情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2017年10月26日

朝 電車の中で

 

衝動的に動いちゃうとか欲望のままにとか何も考えてないとかバカとか頭がおかしいとか、よく見る分かりやすい言葉に変換して過去の行動を説明する私は私にとても不誠実だ。楽な方へ流されている。当時の自分と向き合い、言葉に落とし込むのは体力が必要だから話すときには諦めている。家での宿題にする。それにしたって、よくもまあほいほい否定できるものねと呆れてしまう。その時の私が私なりに最善の選択をして命懸けで生きてただけなのに、言葉にすると陳腐で、音にするとエンタメでしかない。私が私を消費させてしまう。想像しやすいキャラクターを私に与えてそれを提供すれば一定の承認を得られるし、私は浅ましいからどんな形であれ喜ばれたら満足してしまう。ごっこ遊びは楽しいけれど、もう少し自分を守ろうね。防衛のつもりが消耗している。小さく削れるからこの程度なんともないわねと無視している。いずれぽっかり穴が穿つ。コマンドが褒めるしかないと思っていたけど、あれは嘘だ。褒めるに加えて自虐もある。笑える自虐のつもりが心身ヒリヒリ擦り切れて、あーあ自尊心を育て忘れたなあと思う。一気に全てを改善することは難しいからひとつずつ捻れた配線を整えて、ぱちりと電源をつけたら穏やかな母のような微笑みが付くといいな。変に素直だから嘘がつけなくて「大人の対応」でやり過ごせない。いちいち気にしてしまえば部屋に逆戻り。一応、社会の歯車になろうとしているのだから、少しは我慢を覚えてうまく発散していく。