情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2019年2月26日

こんばんは、だんごちゃんだよ。更新頻度上ってるね。鍵のついているアカウントがなくなっちゃったから、無駄な独り言をここで発散しているんだよ。笑える。もう暖かいから薄手のアウターで大丈夫でしょ♪と家を出たら、美容師さんに「え、寒くないですか?夜はまだ冷えますよ……」とちょっと引かれたよ!

 

みんな知ってます?2月って他の月よりも日数が少ないからもうすぐ3月になっちゃうんですよ。きゃー!お仕事されている方はいつもより早く給料日が来るから嬉しいそうですけど、私は焦っています。何がって、4月になるまでの、入社するまでのこの自由な期間を有意義に自分を伸ばすために使うんだって張り切っていたのに、日常の雑務に追われて何もできてないって思っちゃうんだ。うーん。これやってやろうやろうと思いながら何も達することができずに人間は死んでいくのだろうか。いやだー!季節の変わり目でさ、体調も崩しやすいし、しかたなくない~?とか言い訳してる場合じゃないのよ。ツイッター(だんごちゃん)をやめたおかげでスマフォ観てだらだらする時間が減った。活字に対する欲求があるから、代わりに本が読める!笑。あと、暇さえあれば映画観てる。そんな感じ。でも、その全部がなあなあに過ぎて行っているのがよくないんだよなあ。ハードル上げると苦しくなるけど、だらだら続けても自分のためにならないし、様子見つつ工夫していく。人間は簡単には変われないから、一人暮らしをするタイミングで真っ当な人間になるぞと決意したところで3日で丁寧な暮らしは終了するのは分かっている。でも、嫌でも自分の習慣を変えなくちゃいけないタイミングだから、自分にとってプラスになる何か新しいことが始められるといい。簡単なこと、例えば家に帰ったら手を洗うとかね。なんかね、実家にいると特にそれが酷いのだけど、何をするにも悪口が聞こえてくるというか、被害妄想?がやや強いんですよ。実際に幻聴が聞こえるわけではありません。今、ツイッター清水優輝)(フォローしていない人はフォローしよう!笑)で日記を手書きで書いて公開しているのね。これも公開した後に何者かから「お前はつまらない文章を載せるな」「字が汚い」「こんなことしてないで他のことをやれよ」と言われている感覚があるの。むー。あとは、家でだらだらしてると誰かが「ふーん、それでいいんだ」「そうやっていつまでも底辺に所属していればいいよ」と囁いてきてしんどくなったりしている。あとはこれに関しては本当に被害妄想で酷いことだとも分かっていてそれでも直らないのが恋人に嫌われているっていう思い込み。今の人に始まったことじゃなくて毎回交際相手にはそう感じてしまう。どうしたものかね。そういう悪口みたいなものが聞こえてこないように自分を完璧にしていきたいけど、完璧を目指した結果、私は過去に抑うつ状態に苛まれているわけだし、悪い方に考えやすい、自罰的だっていう特徴があるのだと自分自身を客観視して付き合っていかなくちゃいけないね。それに、この性質は病気とかじゃなくて私が生まれもったものだと思っていて、そう、分かり易く言えば「苦しいことを求めている」聖女の文章に心が惹かれるのは、彼女たちが神の名の下に自己を卑しめて清貧な暮らしを貫いている姿が描かれているからで、羨ましいのだと思う。聖女になりたいわけじゃなし、キリスト教徒になりたいわけじゃなし、ただそういったものに惹かれていく部分があるというだけで、信仰が持てたらかなり楽だろうなとも思う。ヴェイユが「わたくしの最大の望みはすべての意志だけでなく、すべての自分の存在を失いたいということ」と述べるが、私の自己否定は結局はそこに辿りつく、世界が私なしで美しくあってほしいと願う、そういうところへ、そういう心持ちで常に暮らせたらどれほどいいかと思う。私は弱いから雑誌や広告に騙されて化粧品なんかを買ってしまうんだけどね。ていうか、この引用部の意味ちゃんと取れてるか不安過ぎて笑う。いいかげんだなあ。お風呂入って明日の準備をします。おやすみなさい。