情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2017年10月6日

家族以外の人と話さないのが私の日常なので、会話欲?コミュニケーション欲?が満たされず、ついついツイートが増えてしまう。リア垢もだんご垢も。ツイート増えるとなんとなく安っぽいというか、暇なんだなこいつと思われそうで嫌なのよね。うまく他の方法を考える。ブログもまた解消法のひとつ。

他人と会話をしない日常の弊害としては、可愛い私を誰も知らないことだ。正直言って最近の私は可愛い!肌の調子最悪だし、前回書いたとおり絶好調に太っている。そしてお金が無くてホームレスみたいな服装してる。だが、しかし!機嫌がかなり良い!仮にメンタルが落ちても30分程度で落ちつくのですよ。素直でご機嫌さんで箸が転んでもおかしいお年頃なのに、誰もそんな私を知らない。絶対今の私とお話したら何でも笑うから楽しいと思うんだけどなあ。はー、勿体ない!人類の損失!ルックミー!プリーズ!

……こんな具合で自己愛の方向性がバグってきた。機嫌が良いのは事実だし精神的に安定してて良いことだとは思うけど、度が過ぎてきたら誰か止めてください。

 

母とテレビを観ていたら、3歳の子どもがお気に入りのTシャツしか着てくれないから寒い季節に耐えられず風邪をひいてしまったという微笑ましい季節のニュースの映像が流れた。何気なく私が「私が小さい頃もお気に入りの服しか着たくない!って駄々こねた?」と聞いた。母は「うちの子たち(私は男女の一卵性双生児なので、たいてい一つにまとめて言われる)は偉かったよ。与えた服を何も言わず着てたね」と答える。過去形で「うちの子たち」と語るのは、なんだか私じゃない人のことを話しているようで少し面白かった。私たち双子には偶然にも2歳年上の男の友人と女の友人がそれぞれいた。彼らとは家族で親交があったため、私たちはその友人のお下がりばかりを着ていた。(これ書きながらうっすら思い出したが、ずっと前にも洋服お下がりの件はブログに書いた気がする。)母は「やっぱり、お気に入りの服は『買ってもらった』という経験があるからなんだろうね。お下がりじゃお気に入りにもならないから、うちの子たちは何も言わなかったんだろうね」と笑って言っていた。ギクリ。私はハハハと笑いながら、ギクリと思った。幼少期の私は、お下がりの洋服について何も思ってないわけじゃなかった。お下がりが当たり前だったから嫌だとは思わなかったが、自分で好きな服を選ぶという作業を一切経験してこなかったから、自分が好きだと思ったお洋服を着てみたいなと常々感じていた。その私の気持ちを露も思わず、母がうちの子は偉かったなんて言ってるのは少々悲しいものがあった。当時の私は我慢していただけだったのになあ、と思う。そう思うだけで表面上は笑うことができる現在の私の方が偉い。私は自分なりに訓練した結果、幼少期の感情と現在の感情が混線することなく区別できるようになった。多分、その訓練をしていない高校生のときに「なんでも服を着て偉かった」なんて言われてたらその場で泣いてしまったかもしれない。己の成長を感じながらも、心の傷はしっかり反応するもんだ。

派生して、「好きなものを選んで誰かに買ってもらう」ことに対する強い憧れがあるのはお洋服がお下がりだったことがきっかけなんだと思う。陳腐で我ながら失笑してしまうのだけど、私はお誕生日にブランドバッグとかディズニーランドチケットとかありきたりなプレゼントが欲しいのだ。22年間一度も貰ったことがなくて。要望が高過ぎるのかな。そりゃ、欲しいものは自分で手に入れたいし手に入れる努力もする、自分で手に入れる幸せも感じる。一方で、私の欲しいものを誰かに買ってもらうことも幸せだと思うんだ。人の金で食べる焼き肉は上手いとかそういう話じゃない。満たされると思う。肯定されると思う。私の好きなものを誰かに肯定してもらえたら、単純にとても嬉しい。お金を出すっていうのが最も分かりやすい肯定だからね。いつもお下がりと特に気に入ってないセール品の服ばかり選んで着てきたことがまさか性格形成に影響あるなんて、親も思わないだろうな。

父はまた、言った。(多分服のコンプレックスと本のコンプレックスは度々話題に出してる。前の記事を確認しないからこういうことに……すいません…)父がね、「カズオイシグロの本を買ってきて、中古で」って言うんだ。父は中古、というか主にブックオフでしか本を買わない人だ。古本が悪いとは思わない。でも「定価で売ってるが古本で出回ってないなら買わない」という考えはどうしても受け入れられないよ。苦学生じゃないんだから、働いているのだから、定価で手に入るのだから、新品の本を買ってほしい。傷つく。本に対してお金を払う価値が無いと言っているようなものだ。特に私は将来出版社周辺の仕事に就こうと考えているので、尚更傷つく。父が出版物にお金を払う価値がないと考えているのなら、私の就職先にも価値が無いと思っていることになってしまい、ああ、それはつらいんですよ、どんなに父がその気が無くても私のことが嫌いじゃなくても、私はどうしたって親のリアクションを気にしてしまうし、親から認められたい、褒められたいから、本にお金を払わない姿勢を見ると私の存在や努力を否定されたようでつらいのですよ。つらいんですよ。(つらいって親に言えればいいのに、言えないんだよね情けないね)

 

大切に育てられたつもりなのに、小さい小さい蟻が千切ったような穴が無数に集まって今の私の心にぽっかり闇を生んでしまった。しかし、親にほめられたいって初めて自覚したな。この気持ちは親に恩返ししたいという気持ちだと思ってたけど、違うんだな、これは褒められたり認められたりしたい気持ちなのだな。あー。そういうのじゃないって思ってたのに、自分にちょっとがっくし。早く脱したいな。うむうむ、何度も自分を見返して修正したり矯正したりを繰り返してもまだ見えてない私、巧妙に隠れている幼い私がいるのだな。お勉強になった。驕らないように気をつけゆ。大衆・人類すべてみたいな大きな対象じゃなくて「親」と断定して認められたい相手を見定めたのはかなり良い一歩だったと思う。よくやったぞだんごちゃん。一緒にがんばろうな。えっと、どっちに向かって歩けばいいの?自分を自分を認めるって段階は良い具合にクリアーできそうではいるから、そっちに進んでいけば自ずと親の呪縛が無くなるかな。難しいことなのかな。わかりゃん。まァたぶん、親に代わる誰かー多くの人にとっては恋人ーに認めてもらえればかなり満たされるんだろうな。私はそれも失敗しちゃったから、ダメだねえ。私を大切にしてね。私に甘え過ぎないでね。私ももう甘えさせ過ぎないように気をつけるし、私の意思をちゃんと言うから、「私」を曲げようとはしないでね。ただそれだけを思うよ。

 

ぶっちゃけてしまえば、むちゃくちゃSMがしてえです。性的遊戯がしてえです。たちゅけてぇ。そうゆう周期なんらな。妄想だけだ~。自分の望む形でそれが達成できる未来が来ると信じて今はお勉強がんばるよ~。圧倒的成長!ぎゃんばれ~!

 

と、まあ気付いたら3000字まであと少し、よく書いたね。SMの話とか自分と親の関係とか幾らでも話膨らませられるけど、抑えめにしたよ。誰が読むんでしょうね。ここだけは無法地帯で行きたい。私は自由だッ!おわり