情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2019年3月5日

やっほー!だんごちゃんだよ。

 

新居に引っ越しました。一人暮らしです!やっとここまでたどり着きました。おかげさまでだいぶ調子がいいです。(おかげさま?)まだ家具とか不揃いで不完全なんですが、すでに快適さを感じています。街も住みやすい気がする。駅からの距離と家賃、部屋の設備で決めたので、街の様子とか全然気にしてなかったのですけど、とりあえず徒歩10分程度で生活に必要最低限のものは手に入るみたいだ。よかった。自転車を持ってきたので、行動範囲をもっと広げることもできる。人がいないと自分のことに集中できるし、自分のやりたいようにできるので最高です。どうしても部屋が狭いので、必然的にミニマリストを目指さなくてはいけなくなる。今までずっとゴミに囲まれていたことがよくわかります。必要なものだけを揃えて生きていきたいです。ネット環境がまだ整っていないので、スマフォのテザリングで頑張ります。ネットがないせいで読書が捗ります。むしろこのままでもいいのではと思うくらいネットが繋がってなくても不便さを感じていない。いや、いろいろ困るんですけどね?実はすごく今ご機嫌です。思い描いていた机と椅子が手に入ったからです。最高。超シンプルなやつが欲しくて、できればたためるといいなあと思ったら、全くその通りの物を見つけてしまった。シンプルなベッドと机だけあるみたいな、部屋が好きなのでかなりいい。これからがんばっていこうと思います。ちょっと眠くなってきちゃったなあ。こんなところで失礼します。またね!

2019年3月2日

将来とか仕事とか自分自身とか家族とか社会とか同調圧力とかこわいものがたくさんあって、こわくてこわくて涙が出てしまう。私は弱いから何もできずに怖いものが私をじりじりと殺していくのを放っておく。なにも苦しくなることないのに、だいたいのことはできるのに、無力。死にたい気持ちが生まれてしまうのをどうしたらいいかまだ、まだどうにも処理しきれなくていつまでつづくのだろうか、死にたい。死にたくないのに。ずっと夢のなかにいたい。ここに居たくない。

2019年3月1日

恋人に毎日3時間小説を書こうと言われて、無理ぽと思いつつ着手して90分で力尽きてブログを更新するに至るだんごちゃんですこんばんは。でも、テーマ変えた途端に指が動くようになったから、今はまだ慣れてないだけで続ければ3時間書けるなと思った。なんでもいいから書かないとだめなんですよ、できれば原稿を、それができないならブログとかエッセイとか日記とかなんでも。脳内の言葉を指を動かして文字に起こす訓練が大事っぽい。ほぼ筋トレですね。

 

そう、テーマを変えたんですよ。それまでの原稿は設定もキャラクターも筋書きもできてて、あとは隙間を縫うように私の設計図に従って文章を書けばいい状態にも限らず原稿が進まなくて、もうはっきりと言葉にすれば、書きたくないと思っていたのね。いいや、諦めチャオ☆と半ば心折れていたんですけど(苦笑)ブランショを読んでて、私は頭が悪いから全然理解が追いついてないけど、それでも降りてくる?感じで、今のテーマに変えた。なんか、ほんと恥ずかしいんだけど「小説書きます☆」とか名乗っておきながら小説書けてないの。なんで自分が書かなきゃいけないのかよくわからないし、そんなことよりもずっとやりたいことがあるような気もするし、誰かに評価されたり求められているわけでもないし、そもそも作文が上手じゃないしさあ~。でも暇があるとなにかしら書きだすから、まじで病気だよ病気。

 

やべ、考えていることが文章を追い越して文字がまとまらなくなってしまった。頭が過回転しているな。

 

苦しい。誰か私の肩を揺さぶって、お前には才能がある!だからやれ!と言ってほしい。それか、お前には全く才能が無い!だからやめろ!と言ってほしい。宙ぶらりんだ。「書きたい」と思う私の衝動を作品にして、誰かに評価してもらえるならどれほどいいかと思う。一方で、そんなものを評価するに値しないんだよと言われたら安心して書ける。何をしているんだ?誰かの言葉のために書くのか?ちがうんですよ~ママ――――ッ!!!!!!と、あっちこっち悩みつつも、どうにか成果を出さないといけないと今のところは思う。みんな小説家になりたいと言う。そのうちの小説を書く人はまあ少なく、小説を完成させる人はさらに少なく、そして賞に出し、章を受賞して、本を出せる人は一握りだ。俺はそちら側へ行く。やる。やるしかねえ。やるぞてめえら。あああああああああああああ。▼だんごは錯乱している!

2019年2月28日

こんばんは!だいたいポップコーンたべてるだんごちゃんだよ。

 

午前中のうちにタスクを終らせようと思って目覚まし時計をセットして眠ったのに起きられなかったよ。でもちゃんと自分でやろうと決めたことを終らせたのでえらかったですぼく。めちゃくちゃうまい麻婆豆腐食べたい。何を思ったか、ミスiD2019のサイトに行って女の子たちの画像を観てたのね。私よりも肌が白くて私よりも若くて私よりも目が大きくて、嫉妬心でぐるぐる胸の中にドブが生まれて臭い物が流れてくるくる。はちゃめちゃえっちしたくなってきた。最近よく人と自分を比較しがちだな。アートスペースに展示してある作品を見て、私とその作者との差を感じて悔しかったり悲しかったりするし。私なにもできてないから、悔しがるのもおかしいのだけど。すっげえ大きなぬいぐるみ欲しい。春が来る前に書きたいと思っているテーマのエッセイがあるのでこのあと書くか。書きましょうね。なんでもいいから書かねば……。うう。美味しいコーヒーを飲みたい。

2019年2月26日

こんばんは、だんごちゃんだよ。更新頻度上ってるね。鍵のついているアカウントがなくなっちゃったから、無駄な独り言をここで発散しているんだよ。笑える。もう暖かいから薄手のアウターで大丈夫でしょ♪と家を出たら、美容師さんに「え、寒くないですか?夜はまだ冷えますよ……」とちょっと引かれたよ!

 

みんな知ってます?2月って他の月よりも日数が少ないからもうすぐ3月になっちゃうんですよ。きゃー!お仕事されている方はいつもより早く給料日が来るから嬉しいそうですけど、私は焦っています。何がって、4月になるまでの、入社するまでのこの自由な期間を有意義に自分を伸ばすために使うんだって張り切っていたのに、日常の雑務に追われて何もできてないって思っちゃうんだ。うーん。これやってやろうやろうと思いながら何も達することができずに人間は死んでいくのだろうか。いやだー!季節の変わり目でさ、体調も崩しやすいし、しかたなくない~?とか言い訳してる場合じゃないのよ。ツイッター(だんごちゃん)をやめたおかげでスマフォ観てだらだらする時間が減った。活字に対する欲求があるから、代わりに本が読める!笑。あと、暇さえあれば映画観てる。そんな感じ。でも、その全部がなあなあに過ぎて行っているのがよくないんだよなあ。ハードル上げると苦しくなるけど、だらだら続けても自分のためにならないし、様子見つつ工夫していく。人間は簡単には変われないから、一人暮らしをするタイミングで真っ当な人間になるぞと決意したところで3日で丁寧な暮らしは終了するのは分かっている。でも、嫌でも自分の習慣を変えなくちゃいけないタイミングだから、自分にとってプラスになる何か新しいことが始められるといい。簡単なこと、例えば家に帰ったら手を洗うとかね。なんかね、実家にいると特にそれが酷いのだけど、何をするにも悪口が聞こえてくるというか、被害妄想?がやや強いんですよ。実際に幻聴が聞こえるわけではありません。今、ツイッター清水優輝)(フォローしていない人はフォローしよう!笑)で日記を手書きで書いて公開しているのね。これも公開した後に何者かから「お前はつまらない文章を載せるな」「字が汚い」「こんなことしてないで他のことをやれよ」と言われている感覚があるの。むー。あとは、家でだらだらしてると誰かが「ふーん、それでいいんだ」「そうやっていつまでも底辺に所属していればいいよ」と囁いてきてしんどくなったりしている。あとはこれに関しては本当に被害妄想で酷いことだとも分かっていてそれでも直らないのが恋人に嫌われているっていう思い込み。今の人に始まったことじゃなくて毎回交際相手にはそう感じてしまう。どうしたものかね。そういう悪口みたいなものが聞こえてこないように自分を完璧にしていきたいけど、完璧を目指した結果、私は過去に抑うつ状態に苛まれているわけだし、悪い方に考えやすい、自罰的だっていう特徴があるのだと自分自身を客観視して付き合っていかなくちゃいけないね。それに、この性質は病気とかじゃなくて私が生まれもったものだと思っていて、そう、分かり易く言えば「苦しいことを求めている」聖女の文章に心が惹かれるのは、彼女たちが神の名の下に自己を卑しめて清貧な暮らしを貫いている姿が描かれているからで、羨ましいのだと思う。聖女になりたいわけじゃなし、キリスト教徒になりたいわけじゃなし、ただそういったものに惹かれていく部分があるというだけで、信仰が持てたらかなり楽だろうなとも思う。ヴェイユが「わたくしの最大の望みはすべての意志だけでなく、すべての自分の存在を失いたいということ」と述べるが、私の自己否定は結局はそこに辿りつく、世界が私なしで美しくあってほしいと願う、そういうところへ、そういう心持ちで常に暮らせたらどれほどいいかと思う。私は弱いから雑誌や広告に騙されて化粧品なんかを買ってしまうんだけどね。ていうか、この引用部の意味ちゃんと取れてるか不安過ぎて笑う。いいかげんだなあ。お風呂入って明日の準備をします。おやすみなさい。

2019年2月25日

こんにちは!だんごちゃんだよ。サイゼでもくもくと本を読んでいますが、伸びてしまった前髪が私の視界を邪魔をするので鬱陶しくて引き千切ってしまった、頭皮が痛い。うそだよ?

 

本当は4月までに『失われた時』を全て読むぞ!と意気込んでいたけど、全然読み進めてないし昨日の記事からも分かる通り違う本に浮気しているよ。本は読むべき時、読まれたい時に向こうから私を「呼ぶ」のでそれに身を委ねて本を読むスタイルなの。夏目漱石から「呼ばれた」ときに本棚に漱石の本があったらすぐに読むことができる。このために私は気にせず積読を増やし続けています。買ってから数年手をつけてない本が普通にあるって、まああまり一般的じゃないよね。汗。これからは節約のために図書館をたくさん利用します。

 

書こうと思ったこと、わざわざブログにすることないなと思ったので自分の個人用メモに帰ります。さようなら。笑

2019年2月24日

おはよう、だんごちゃんです。今日は休日。母はマラソン大会にでかけて父はゴルフへ行き、私は猫とお留守番。お兄ちゃんは部屋に引きこもっているのか、でかけてるのかいつも曖昧なのでカウントしません。猫はぐーぐー寝息を立てて気持ち良さそうに眠っている。私は冷蔵庫にあった誰かが食べ残したコンビニで売ってるアップルパイの半分を食べてコーヒーを飲みつつ本を読んでいます。(名前が書いていない、冷蔵庫に入っている食べ物は誰でも食べていいので、私は盗みを働いていません)昨晩からシモーヌヴェイユが読みたくなって、ぱらぱら眺めています。『重力と恩寵』はもう引っ越し先に持って行く段ボールに詰めてしまったので、置いていくつもりだった『神を待ちのぞむ』『根をもつこと』を手に取りました。やっぱりこれも持って行こうかな。あと訳者で有名な田辺保氏のエッセイ本?もこの後読みたい。こちらは著者がヴェイユに関連する土地を訪れて、ヴェイユの足跡を追う内容。大学図書館が毎月最初の水曜日だっけかな?除籍した本を置いておく棚があって、そこにあったのでもらって帰ってきた。面白い。ヴェイユはあいかわらず何を言っているのかよくわからないところも多いというか、それは当然でまず私には圧倒的にキリスト教の知識が足りてないし、それに加えて特に『根をもつこと』は大戦の最中のフランスの政治的状況を把握していないと摑み切れない部分があって、まあとにかく私の知識不足なわけですが、そういう箇所を取っ払っても現在に生きる我々が読むべき本にあげられると思う。それは、彼女が問題とする「根こぎ」が解決していないためであり、私たちは人も土地も時代も社会も文化も知識もすべてが断絶した危険な時代にいるから、と、慣れないことを書くのは辞めます。まだ読みこめてないし。引っ越しの準備をしていて、改めて自分の本棚を確認してこれが私なのかなあと変な気持ちになる。本棚をツイッターとかに載せて承認欲求を満たす人がいるけど、他人がやっているのは構わないけど自分は絶対にやりたくないなと思っていて、それは自分の肉体を構成する血液の中のヘモグロビン値を知られてしまうむず痒さがある、健康診断で出てきた結果を医者がじろじろと見て「あなたはお酒を飲むのを控えましょう」と言われる、あの感じ、たぶん、言われたことないから想像だけど。最近、思うところがあり意図的にだらだら読点つけて長く文を書くようにしてたら、書き癖になってきちゃった。読みにくかったらごめんね。それで、ね、本棚を晒すのは恥ずかしい話の続きだけど、同じ理由で好きな作家や好きな本の話をするのもすごく苦手なんだよね。好きな作家がマイナー過ぎて誰にも伝わらないっていうのも理由のひとつだけど、それについて語るのがすごく恥ずかしい。なんだろうね。でも、今日は恥ずかしいのを我慢して書いちゃうね。私の本棚はね、福永武彦とその人の影響、二階堂奥歯とその人の影響、少佐(昔にいたツイッタラー)の影響、とあとは大学の講義で扱ったフランス文学、日本文学と教科書で出来ているの。だから自分の本棚なのに他人の本棚を持ってきたみたいに見えて自分がどこにいるのか分からないのよね。でもね、恋人も二階堂奥歯に影響を受けている人で、通ずる部分があるけど彼の本棚と私の本棚は全然違う。奥歯のどこに響いたか、私はヴェイユやアニー・ディラードに繋がっていったけど、彼は違う人に繋がっていった。だからきっかけは誰かの真似だったかもしれないけど、ちゃんとそこに「私」がいるんだとは思う。思うだけで、ふわふわしてるけど。笑。就活中に自己分析をするじゃない?そのときはいまいち分らなかったけど、今ならそういうことかと納得する、自己分析でね、何でもいいから自分の好きなものや嫌いなものを書きあげろって言われるの。こちらは「就活」のためだからなんでそんなことするのか、「見栄えのいい自分」を作ろうという意識が前提にあるから自己分析しても面白くないどころかひたすら病んで行く。20年そこら生きてきて何も成しえなかったってね。でも自己分析でやらなきゃいけなかったのは、書きあげていく中で自分の特徴を浮かび上がらせることだったんだよね。浮び上ってきた「自分」が何を望むかを知る作業だったわけだ。「就活をする自分」に聞くよりも「書かれた自分」の方が信用するに値するしね。その辺ちゃんとできただろうか。4月にならないと分からないな。間違ってたら軌道修正していこうっと。で、だから本棚に並べられた誰かに影響を受けた本たちも、隣あう本が共鳴しあってだんだんと「自分」が浮び上ってくるはずなんだ。そうして、私は私が書きたいと思う物が自然と湧き出てくる。今はまだ足りてない。もっといろんなことを学ばなければならない。本棚に自信が持てるようになるといいねってお話でした。おしまい。ランチは何を食べようかなあ。