情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2018年1月27日

昨日から精神面の調子が悪い。何も手に付かない。苦しい。

 

昨年気付いたこと。人間が記憶したことを思い出す行為に興味がある。思い出した映像や言葉は、脚色されて劇的な変化を起こすことが多い。文字に起こせば更に過剰な色で塗られる。大人が今抱えた問題を書いた物語よりも、大人が幼少期を振りかえって書いた物語の方が私には面白い。それは私が大人になれていないからだと思っていたがそうでなかった。私は大人になってしまっていた。書く大人と書かれた子どもと読む大人と読まれる子どもと蘇る子どもと共鳴し合う大人。現在に居ながら過去に漂う時間が長く、私には現在というものが少ない。中学生の頃にはすでに現在から足を踏み外し、20代では過去のアルバムや日記を捲るために現在を生きる。未来は常に過去と共にあり、現在は過去になることを拒む。ごめんなさい。それっぽい言葉並べただけで意味がないです。だからと言って、大人が子どもの為に書いた物語はまた違う。それは教育や道徳、倫理を何年も先に生き続けてきた者が後から生まれた者へ見せびらかすだけで、真実を映すことは少ない。時間は常に1分=60秒で進むらしいが、私の1分は他の人よりも遅いらしい。しんどい。過去を語ることが無意味だとは思えない。疲れちゃった。頭の中が鉛になってしまったらしい。何もインスピレーションもイマジネーションも湧かない。焦燥感だけがある。胸の奥に大きな空洞ができて、口から空洞を埋める何かを押しこむ必要がある。同じ形のものがない限り、口から入れたモノは排便され続けて、髪の毛が伸びようとしない。止まってしまった。誰も来ないので、私は唸るパソコンのファンの音を聞くことにした。目の前を過ぎる人間の寿命が見えて、面白かった。シルクのシーツに包まったことはないが、いつか見た夢の続きが見れるかもしれない。コントバラスを弾くが擦れた音しか出ない。顧問が私を哀れな目で見る。3000円の腕時計をしても誰も笑ってくれなかったから、被害者の死んだ時刻で時計が止まるらしい。道の駅では男性が挨拶をしてくれた。手招きをするので、ソフトクリームでも買ってもらおうと思ったが彼の手には彼の手があった。苦労したことがない手だねと私がおばさんの真似をして言った。野菜が枯れて灰になっていた。どうしても涙が止まらない。哺乳瓶に溜めて親戚の赤ちゃんの口に含ませた。美味しいですか?と尋ねると「苦痛を味わうのなら、その果てまで行かねばならない。苦痛をもはや信じることができなくなる瞬間まで。」(E.M.シオラン『生誕の災厄』出口裕弘訳 紀伊國屋書店 1975年)とその子は言った。明日にはあなたの嫌いな人が死にますと言われて、散々泣く女がいた。私は確かに彼を憎いと思うが、いざ私のせいで死ぬとなったら悲しいと言った。女が明後日、彼の家へ行き元気な彼の姿を見て笑いながら彼を殺すだろう。全ては《彼》の意思のままに動くのです。空を見上げても星座の名前がわからなかった。動物園に行っても動物の名前が分からなかった。大学に行っても同級生の名前がわからなかった。私が分かるのは、ただ彼らが自分の名前を自分で定めていないということ。自分の持ち物を自分で名付けられないとは、これは征服を余儀なくされた者の証拠である。私は誰も望まないそれらの名前を決して認めなかった。夕暮れの色の変化を言い表わせた者には褒美として私の娘を娶らすと語る。私が自分の夫の顔よりも先に夫の体の温度を知ったのであった。耳元で囁いた勝者の詩は1週間放置された死体。この国にはセンスがあるものがいない。否、私の美的感覚が狂っているのだろうか。苦しい。なんでもないことばかりだ。楽しくない。楽しくない。私何がやりたいのか分からなくなっちゃった。苦しい。あるお金の無い男の話をしようか。それとも死を共にした男女の話をしようか。もしくは、気高き乙女の話をしようか。つまらない。私はもう面白くない。何も。