情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2019年6月30日

こんにちは。低気圧で死んでるだんごちゃんです。6月も終わりますね。皆さんいかがお過ごしですか?

 

近況報告。

会社に入社して3ヵ月経ちました。だいぶ慣れました。週5日働いて、2日間休むリズムを体が覚えた感じがします。なんでも習慣にしてしまえばこっちのものですね。ここのところ、仕事終わりも週末も最高の過ごし方が出来ているので生活に不満や不安はほとんどありません。この調子で過ごせていけたらいいと思います。7月からは少し研修の内容が変わるので、私含めて同期はみんなドキドキしています。本配属までうまくやり過ごせますように。

私の欲はかなりシンプルにできているので、その欲を変に解釈せず素直に感じ取って満たしてあげればそれでよいのです。簡単だ。

 

戯言。

登録してある求人サイト(もう必要ないのだから退会しなさい)からメールが配信されました。内容は「40代、50代、60代大活躍」とのこと。私、23歳なのですが……。と思いながらも、好奇心でクリックして開いてみると軽作業や警備員、新聞配達の仕事が紹介されていました。もっと足腰に優しい仕事が紹介されているかと思ったのに、私が本当にお金に困って日雇いバイトを探していたときと変わらない内容でした。(ちなみに私はシャンプーとリンスを箱の中に入れる仕事をしました。難しかった)それで、思い出したことがありました。以前交際していた男性がある日から日雇いバイトを始めたのですよ。私は彼はそんなに稼ぎが良いわけではないと感じてはいたものの、そこまで追い込まれているとは知らなくて驚きました。彼は私の父親と変わらない年齢だったこともあって、びっくりしたんです。でもまあ、日雇いバイトはすぐに辞めちゃったんですよね。何故かと言うと、彼は倉庫で商品(?)が詰まった段ボールをとにかく運び続ける仕事を任されたのですが、体力が全然追いつかなくて、ただ疲れるというだけではなく心拍数が異常に上って呼吸が苦しくなってしまい続けるにも続けられない状態になってしまったのでした。冗談ではなく「死ぬかと思った」と言っていました。私はもっと他の仕事を探せばいいのにと思ったのですけど、言えませんよね。頭が悪い私にもさすがに分ります。他に仕事がなかったのです、きっと。彼はあまり詳しい事情は書けないのですけど、バイトを辞められる余裕があったので命拾いしたのですが、間違いなく「死ぬかと思った」と感じながら本当に死んでしまう「40代、50代、60代」がいるはずなのですよ。なんだか、どうにも、私は、言葉にならないのですけど、どうにも苦しい。AIに仕事が奪われるなんてよく言いますが、AIよりも人間の命の方が安いですからね、奪われませんよ死ぬまで使われ続けるのです。これから老人が増えていく日本で、年金は消えるし、仕事もなくなるし、最悪。やだなあ。

2019年6月2日

 こんばんは、お久しぶりです。だんごです。気付いたら6月になっていた。

 

 近況報告。5月はGWから始まって公私ともにドタバタとしていました。仕事では、相変わらず研修をしています。実際の業務に真似た形で機器を触って悪戦苦闘しておりますが、まあまあ楽しくやれていると思います。恋愛も順調で(と私は思っている)趣味もそこそこやれているし、周りの人に比べたらそれなりに充実しているのではないかと思います。

 しかし、なんだろう。「時間が足りない」という感覚が常にあり、悲しい。文章を書きたいという気持ちはあっても、実際にPCを開くことをしないで眠ってしまう。家に帰ってご飯作って映画一本観てSNSをチェックして寝る。または、友人と外食して帰って寝る。そんな感じ。文章もだけど、仕事関連の勉強も全然進められていなくてなんかうまくいかないと感じてしまう。週末は友人や恋人と会いたいし、行きたい場所に行きたい。何もしないでぼーっとしたいし、おうちのことを片付けたい。そして、気付くとこんな時間(今は22時前)になっており、もう寝るかと言ってベッドでぐだぐだしだすのだ。そう、だからちょっとの情熱さえあれば可能なことを怠けている。本当に時間がなくてどうしようもないならこんな感覚にならない。仕方がないと言って諦める。今じゃないのだなと思う。でも、今は、今は絶対時間は作れる。作れるのにちょっとの情熱が欠けている。がんばらなくちゃ。寝る前の15分とか、朝30分早く起きるとか、いくらでもできることはあるはずなのに。だって、こんなブログでさえもなんだか下手くそになっている。やだなあ。本は読み切れなくても頑張って暇を見つけて読んでる。一行でも読まないと脳が停止してしまう。この焦りを解決していく6月になれたらいいと思う。

 いつも自分との約束を破ってしまう。

 もう書けることなくなっちゃった。こんなはずじゃないのに。たくさん話すことあるのに。失ってしまう。

 ブログ書けない。中途半端になっている小説を書きます。

2019年5月18日

こんばんは、だんごです。実家にいます。私に部屋は兄に取られてしまったので、客間で寝るのですが、隣のリビングにいつまでも人が居るので全く落ち着きません。寝る前に映画観るつもりだったのにダメですね。

 

旧私の部屋は兄の部屋になり、旧兄の部屋は父の書斎になりました。私の物はとりあえず兄の部屋にあるのです、と思ってたら一部父親の書斎に置いてありました。話が違います。さらに「本、重くて邪魔だから売ろうかと思った笑」と言われてキレそうになりました。大人なのでキレずにすぐさま本の救出作業に移りました。親は最低です。こんなことがあったので誰も信用できません。いつまでも実家に私物を置いておくわけにもいかない気がしてきました。全部捨てるか売るかしようかしら。どうしても売れない、手元に置いておきたい、でも今の東京の家では管理できない物をどうするべきか。早く広い部屋に住んで壁を大事な本をしまう本棚にして大事に大事にしたい。私の大切な物を守り、自分自身を守るためにも早く稼ごうと心に思いました。

 

恋人は日記を書き、私は諸事情によりそれを見る権利があるのですが、彼の日記には私の存在が消えていて寂しいのです。書けない理由はわかるけど、書かない意味もわかるけど、読むたびにちょっと凹みます。あなたが書かない、こことここの間の空白の時間を私はあなたと過ごしました。私は知っているのですよ。私と一緒にいて、日記に書くこともないくらい何も感じないんですか?と、面倒臭いことを言ってみます。まあ、書かない方が正しいのでこれは2歳児のイヤイヤ期と同様のものと思って頂きたい。

 

なぜわざわざこれを本人ではなく、ブログに書いたかと言うと、自分の恋愛の話を誰かに見てもらうってすごく恥ずかしいことだしあまり良いことでもないのかなと学習した反面、そこにこそ人間の面白い部分が凝縮されているのでみんな恐れずに書いて欲しいと思う、それで傷つく人がいるとしても自分の感情はどんどん書いていったらいいのだと思うためです。自分に言い聞かせている。

 

と、言ったようなことを喚起されたブログ(https://note.mu/myonomae/n/nf256166e786c)を読もう皆さん。おもしろかったです。

2019年5月12日

 カーテンを開けると見知らぬ男がこちらを見ていた。彼の目は一切の光を許さない深い黒色をしていた。彼は動かない。瞬きさえしない。私が息を飲み込む様子を見て、怯えているようにさえ思えた。彼の頬には涙が通った筋が残っていた。朝日がジリジリとふたりの鼻の頭を燃やす。まるで私と彼を引き裂くように。私は施錠を外し、窓を開けて彼の顔に手を伸ばした。彼の涙と怯える瞳に触れたかった。動かぬ彼にゆっくりと近づけていったその指先は彼を撫でることはできず、空を掴んだ。男は一瞬間に消えた。窓の下を見ると何かが黒く焦げて塵がつもっていた。風が吹き、塵は飛んでいった。

 

 私の中の嘘も真実も守りたいものも壊したいものも全てが本物で、何も間違ってはいない、ただそれらは一度に並べたら矛盾しているように見える。そのことに私は迷う。どこまでを認めてどこまでを隠そうか。全てを表現するには。

 

 誰もいない教室の黒板に先生は黙々と数学の公式を書き並べている。偶然廊下を通り掛った私は、彼のお尻の筋肉が動くのを見ている。先生は黒板いっぱいを文字で白くしたら、満足したように教室から出ていった。私は彼の文字を黒板消しで一文字ずつ舐めるように消した。たくさんの時間をかけて、教室は夜に飲まれていった。

 

 渋谷のハチ公前のベンチに座って、蠢く人々の眺めている。次々と人々は現れてどこかへ去っていく。そこで私は自分の目の前を通る人を数えることにした。ただ数えるだけでは面白くない。13時からカウントを始めて、100人目の人に声をかけたいと思う。「あなたは私の目の前を歩いた100人目の人です。よろしければこれからセックスをしませんか」

 

 客席に座っているだけの人生だったと思う。安楽椅子で煙草を吸う男はどこから入ってきたのか分からない猫を目で追いながら自分の人生を振り返っていた。猫はカーペットの上でくつろいでいる。20年間身を粉にして勤めた部署を追い出されてからと言うものの、何をするにも虚しい気持ちが付きまとう。今思えば努力したと思っていた20年間も己の認識の誤りに違いなく、操り人形のように上司や世間に踊らされて目の前のスクリーンを喜んで見ていただけであった。猫は突然人間のように2本の足で立ち上がった。そして器用に男の方へ歩いてきた。男は煙草の灰を落とした。小さな火が床に燃え広がる。猫はまっすぐ男を見つめて語る。「最期に私を抱いてみなさい」猫は男の理想の女の形に変貌し、男の唇を奪った。男は火事で死んだ。

 

 今回の記事でお伝えしたいことは、性欲が爆発しそうですということです。苦しい。性欲嫌い。おしまい。

2019年5月5日

 今日は日曜日ですね。明日でGW最後になります。昨日、もうGWも終わりか~と凹んでいましたが、GWではなく3連休が始まったばかりだという見方をして生き延びました。だから夜更かしもしちゃった。

 10時くらいまですやすやと眠っていました。夢を見ました。高校の同窓会。めったに来ない美術の先生がやってきたので、これはみんな会いたいだろうと思い、後輩の美術部の男の子に連絡をした。彼は結局来なかったけど、あとでご飯を食べた。後輩とその友だちと。後輩は日に焼けていてサッカー部のような陽気な奴だ。(実際にはそんな知り合いはいない)体操着を着ていた。一緒に来ていた友だちは少しにやにやしている。私と彼の関係を怪しんでいるのだろうか。後輩は、また会いましょうと言って私に笑いかけた。

 目が覚めてから夢の内容を考えるとおかしい点がある。高校のときの美術の先生は夢に出てきた人ではない。やさしい物静かなおじいちゃん、みんなに慕われていた。夢に出てきた人は、中学のときの最初の美術の先生だ。彼女は40代くらいだったのだろうか、もっと若かったかもしれない。体に癌を患っており、常に体調が悪そうだった。そして気難しい人だったように思う。

 多くの生徒は彼女を苦手にしていた。何を目的に美術の授業をしているのか摑めなかったためだろう。彼女は期末試験に白い紙を全員に配ってピカソゲルニカ》を時間の許す限り模写しなさいという課題を与えた。鼻から試験なんて関心がない奴らには有難かった。しかし、良い内申点を勝ち取り、良い学校へ進学することを目標とする奴らはみんな動揺していた。知識を問われる問題なら教科書を覚えてくればいい。きっとピカソの名前や作品名を覚えてきたはずだった奴らの目の前には白い紙だけ。私は絵を描くことが比較的得意であり、好きだったので楽しく試験時間を過ごしたが、奴らにとっては地獄のような時間だっただろう。結局、あの試験はどういう評価の仕方をしたのだろうか。説明されたような気もするが思いだせない。模写についての作法のようなものを授業でみんなで習ったわけではないので、答案用紙に書かれた《ゲルニカ》はひとそれぞれ全く様子が異なっていた。全体を大雑把に捉えて描く人。端から詳細に描く人。特徴的な部分を取り出して描く人。教室の中に《ゲルニカ》を全て模写できるほどの能力を持った人はいなかったし、まず時間が足りない。先生は最初から完成させることを私たちに望んでいなかった。今思えば、あれは優れた作品の細部まで見つめる練習だったに違いないのだけれど、生まれたばかりの中学生には先生の意図を読み取ることはできなかった。

 先生は交換日記のようなものを希望者と行なっていた。希望者なので、やりたくない人は提出しなくてもよいしやりたい人は提出すればよい、成績には何も反映されないと言った類のものだった。私は毎回提出した。毎回絵を描いてコメントを書いて先生に提出した。絵を褒められると嬉しかった。当時の私は文章よりも絵の方が得意だと思っていた。先生は時々弱気なコメントをしていた。先生も苦労されているのだと思った。それなのに生徒は先生に不機嫌な態度をして先生を怒らせる。それを気に入らないと思っていた。

 先生は途中で学校をやめた。病気が悪化して、教室に立てなくなったのだ。新しい先生は新任で若くてみんなからいじられながらも、すぐ好かれた。前の先生よりも美術の時間が和気藹藹として楽しい時間になったようだった。私は提出する先のない交換日記をどうしていいか分からなくて、ずっと新しい先生とはみんなみたいに馴染めなかった。

 私が中学を卒業する前に先生はこの世から消えた。さびしかった。みんなはそんな人いたねって言っていた。そのとき、交換日記を未だに持っていたのは私だけだと思った。今はもう、捨ててしまった。

 すっかり忘れていた先生のことを、夢の中の私はちゃんと名前も覚えていてびっくりした。夢を見ている私は「あの人、見たことあるな」と思っていた。夢の中の私がちゃんと教えてくれた。そして思いだした。中学生の頃の思い出。美術室の水彩絵の具の匂い。ちょっと怖い石膏像。静物画を描くときに使われる瓶、よく分からない植物、オレンジのレプリカ。1階のひんやりした空気。ガタガタとした椅子。退屈そうな生徒。かつぜつの甘い先生の声。

 

 今日は友だちがおうちに泊まりに来るので、大慌てで部屋を掃除しました。いろんな話ができるといいな、楽しみ。今日は暑いからTシャツででかけたいと思う。日焼け止めを塗るよ。

 それでは。

2019年5月3日

 せっかく作業用の机があるのに、私は椅子に座って左の太腿にノートパソコンをのせ、その先のふくらはぎを机の端に乗っけてブログを更新しようとしている。酷い姿勢だ。椅子も浅く座り、背もたれに体重を預けているため腰に恐ろしく負担がかかっている。

 GWがもう少しで終わるようだ。10連休は長いと思っていたが、はじまってみたらあっという間に過ぎていった。GWがはじまる前にいくつかの予定が決まっていたが、それすらも無視してほぼ無計画に偶然に身を任せて今日まで来た。

 4月の目標は「がんばらない」ことであった。鬱状態にならなければ目標達成。現状、ひどく気持ちが塞いで何もできない状態にはなっていないのでうまくやれたと判断している。5月の目標はまだ決まっていない。GWのように風の吹くまま暮らすのは、あまり良くない。私は明確にやりたいことや進みたい方向を持っているのだからそれに向かって少しずつ行動を起こしていかないといけない。と、ちょっと意識高そうに書いてはみたが、現実はお金が全然ないからそのときの思い付きで活動したら一瞬で破綻するというだけのことだ。貧乏は窮屈だ。大してお金を使っているつもりはないのだが、今月は辛抱していかないといけない。でも今月の目標を「節約」にするのは味気ない。何かないかな。

 東京に引っ越してから電車の中で眠ったことがないことに今日気が付いた。実家にいるときは、東京に出るまで乗換なし1時間ほどは必ず乗車するので席に座れた途端に眠る体勢を整える。そうでなくても帰る頃にはすごく疲れていて体が勝手に眠ってしまう。引っ越してからは1時間も同じ電車に乗ることはまずない。どんなに疲れていても、乗っている電車が終電間際であっても、終点に向かう電車でも寝ない。知らぬ間に体が緊張しているようだ。乗り過ごしを恐れているらしい。体って不思議だと思う。

 今日は帰宅してからいろいろとやりたいことがあったのだが、思ったよりも疲れていた。ブログを書いたら就寝になりそうだ。電車に乗っている間に本文の構成をもくもくと考えていたが、いざ書いてみると全然その通りにはいかなかった。何を書こうと思っていたかも飛んでしまった。そのため、もっと面白いブログになるはずだったのに唯の日記になってしまった。思い出したらまた更新したい。寝る前に映画か本か、ぼんやりと見られたらいいな。明日は部屋中をきれいにして、料理をする。本を読む。文章を書く。いつもと同じ。

2019年5月1日

 昨晩、帰宅してからというものの、私のところには朝がやってこない。およそ30時間の夜を過ごしている。そして、この後も夜だろう。明日の6時には朝が来る予定だが、本当に訪れるのか疑わしい。

 虚無に襲われてスーパーでビールを購入し飲んだ。酔っ払ったまま、片付けもせずにベッドで寝てしまった。ぱちりと目を覚まし、まず思ったことが「今何時なのだろう」、そして、「燃えるゴミまだ間に合うかな」。時刻は6時半ほどであった。私は自分自身に絶望した。明日のことを考えたくないがために飲酒をしたはずが、何もかも無意味だった。手遅れだった。ゴミはちゃんと出した。そして二度寝をした。

 今週はずっと体がだるく、寝ても寝ても眠い。何度眠りに就いても数時間立つとまたまぶたが落ちてくる。寝ていないときは本を読んでいる。音楽を聴いている。人と会話をしている。

 ジャスミンティーを淹れた。頭痛を和らげてくれる温かいお茶ももうすぐ疎ましく感じる季節がやってくる。雨が上がれば直に晴天に恵まれるだろう。

 友人とショッピングモールへ行った。適当に入ったZARAで可愛いワンピースを見つける。友人が私に試着してほしいと言うので着てみた。試着した私を友人がしきりに褒めるので気分が良くなってそのまま購入。半そでのワンピースなので早く暖かくなってほしいと思う。これを着用して街をお散歩したい。ZARAはXSがちょうどいい。

 知らない間に平成が終わっていた。令和。特に語ることはない。平成に生まれたからと言って、平成がどれほど暗い時代であったか、そして令和が平成を超える酷い時代になるだろうということしか分からない。

 人間に生まれてしまった。猫に生まれたかったと思う。どうしようもない感情を抱えている。猫はきっと寂しい夜の過ごし方を知っているし、猫はきっと星の読み方も分かるのだろう。彼らは目が悪いと言うが、立派なひげ(定期的に生え換わるので清潔だ!)と三角の耳でどこまでも見ることができる。その上で、彼らは見ないふりをしている。とても巧みに。馬鹿な猫ねと人間に馬鹿にされても何も思わない。猫は猫の範囲で暮らしている。決して背伸びをしないし欲張らない。

 部屋の外から猫の鳴き声がする。どこかで雨宿りをしているのだろうか。ずっと夜が明けない私の部屋には本がある。お腹が空いたら食べるつもりだ。