枯れた花びらだけが残っていた。

 

髪の毛を切った。美容院のお姉さんは愛想が悪かった。しかしそれは彼女の癖のように思えた。笑顔が少なく、私の注文に対して「それでいいんだ」と言いたげな返事をする。特に世間話をすることもなく、サクサクと切り落とされていく私の髪の毛。毛先がひどく傷んでいることに気付いたお姉さんはヘアートリートメントを勧めた。私は貧乏なのでそれを断った。すると、またさっきと同じ返事だ。「そうですか」と。

 

底のないコップなのだと思う。おそらくとても小さい穴が空いている。小さい穴は、ガムテープで塞ぐことができる。でも、ちょっとした衝動に弱い。すぐに剝がれて中身が漏れていく。少しずつ確実に減っていく。そして飢えたコップはまた水を探す。冷たい水を下さい。できたら、愛してください。というのは、あの有名な曲の歌詞だけれど。

 

私を見てください。

 

 

2016年12月22日

目覚めたとき、舌の先端に痛みを感じた。就寝中に噛んでいたのだろうか。それとも前歯の裏側に強く押し付けていたのだろうか。初めてのことで少し驚く。そもそも昨日から舌の調子が悪い。口内炎が出来ている。なんとなく側面がヒリヒリする。疲労か、ビタミン不足かどちらかであろう。

TwitterのTLは逃げ恥の話題。私は録画組だったため、ネタバレが恐ろしくブラウザを閉じた。普段なら、すでに出勤している父がリビングに居た。父の親戚に不幸があり、今日がお葬式なのだそうだ。私にとっては遠い縁の方なので、父の喪服姿を家で見て笑うだけ。父は家を出るまでに時間があったらしく、仕事をしていたらしい。転寝していた。

逃げるは恥だが役に立つ』を観る。間違いなく、今年一番のドラマであろう。いろんな感想がすでにインターネットに書かれているので私は手短にしておく。私自身、常識から外れた普通じゃない人間である。だからこそ、逃げ恥の最終回は胸に響いた。普通や常識の枠からはみ出ても、幸せになれる希望をそこに見た。私は理屈で物を考える習性があるので、みくりちゃんや平匡さんが何度も考えて話し合い、感情を言語化して論理的に物語を展開していくところが観ていてすごく気持ちよかった。

次のクール『カルテット』はまず俳優陣が魅力的だし、脚本も『最高の離婚』を手掛けた坂元さんらしいので、必ず観たい。

 

もう12月も下旬で、そろそろ一年を振り返ったり来年に向けて目標や計画を作らねばと思う。が、頭がうまく回らないので困る。

 

家に帰るときはお帰りなさい、寝るときはおやすみなさい、ご飯を食べるときはいただきます、感謝を伝えるときはありがとう。ただそこにあるだけの、ひかり。ひかり。ひかり。君が通ってきた道は誰かが真似することのできない大切なもの。有線から流れてきた音楽が印象的だったのに、お構いなくハンバーグを貪る。フォークは汚しても、爪の中までソースが入ることはないでしょ。私の共感能力は、嬉しいことには鈍感で悲しいことには敏感で、それが良いことがどうかは分からない。共感性の低さで傷つけた。私は傷ついた。でもわからないんだからわからない。理解し合うために言葉があるって知ってるよね。なんで言葉を学ばないの。あなたが泣き叫んでもこちらには何も届いてない、何故ならあなたの言葉があまりに稚拙だから!私と君は別の人間だってことに早く気付いてほしい。私のペンケースを勝手に開かないで。お気に入りの香り付きのペン、高かったんだから使わないで。

お昼ご飯食べるの忘れて倒れた彼女の指先から落ちた画面の割れたスマートフォンに表示されてる意味不明の記述。

 

2016年12月10日

こんにちは。新しいパソコンを購入しました。だんごちゃんです。

 

「今週の日曜日、空いてる?」という連絡が旧友から来ました。

この質問の仕方ってちょっと卑怯だと思うのです。空いてるよと答えたあとでは、誘われたことを断りにくい。とはいえ、嘘ついてまで空いてないとも答えにくい。仮に予定が無かった場合でも、金欠で家を出ることもままならないかもしれない。予定があったとしても、時間帯や内容によっては日にちを別の日にずらせるかもしれない。何かを誘うならば、日付と時間と内容、場合によってはメンバーも一緒に伝えるべきだと私は思うのです。

しかし、内容やメンバーによって行くのを止めるのか?薄情なやつだと言われてしまう恐れがあります。これは困った問題です。相手次第としか言えません。自分の信条として、自分の行動は全て自分で選択したいという強い意志があるのならば、薄情だといわれることを怖れてはいけませんね。しかし、相手を信頼しているのならば、思い切って相手の行動に自らを委ねてみることもひとつの選択です。または、人付き合いとして、厄介だと思う案件にも足を運んでみることも大事です。

私は旧友にお世話になっており、旧友と良い関係を持ち続けたいと考えているため、「日曜日空いているよ。」と答え、誘われたことに快諾しました。ちょっと遠いのですが、旧友の雄姿を見に行きます。

 

忘年会シーズンです。もう2016年が終わろうとしています。あっという間でした。1年を振り返る記事はまたあとで書こうと思います。

私は2017年に向けてちょっとずつ準備を始めてみました。と、言ってもとても些細なことです。就活準備として、リクナビに登録してみました。大学卒業見込みは2019年なので、ちょっと早いのですが、遅いよりも良いはずです。年明けたら大学の就職支援の取り組みも利用していきたい。なんせ、一般の学生とは違うのですから、それなりに準備していかないと大変なことになってしまうと思うのです。心配なのです。

サイトに自分のプロフィールなどを記入していくのですが、私は何も持っていないのだなと恐怖に駆られました。例えば、アルバイト1年継続し、リーダーとして積極的に活動したとか、ゼミで精力的に研究したとか、海外留学をしたとか。何も無い。何も無いのです。でも、ここで書く「何も無い」というのは、一般的に企業にアピールできると考えられる経験のことです。私自身が何も無いなんてこれっぽっちも思いません。私には私にしか経験していない大事なものがあります。それをどうにかアピールにつなげていかないといけないなと感じます。この辺を今後、サポートしてくださる大人に相談していけたらいいな。それにしても何も無いので、書類で落とされぬように分かりやすい資格や免許を集めることも同時平行に行わなければいけませんね。

 

初めて読む詩集や、小説に胸を高鳴らせる毎日です。シンプルでリズミカルな文章は、読んでいて気持ちよい。文学は読み手がいて成立するのだがら、読みやすく分かりやすいことが何よりも大事だ、そう語った先生の言葉に私は賛同します。難解な言葉で自身の学力を顕示するよりも、分かりやすい言葉で丁寧に説明してくれる文章が私は好きです。