情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2018年5月30日

お久しぶりです。もうすぐ5月が終わってしまうのですね。5月はそれなりに楽しいことが多く、充実していたと感じています。一方でゆゆしき事態があります。どうして私は就活日記を更新しないのでしょうか。理由は分かっています。パソコンのキーボードに触れる時間を作らないからです。今日だって、本当に久しぶりに文字入力という作業をしています。タイピングスピードが落ちたような気さえしています。文章作成もぎこちなく申し訳ない。

一昨日くらいにブログを更新したくて、頭の中で内容を組み立てていたのですが現在私の脳内に残っているのは微かな言葉だけです。「我々の意識や記憶、感情から漏れる音楽を拾い集めて」ということを書きたかったのです。でも、どうやって?なぜ?結論は?の辺りがさっぱり思い出せません。悲しい。

私は他の人に比べて脳内麻薬が出やすい、簡単に気持ちよくなれる人間なのだと思います。サンホラを聞いていると頬が緩んで恍惚状態になりますし、お酒を飲めば楽しくて笑ってしまいます。エトセトラ。それでも快楽の中に留まることは難しい。正気に戻った私は、小学生の頃5時のチャイムが鳴って太陽がすでに落ちた暗い冬の日の帰り道を思い出すのです。ごめん、嘘。そんな記憶ないです。ねつ造しました。私は学童に行っていたし、高学年には吹奏楽クラブに居たから6時まで学校にいました。だいたい、映画や音楽、ドラマ、小説、アニメで知った感情を現実の記憶の中に溶かして存在しない思い出を作ってしまう。女子高生に対する世の男性の幻想はまさにそれに近いのではないだろうか。知らんけど。存在しない思い出は上記で示した通り、子どもが見たり聞いたりしたもので構成されるから、同じものを共有してきた同年代の人間と共有しやすい。私以外の彼らも存在しない思い出を各々脳内で作って楽しんでいるのです。更に広いものを吸収して一生懸命に(しかし無意識に)想像力を遊ばせていた子どもは、多くの人間と存在しない思い出を共有する。教養とはこのことに過ぎないのです。多分、これも嘘です。

お金が欲しいので労働時間を増やしている。しかし、労働中は時間が停止して全く生きているとは言えない。なんて、言うと格好付け過ぎで、私は思った。休憩中に話しかけてくるのはフリーターの方が多い。そもそも人間付き合いが得意でなく、できるだけ1人で過ごしたい私は話しかけられるとまず面倒臭いと思ってしまう。どうして彼らは私やスタッフに話しかけるのか不思議でたまらなかった。でも、彼らにとって「世界」は(おそらく)この職場だけで、時間を動かそうと必死になっているのだろうと気付いて、私はその努力を拒絶できるほど自己に閉じ籠れず、お話をしてしまうのだった。猿が毛繕いするのと何も変わりがない。

(きっと、私じゃなくてもいいのだ)と感じるときの心地良さを覚えた。喜びだと思う。

昨日は本当につらくてつらくて、憂鬱で、泣いちゃった。でも帰る場所も逃げる場所もなくて簡単に楽になる薬も持ってない。夢から醒めたくない。全焼した家が今にも崩れそうに建っている。灰が頭に降ってきて、それに気づいてしまった。壊してしまおうかと途方に暮れる。これでも思い出がたくさんあったのだよ。今日もちょっと体だるいけどブログは書けた。えらいね。

あと、その他諸々。やりたいことがたくさんあって困る。やりたいことがあっても体がついてこないし。あー。頑張りましょう。