情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2017年8月27日

参った。寂しい。とても寂しい。性欲に限りなく近い。でも、そうじゃないのは経験として知ってる。私が何が欲しいか分かる。分かるが、今は安易に手に入らない。同じことはもう繰り返さない。今すぐ獲得するための行動を起こす気力もない。あっちもこっちも地獄。こちら側の方が幾分かマシだと思いたい。何年、何十年、私はこの寂しさと付き合っていかなければいけないのだから、どうにかしなくては。どうにかしたい。解決方法を、考える。寂しさを感じるのは暇だから⇒忙しくする。性欲は自慰でもしてろ。大丈夫。私は大丈夫。やっていける。一人でも生きられる。前を向いて、やるべきことをひとつひとつ機械的にこなす。やる。私がすべきことは山ほどある。寂しさから碌な文章が書けない。過去の私は精神が死んでたけど、自分の感情に真摯に向き合っていた。それに比べてどうだ今の私は。目を逸らすことしか考えていない。つまらない、本当につまらない感情に惑わされて情けない。大丈夫。

世界を記述する文章が好きなのに、結局人間についての文章ばかり書いててつまらない。人間は汚くて好きじゃない。性欲が無くなればいいのに。性欲が無くなったら私も消滅しそうな気がするけど。あはは、何で出来てるの私の身体。殴られる妄想がやめられなくて、頭がおかしくなりそうだ。薬中のヤク切れと同じこと。男性に私を打ってほしいと懇願する自分がいつも私の空想世界に居座って、次のシーンには首を絞められて涎垂らして喜んでる私が現れる。別にそれが無くたって気持ちよくなることは簡単だ。私は。殺されたがってる誰かさんの声を無視するだけでうんと生きやすくなる。こうやって、妄想をブログに書き綴ることが最早オナニーに過ぎないわけで、性欲はこうやって緩慢に締め出すことができる。生きる方法のひとつ。

詩誌の感想を書くって宣言してまだ記事書いてないし。あーあ。やろうね。今はちょっと感情が乱れて詩があまりに主観的にしか読めないから、またあとで。詩は全然分からない。今日はプレヴェールとイェイツの詩集を買った。この間、マラルメとマルドロールの歌を図書館で借りた。読んでも読んでも分からない。不安で涙が出てくる。怖い、怖い怖い。私の魂が震えても、私の知能が追いつかなくて、どうしても何も分からない。自分が詩と言って発表する言葉の羅列が何を意味するのか分からない。

ふわふわ浮んだり、どしんと降りてきたり、ぴこんと閃いたり、多種多様に言葉が目前に現れて私はただそれを記録する係に過ぎないのだけど、語彙も知識も無いから正しく造形できない。その度に懺悔する。誰に?世界に!煌めいた時間、空間、音を再現させたいのに、全然できない。何気ない言葉がとても美しく輝いているんだ。子どもが母親に言った言葉も、友人がLINEに書いた言葉も、それは価値があるんだ。そんな無自覚な他人を愛しているんだよ。私はその愛の証に正しく記録したい。日常の一瞬の尊さを私はもっと言葉に残したい。でも書いても書いても元の輝きからは遠のいていくだけ。能力が無いのだなあと思う。訓練もインプットも足りてない。世界はキラキラしてるのに、みんな、恋とかなんとか言ってさ、世界のキラキラに目を向けてくれないの。私と一緒にキラキラ集めをしてほしい。生のトマト嫌いだって言ったのに出すしさ、私の好きなアーティストの名前も覚えてくれてない。半径数キロの狭い空間で生きて。私は遠くてそのサークルの中に届かないんだよね。いつかお嫁さんになるときが来ても、私は私らしく生きさせて頂きます。いっぱい世界の輝きを集めて自分の部屋にその香りを充満させるのだ。そしたら私の人間らしさが無くなっていくかしら。私は世界の一つとして溶け込めるかな。そしたら美しくなれる?早く消えてなくなりたい。心臓を突き刺す鑓を待っている。