情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2016年9月18日その2

起こってもないことを想像して悲しくなる無意味な遊び。それは来たる悲しみに耐える訓練。しかし、現実は大概予想を上回る。

 

私は人に共感しやすい性質って理解しているのに、わざわざ辛くなるような経験の記事を読んで辛くなってる私。何がしたいんだろう 不幸ごっこ?

 

だんごちゃん自己評価低いくせに、いざとなったらすぐに結婚相手見つけてちゃっちゃと男の収入に貪って生きてやるからな、俺に婚約相手ができないわけないからな、みたいなテンションで生活してるの矛盾してると思う。なんでこんな風に思うかと言うと、だんごちゃんは背格好が小さくて顔が地味な黒髪だからか地味目な理系くんに需要があるという自覚があるからですね。そこに需要があるなら彼らの性格に合わせて私の振る舞いを変えればいいだけだ。それで「生きてる」と言えるかどうかは別問題だけどね。(´・з・`)

 

結婚しないよ 私は私として生きられる人と生きたいもの

 

だんごちゃんは、好きな人には全部伝えたいし全部理解してもらいたいのだけど、それってもしかして相当我儘なのかな。みんながみんな、そういう考え方するわけじゃないのよね。

 

行った。客層は偏りなく、おばさんとおじさん男子女子って感じ。正直微妙。ツイッターのメンヘラがツイートしてるような内容が語られてあるだけ。現実としてそういう問題があるということを知らない人にとっては衝撃かもしれない。大抵の『買われた』女の子は、家庭環境が悪く、家を出るしか生きる道が無かった、未成年だから働ける場所や住める場所が無く、身体を売るわけだ。そこで身体を売ることをしっかりビジネスとして続けられる子と、騙され続けてボロボロになる子に分かれてくる。問題が何処にあるかが、この展示では全く分からない。酷い環境にいる女の子が居るよ!と言うだけならアフリカで飢餓する子どもが居るよ!と言われてるのと全く一緒で意味が無い。家庭環境を改善できるのか、居場所の無い女の子を受け入れる先をどう作るか、働けない子の支援は?ん、違うか。売春の問題や解決の道は来場者に考えさせることが目的だったり?でもなあ、もっと良い方法があったんじゃないかと思う。不幸自慢乙と言われてもしょうがない内容。この企画を見て「可哀想に」と感想を抱いたとしても、実際にコンビニバイトで不器用な女子が来たら店長はクビにさせるしかないわけで。そういう意味ではそこのお前も売春に手を貸しているんだぞということ。だから、だんごちゃんはこの問題ばかりはどういう態度で居たらいいのか分からないのだよ。この手の解決方法が、良い男と結婚、だったりするから余計タチが悪い。女の子を傷つけるのも助けるのも男ってつらすぎる。

 

私を認めるのも、私を慰めるのも、私を味方するのも、私を励ますのも、私を癒すのも、私を喜ばせるのも、私を幸せにするのも、私を許すのも、私を受け止めるのも、私を抱擁するのも、 「私は私よ!心があるもの!」

 

少し前までは、私なんか…まんこにしか価値が無いし…って思ってたけど、最近元気になったからか、私が良い女じゃないわけないだろう、私より見た目が綺麗な子はたくさんいるが、私ほど良い女はそうそういないだろう( ・´ー・`)みたいなテンションになってきた。それはそれで駄目な気がする。笑

 

だんごちゃんの昔のHNやIDをググって過去の自分を供養してる。いろいろ殺しちゃったな。ごめんなさい。貴方たちが居るから今の私が居ます。

 

今日など今日から上映が始まったジャングル◯ックを観たのだが、動物たちでBL妄想を始めてしまったのだ。誰か私の歪んだ眼鏡を直してくれないか?ジャングル◯ックについてはちゃめちゃ語りたいことがあるのだが、まだネタバレは避けるべきだと思うので、指がムズムズする。

 

家を売る女、工藤阿須加くんの酔っ払いシーンを観る為に観ていると言っても過言じゃない。あと個人的なツボは、千葉雄大のイモトを振り払う演技や営業スマイルから冷めた表情に変わる瞬間の自然さから見える彼の私生活でもこういうことあるんだろうな感です。※あくまでも私個人の感想であり、事実とは全く無関係です。工藤阿須加くんの犬っぷりが最高です。みんな工藤阿須加くんをもっと観て。あと課長のへたれた感じの演技が最高です。二次創作したい以外の感情が無い。(辞めなさい)

 

10代の頃の痛々しい感情の延長で今日を生きているが、もう私は21歳になってしまったということを忘れてはいけない。いつまでも10代の身の振りをしていたらただただみっともない。みっともないから、私はにっこり笑顔を浮かべる。もう誰にも中指を向けないしノートにポエムも書かない。私の痛々しさは芸術性なんて持たなかったし、普遍性も無いようだし、私は無理やりにでも笑わなければいけないのだ。笑え、笑えよ。お前が睨んで喜ぶ世界は無かったのだ。創作する者で在りたい、日常の何でもない風景を必死に記憶して、記述して、自分を慰める為だけに、認められようなんて下心の無い、純粋な、何か。と、まあ、大森さんの初期の曲を聴いて思うのです。どのロックバンドも初期の曲がカッコいいのは、10代の痛々しさがそのまま記録されているからです。下手すれば黒歴史に違いないのだけど、それが堪らなく良いのです。大森さんに対して、または林檎さんやれぼさんに対して、初期が良かったというのは間違えで、初期は痛かった拙かったと言うべきだ。その拙さは作ろうとしても作れない魅力である。いまの彼らは作られた最高の音楽を作っている。そりゃ初期とは変わってくる。クオリティとしては初期よりずっと良いのだ。(つい自分の好きなアーティストで話を進めちゃう人)また、死が直前に迫った作者の作品はまた違う魅力がある。作ろうとしても作れない魅力。10代の無敵と弱さ、死を目前とした絶望と諦念。

 

苦しかと 声耐え耐えに 逝く女

ラブホ街を 睨んで帰る

黎明に 涙が落つる 歌舞伎町

始発電車で 帰る気怠さ

LINE見ている 貴方を噛んだ

耳元に 嘘の約束 響きたり

殺すつもりで 頭を撫でる

口含み 飲み干したるは 白濁の

今日は帰らん 今日は帰らん

 

怪訝 騒音 苦痛 →思考停止させよ

死を想わない日は無い。つまり、詩を思わない日も無い、ということ。

歌うように軽やかに、詠うように真摯に。

 

 

 

2016年9月18日

 気に入っているブログが、5月の記事を最後に未だ更新されずにいる。彼の文章や見える世界が好きなのだけどなあ。書くことを生業としようとしている人なので、何等かの目的の為に原稿に取り組んでいるのだと思う。私も最近ブログを更新していなかったと思い至り、はてなブログを開いた。

 早いもので、このブログを始めてから1年が経過した。ここ半年の記事は極めて抽象的で感情が生まれた瞬間の、荒々しい言葉で表した文章ばかりであるが、それでも、整ってない言葉の隙間から当時の自分の様子を見られて、私にとっては非常に愉しい。今後ものんびりひっそりと続けられたら良いと思う。

 

 夏の思い出。初めてスキューバダイビングをした。小さい頃に水泳教室に通っていたので、水に対する恐怖心は全くない。海が好きだと思って生きてきた。しかし、マスクを装着し、器材を身に纏い、海へ入る。そして、レギュレーターで呼吸を始めると 急に恐怖心が私を襲ったのだった。口呼吸に慣れていないこと、水中にもぐる=息を止めるという意識が強く私に根差していたこと、もし海の中で呼吸が苦しくなっても空気がどこにもないこと(背負っているタンクがあるのにね)、そういった要因から、私は少々パニックに陥った。もし…なったら?もし…なったら?不安で呼吸が早くなり、潜ることができなかった。私の基本的なスタンスとして、「失敗したとしても死なないし、周りの人がいるし、なんとかなるだろう」というものがある。海の中ではどうだろうか。海の中では失敗や突然の出来事が、すぐに死に結び付く。ガイドさんは確かにいるが、1人しかいない。こわいこわいと何度も言う私に、ガイドさんは手を握って、私の呼吸が落ち着くように宥めて下さった。お茶を啜るように息を吸って、ゆ~っくり吐くんだよ。その言葉通りに息を吸って、吐いて、吸って、吐いて…そして、ガイドさんと一緒に潜水した。海は、とても綺麗だった!だが、まだその時の私は呼吸を乱さないように、水中でパニックを起こさないように、苦しいと感じても落ち着かせるように、自分自身に集中している状態であった。海の綺麗さ、ダイビングの愉しさを理解するのは、1,2本では難しいと思う。体験ダイビングというコースもあり、気軽にダイビング経験は誰でも出来るのだが、人によっては、それではただ怖かったという感想で終わってしまいそうだな。少なくとも私だったら、毛嫌いして終わっただろうなと思う。私は、ライセンス取得の為に、最初から3日間ダイビングすることを予約していたため、ある意味では強制的に2日目が始まる。1日目、海に対する恐怖心を覚えて終えたため、2日目が始まるまでかなり戸惑っていた。リタイアしちゃおうかな、お金はもったいないけど、こんな怖い思いして潜る意味ってなんだ?と。しかし、心配は杞憂に終わり、全てのプログラムを終えて、ライセンス取得したころにはダイビングの虜となっていた!恐怖心は危険を回避するために必要なものである。ダイビングのリスクを念頭に置いて、冷静に、且つ楽しく潜れたということは、自分にとってかなり良い経験となった。否応にでも精神を安定させなくてはいけない、これは日常生活でも活かせることだと思う。特に私は、心配性だったり被害妄想が膨らんで、1人で不安感でいっぱいになることが日常茶飯事であった。そういったときにも、冷静にゆっくりと落ち着いて呼吸をすること、自分の状況を正しく理解することで不安や恐怖から、少しは解放されるのかなと思う。また、海の中ではコミュニケーションが難しい。なんせ言葉が話せないのだから。日常生活では、SNSなどもあり、常に世界中の他人と意思疎通をしている状態である。それが、海では、隣に居る人とすら簡単なことしか伝えられない。孤独である。その孤独は恐怖でもあったが、心地よさも感じた。ダイビングの魅力は様々あるが、この孤独感も魅力の一つなのではないかと思った。目の前に広がる魚やサンゴ礁を、すぐさま写真をとってSNSに挙げて人々に共有するのではなく、自分の胸のうちで、その景色の美しさを堪能し、感動に包まれる。他にも魅力を感じたが、でもとにかく海の中は怖い(そもそも人間は海の中で生活できないものね)ということを忘れずに、今度またダイビングに行きたいなと思った。

2016年8月25日

 

作画資料写真集 女子部屋

作画資料写真集 女子部屋

 

 

 

堕落部屋

堕落部屋

 

 

私はお小遣いが少なかったから、毎月切り詰めてご飯代をケチって好きなものを集めていた。

好きなものは部屋に増えるのは、自分の内面世界が形を成して自分のお城に現れていくようで、すごく嬉しかった。

これを見て、そういう経験を思い出した。

色んな女の子のリアルな部屋を撮り集めた写真集です。

他人から見たら必要ない物、過剰な装飾、ぬいぐるみや雑貨、漫画本、、、

好きなものを集めて集めて息苦しいくらい窮屈で「かわいい」空間が沢山あります。

私はまだここまで好きなものに囲まれていないので、かなり羨ましいですね。憧れだ。

余計なもの(しかし私には絶対に必要で価値のあるもの)に囲まれて生きるのは、私には向いていると思うし。

勿論、それだけではなくて、明らかに必要なものしかないお部屋や、モデルルームか?というくらい模範的なお部屋もあります。

それぞれから住んでいる人間のキャラクターが見えます。面白い。

それに他人のお部屋って、なかなか見る機会なんて無いじゃない?

仲良くなった友達、これから恋仲に発展したい男の子、そういう関係にならないと部屋に招かれないわけで。

そういう関係じゃないのに、この写真集を購入すれば部屋を覗いていいんだよ!

電車で毎朝一緒になるあの女の子はどんな子なんだろう。気になる、どんな部屋で生活しているのだろう。ご飯食べて、お化粧して、セックスして、着替えて、よだれたらしているのだろう。

そんないけない妄想を持ちながら見るとまた楽しい。笑

窓とカーテンの長さが合ってないとか、ビールの空き缶が転がってるだとか、どっかの民族のお面だとか、脱ぎ捨てられたコスプレ衣装とか、雑誌の切り抜きとか、ほんと、たまらんですよ。

私、こういうフェチ少しあるんだろうな笑

 

ステマ記事でした。おすすめです( `ー´)ノ

 

2016年8月22日

学校の課題を進める為に、とある1冊の本を読み深めている。正直、気が滅入る。課題が煩わしいのではない。本の内容が重い。胸焼けを起こしている。そして、ヘドロのような感情が湧き上がる。だからと言って、この本を避けるわけにはいかない。

 

最近の私が気になっている言葉。
「不倫」「恋愛」「ポリアモリー」「性欲」「女性性」「買春」「愛」

 

愛とは執着である、という言葉を見かけた。
執着の類義語は、忍耐我慢不屈根気堅忍

私が思うに、愛とは相手と自分の間に橋を架け続けることだ。
濁流で倒壊しても、時間が経ち老朽化しても、何度でも繋がろうとすることだ。

勿論、橋は強度が高ければ高いほどよい。しかし、強度を上げることは容易ではない。

何度も架けること、そして出来上がった橋は必ずメンテナンスすること。何より大事なことは、相手が自分に橋を架けようとする時間を待っていてはいけない。

橋を架けることや、橋をより良いものに磨き上げていくことは大変な努力と時間、技術を要する。

それらの労力を惜しまず、忍耐強く時には我慢しながらも根気を持って、橋を架けることに執着する。

 

私の課題図書は、それが壮絶な形で描かれている、だから美しいという評価を得ている。

私にだって描かれている純度の高い苦痛、疑念、執着が美しいことくらい読み取れる。

唯、どうしても一つ気に入らないのだ。腑に落ちないのだ。どうしてどうしてなんだろう。

どうして他の人を愛した後でしか、その美しさに気付けないのだろう。気付けないというか、傷付いたから美しくなったという表現が正しいんだけどさ。皮肉だ。

傷付いた人に美を見つけ、傷付く前よりも一層愛おしさで胸をいっぱいにする。

と、いう話は、ひどくないかなあ。(これはミクロの視点)

 

私が小さいときから納得できなかった納得したくなかった現実として、出来の悪い子ほど可愛い、というものが存在する。

私は小学校の先生に気に入ってもらうために、学級委員長も頑張ったし勉強もそれなりに出来たし、たまに褒めてもらってすごく嬉しかった。

でもね、褒めてほしい、私を見てほしいその先生は、いつも態度の悪い成績の悪い男の子にばかり声をかけていたんだよ。

私はずっとそれが寂しくて、何で私には声をかけてくれないんだろうって思っていたよ。

今すぐ学校の窓ガラス叩き割ってやるとも思ったし、授業中にランドセル持って帰ってやろうかとも思ったけど、私はずっと良い子だったからそんな勇気無かった。

 

文句ひとつ言わず、旦那と子どもの世話をし続けた妻が、不倫をされて、心の底から傷付いて、それで、ようやく旦那は妻のそばに居るようになって、傷付いた妻が美しいだなんて、なんか、良いのかなあ。

とはいえ、妻の姿は想像を絶するのでそれに付き合う旦那はかなり凄いと思います、愛の成す業ですほんとに。

(ここまで記事書いて、何故本のタイトルを書かないのか→身バレが怖いww)

 

私も悪い子になろうかな。いや、悪い子なんだけどね、小学校の頃の良い子はとっくに居なくなりました。

 

ていうか、ほんと嘘つくのよくないとおもう。うそつきちゃだめ。だめ?わかんないあ

わかんないな=まだ子供なんだろうな。うん。。。

それこそ人それぞれの耐久性や思考する力の問題なのかも、嘘つくべき人、嘘つかないべき人。

まだまだ考える余地がありそうです、

 

P.S.シンゴジラを2回観た。この曲と、この曲が使われているシーンが忘れられない。

 


13. Who will know (Tragedy) - Shin Godzilla OST

2016年8月14日

そう言えば、このブログの名前は「情死」であった。今の私にはすっかり情死したいなどという気持ちが薄らいでしまった。私は誰かと心中しなければ自分の生きた印を残せないほど弱い生き物ではないし、死を共にしなければ愛を感じないなんてこともない。世界が滅びる最後の日には、1人で静かな場所で好きな人が安らかに逝けるように祈りながら、ひっそりと息を引き取りたいと思う。

 

AVを観た。内容はごく一般的だが、隠すべき場所が隠されていない。普通だった。自分の経験を思い出して、少しだけ欲情を感じたが、それだけ。動画を飛ばして飛ばして、抜けるシーンを探したのだが無かった。女の子を暴力で捻じ伏せて泣き喚かせるシーン。そういうことでしか興奮しない私ってどうなのだろうか。叩かれている、蹴られている女の子が観たかったな。

 

『夜はともだち』というSMを題材にしたBL漫画がある。プレイをする2人だったが、S(攻め)の真澄が、M(受け)の飛田くんにSMとは違う感情を抱き始める。真澄は飛田くんを虐めることに苦痛を覚えてくる。一方飛田くんは痛いことをされることが大好きで、本当に喜んでいる。そうじゃないセックスは好まない。真澄が「今日は俺の言うこと聞いて」と言って、ノーマルセックスをするものの、飛田くんは結局果てなかった。だからと言って、飛田くんは真澄を嫌いなわけではない、むしろ真澄を好んでいる。真澄もそれを理解して、温和に話が終わる。

虐めることでしか、愛を伝えられないというのはきっと辛いだろう。飛田くんみたいな変態は本当に居るようだ。私はセックスに関心があるから、変態といっても甘っちょろいものだと思う。(変態にどっちが偉いとか正しいとかないけどw)一応、BL漫画だからハッピーエンドで終わったが、本当にこういう場面があったら報われないまま関係が終わるのだと思う。私も少なからず飛田くんのような側面は持っている。酷いことをしてこない人間には好意を抱けない、という自覚がある。基地外か?

 

 

 

 

2016年8月6日

気が付けば、8月になっていた。

7月は有り得ない速さで過ぎ去って、私の身体に蓄積している。

 

誰かに言わせれば、私はつまらない人間になっている。

誰かに言わせれば、これは作者根性らしい。

そして、また誰かに言わせれば、生きているということ。

 

私は忘れやすい。今日もひとつ、思い出したことがあった。

嗚呼、通りで、通りで、苦しかったわけだ。

そのことを思い出せば、なんてこともない。

苦しめていたのは私自身の勘違いであった。

 

自分の立場を知ること。

 

ここ1週間程、身体が全く言うことを聞かなかった。

朝起きられず、午前中は身体が動かず、すぐ眠りこけてしまう。過眠の傾向。

今日は元気だ。自分の身体が思い通り動くのはとてもきもちいい。

でも早起きしたから、午後ひと眠りしちゃうだろうな。まあ、それもいいか。

 

しつこいようだが、私は本当に水城せとな先生の『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』が大好きだ。漫画の全台詞を書き起こしたい。

この連載を始める前に与えられた命題が「ゲイとかSM」だったらしい。

SM、ふむ、確かに手首を縛ってセックスをするシーンはあるが、SMらしいSMの描写は無い。

だが、改めて読むと、彼等のこの関係性はかなりSM的だと思った。

奪うことと与えること。相互的な主従。

彼等の愛は稚拙で暴力的な上に、あまりに不安定だ。

愛されなければ切る。愛し続けなければ切られる。

それがどんなに辛いことか。

理性的ではなく、人様に避難されて当然のような、そんなものからでしか得られない衝動的な感情は確かに存在して、一度癖になると抜け出すことなど出来ない。

知ってしまったことは不幸でさえある。

 

最近、物語に強く影響を受けてしまうので、本を読むのが憚られる。

しかし私が読みたいものはこういう感情のぶつかり合いだったりするので困ったものだ。

 

太ってきた気がする。体型の管理もちゃんとしなくちゃ。

頭が悪くて悲しい。聡明な人間になりたい。

 

指や唇とかは嘘を見抜くのが下手 羨ましいくらいに信じる

嗚呼、本当にそうだ。羨ましいくらいに信じるのだ。信じても次の瞬間には裏切られるのにね。愚かな私。馬鹿な子。此の世で一番惨めになる。もっと堕ちたらいい。

 

愛についてもっと知りたい。

これが、これが、両立するのか、本当か?

当面の課題だと思う。

たとえて言えば、私の信仰する宗教は一神教なのに、私の神様は多神教を信仰しているような、そういう矛盾。

何処から捻じれが生じているのだろうか。

 

「隘路はお前だ、そして俺だ」

 

 

 

 

 

 

2016年6月17日

私、恋、してる?

恋!? これが! 私のこの気持ち、何!!

 

失恋ソングを聞いて、しんみりしっとりじめじめした気分になりたい夜です。

失恋していません。

 

aikoの『二時頃』を聞いてみんなで泣こう。

君の好きな人に電話して、今すぐ電話して。

彼の隣には女の子が寝ているわ。

女の子がいつかの君と同じように安らかに寝ているわ。

すやすや寝ているわ。

淫らな声をあげて疲れて寝ているわ。

身体から彼の匂いをさせて寝ているわ。

 

私がいつでも生き返るように、貴方はいつでも死んでいる。

大丈夫、来世でまた会えるよ。愛してる。

 

栄養失調で本を読む。読めば読むほど喉が渇くので、アクエリアスが無くなっちゃった。

おしっこじゃーじゃーびんくす。

 

お願いだから今だけは嘘をついていてほしいの。

 

初めての射精は夢精だった。病気かと思ってお母さんに泣いてパンツを手渡した。

お母さんは僕のことをなんて厭らしい子なのと平手打ちをした。

左頬よりも心が痛かった。何よりもちんちんが大きくなっていた。

僕は夢中で自分のちんちんを握った。上下にさするとキモチイイと覚えた。

何度も何度も白い液体を排出した。

パンツを汚さないように、ティッシュに出すことを覚えた。

わざとお母さんの目に付くようにそのティッシュをベッドの上に散らかした。

お母さんは汚いものを見るように僕を蔑む。

お父さんはこっそりやれよと耳打ちしてくれた。

でも僕は射精なんか興味無かった。

僕はもう一度、お母さんに平手打ちされたかった。

僕は幼馴染のあいちゃんに僕のほっぺを叩いてとお願いした。

あいちゃんはけらけら笑いながら僕のほっぺをずっと叩いた。

僕のちんちんは限界だった。

家に帰るころにはパンツもズボンも汚してしまった。

お母さんにごめんなさいと謝ったけれど、お母さんは僕を許さなかった。

今度は平手打ちでは済まなかった。

お尻を丸出しにされてぺんぺんぺんぺん。お母さんは鬼になった。

ぺんぺんぺんぺんされても、僕のちんちんは大きくなる。

お母さんは僕の首を絞めた。

僕は射精した。

お母さんは僕を床にたたきつけ、足で蹴り飛ばした。

僕はもう絶頂で痙攣が止まらない。

お母さんはお父さんのゴルフクラブを持ち出して、僕の頭を叩き割った。

僕は意識がなかった。

 

許し難し許さない

 

堕ちたい

 

あのね、私は魔法が使えるんだよ。ママが教えてくれたの。

でも昨日私はあそこの倉庫に連れて行かれておじさんおじさんにおじさんににに

おじさんおじさんわあしおわじおわたしそうおわたのおじさんにすべてをあうぇ

身体中を洗い続けてるんだけど、どうしても精液の匂いが取れないから、私、自分のあそこ、ナイフで突き刺しちゃった。

でも匂いが離れないの。どうしてかなあ。どうしてかな、どうしてなのかなあ。

精液はとろりと美味しかったよ。