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情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2017年1月19日

だんごちゃんのツイッターアカウントを消した。彼女を殺した。

 

窒息死そうになる。言葉が喉につっかえて、排出口を探している。どんな意味の無い言葉でも、不格好な文章でも、文法が間違っていても、語彙が拙くても、私の言葉には価値があると、私が言い聞かせて、私を尊重していくこと。私として存在すること。

 

隙間を埋めるように物語を読む。きらきらとして、どろどろで、私には無いものばかりだ。それでも登場人物たちの悲しみは私の悲しみに似ている。私の孤独は、彼女の孤独に近い。それが勘違いでも、自己中心的な物語の読み方でも構わない。私がそう思うということだけが、事実。だって、フィクションなんだもん。ノンフィクションも読んだけれど、文字媒体として出版され、他者の私に伝わってきた物語、私が咀嚼し飲み込んだ時点で、作者の人生とはかけ離れたものになる。私の好きなように味あわせてほしい。

 

非日常の無い日常が送れない。毎日が虚構で溢れていますように。

 

私が書きたいことって何だろう。私は何年も考えている。何が書きたくて、何が言いたくて、何が伝えたくて、私は言葉を書こうとするのだろう。排出欲にしては、綺麗なものを求めていると思わないか。排出するだけならチラシの裏でいいのに。私は私のこれをぐちゃぐちゃに丸めて捨ててほしくない。できれば、本棚の隅っこに置いておいてほしい。埃かぶってもいいから、捨てないでほしい。伝えたいことは、いつも変わる。でも、すごくわがままな欲求であることは確かだ。相手を楽しませる気もなく、社会に警鐘を鳴らしたいわけでもなく。なんでだろうね。お願いだから黙ってて。

 

言葉にならないものなんて、なんの価値もないのに。と、書いた、あなたのブログの一文が、すごくすごく好きだ。私にはまだそう言い切れるだけの力が無い。でも、あなたの主張はすごく魅力的で、私もその立場に行きたいと思った。言葉にならない気持ち、言葉にならない景色、言葉にならない瞬間。そういうものを、言葉にならないという言葉でごまかすことの無い力がほしい。言葉で言い表すことができない自分の落ち度を披露している場合ではない。言葉で表したいよ。

 

その辺の誰よりもだんごちゃんは、だんごむしだからね。じめじめしてるんだ。そろそろ太陽の光を浴びたい。