情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2017年10月11日

磁場が狂ってる。方位磁石がぐーるぐる。明日は漢字のテストだから手を動かしてだんごちゃん!漢字はスポーツだから!
今朝は意地悪だった。私が先に電車乗ってたのに、おばさん4人が私が立つ目の前の席に座ろうとしたから、空いた席に即座にバッグを置いておばさんブロックしたの。そうしたら、おばさんに囲まれる形になってしまい、おばさんのおしゃべりを浴びる形になっちゃった。おばさんってなんで、あんな、金属的で息が多い声で16分音符の意味が無い話をするのだろう。あの人たちに移動中に話した内容を思い出してノートに記してくださいとお願いしたら1行も書けないんじゃないかな。私だって忘れちゃった。あまりにも意味が無いから。あーあ、そういえば初めてのバイト先や大学で意味の無い話を聞かされたなあ。これと同じことだったなあ。不愉快で気持ち悪くて話しているその人の声まで嫌いになっちゃってどうしようもなかったなあ。
(この改行はシフト+エンターで行なっています)

落ちついた!狂気に勝った!最近、狂気に襲われる回数が増加傾向にある。踏ん張らないと恥知らずなメールやLINEしそうになる。本をたくさん買ったんだ、それを読んで耐え忍ぶんだ。その前に漢字の勉強をするんだ。がんばれ♡がんばれ♡Ⓒ伊東ライフ

 

勉強終わり!はや!仕事がいい加減なんだよな。あー泣きそうだー!わああああああ!!わああああああああああああ!!!!鎮まれ〜♡♡♡鎮まれッ♡書かない♡書かない♡

 

今日の私は「構って欲しい」「愛して欲しい」「見て欲しい」「ちやほやされたい」と欲が噴出してた。この感情が無くなればかなり生きやすくなるのに、思うに20代のうちはつきまとってそうじゃないですか?10代なら可愛いけど20代のそれはまずいですか?たすけて!

胸と胸の間に、どこでもドアーでやってきた閻魔様的存在が「どうもー!閻魔様ですー!えー早速ですがね、ここで"""地獄"""をやらせて頂きます宜しくお願いしまーす。はい!ではこちらをご覧下さい。いやあ、すごいね。真っ赤っか。真っ赤っかですねえ。これ、なんだと思います?未消化の劣等感。あっはっは。こんな溜め込んでねーこの身体の持ち主は相当のバカですね。ちょっと、閻魔様、今からこの劣等感を動かしてみようと思いまーす。どりゃあ!!!はあはあ、重いわ。腰がやられるっての。......聞こえます?泣き声。身体の持ち主は、閻魔様がこれを動かしたから泣いちゃったね!ははー愉快愉快」ってな具合で、悪さをしてるんじゃないかと思うくらい苦しくてねえ、うひー。がんばっていきる。閻魔様に負けないも!

2017年10月9日

頭が痛いから早く寝たほうがいい。呪いを解くことに時間をかける人生になってしまいそうで恐ろしい。幼い頃に拾い忘れた宝物を回収するように今日はセボンスターを初めて買った。そうしている間にどんどん周りは前進して、私を置いていく。周囲に比較対象が居ないと毎日が楽しく、心穏やかである。理解者がいないと寂しい。いくつかの心の矛盾を認めて、望む方向へ歩いていくしかない。肌が求めている事実を、求めているのだねとただ笑って撫でてあげる。長く脳を支配し続ける幻影をどうにか記録し閉じ込めて、日常と切り離してあげたいのだ。生活する上で邪魔となる欲求は、虐げるのではなく住むべき場所を与えることで沈静化する。ほら、耳を澄まして。鞭が皮膚を裂く音が聞こえてくるでしょう。居なくなったりしない。忘れもしない。情死の夢。

2017年10月6日

家族以外の人と話さないのが私の日常なので、会話欲?コミュニケーション欲?が満たされず、ついついツイートが増えてしまう。リア垢もだんご垢も。ツイート増えるとなんとなく安っぽいというか、暇なんだなこいつと思われそうで嫌なのよね。うまく他の方法を考える。ブログもまた解消法のひとつ。

他人と会話をしない日常の弊害としては、可愛い私を誰も知らないことだ。正直言って最近の私は可愛い!肌の調子最悪だし、前回書いたとおり絶好調に太っている。そしてお金が無くてホームレスみたいな服装してる。だが、しかし!機嫌がかなり良い!仮にメンタルが落ちても30分程度で落ちつくのですよ。素直でご機嫌さんで箸が転んでもおかしいお年頃なのに、誰もそんな私を知らない。絶対今の私とお話したら何でも笑うから楽しいと思うんだけどなあ。はー、勿体ない!人類の損失!ルックミー!プリーズ!

……こんな具合で自己愛の方向性がバグってきた。機嫌が良いのは事実だし精神的に安定してて良いことだとは思うけど、度が過ぎてきたら誰か止めてください。

 

母とテレビを観ていたら、3歳の子どもがお気に入りのTシャツしか着てくれないから寒い季節に耐えられず風邪をひいてしまったという微笑ましい季節のニュースの映像が流れた。何気なく私が「私が小さい頃もお気に入りの服しか着たくない!って駄々こねた?」と聞いた。母は「うちの子たち(私は男女の一卵性双生児なので、たいてい一つにまとめて言われる)は偉かったよ。与えた服を何も言わず着てたね」と答える。過去形で「うちの子たち」と語るのは、なんだか私じゃない人のことを話しているようで少し面白かった。私たち双子には偶然にも2歳年上の男の友人と女の友人がそれぞれいた。彼らとは家族で親交があったため、私たちはその友人のお下がりばかりを着ていた。(これ書きながらうっすら思い出したが、ずっと前にも洋服お下がりの件はブログに書いた気がする。)母は「やっぱり、お気に入りの服は『買ってもらった』という経験があるからなんだろうね。お下がりじゃお気に入りにもならないから、うちの子たちは何も言わなかったんだろうね」と笑って言っていた。ギクリ。私はハハハと笑いながら、ギクリと思った。幼少期の私は、お下がりの洋服について何も思ってないわけじゃなかった。お下がりが当たり前だったから嫌だとは思わなかったが、自分で好きな服を選ぶという作業を一切経験してこなかったから、自分が好きだと思ったお洋服を着てみたいなと常々感じていた。その私の気持ちを露も思わず、母がうちの子は偉かったなんて言ってるのは少々悲しいものがあった。当時の私は我慢していただけだったのになあ、と思う。そう思うだけで表面上は笑うことができる現在の私の方が偉い。私は自分なりに訓練した結果、幼少期の感情と現在の感情が混線することなく区別できるようになった。多分、その訓練をしていない高校生のときに「なんでも服を着て偉かった」なんて言われてたらその場で泣いてしまったかもしれない。己の成長を感じながらも、心の傷はしっかり反応するもんだ。

派生して、「好きなものを選んで誰かに買ってもらう」ことに対する強い憧れがあるのはお洋服がお下がりだったことがきっかけなんだと思う。陳腐で我ながら失笑してしまうのだけど、私はお誕生日にブランドバッグとかディズニーランドチケットとかありきたりなプレゼントが欲しいのだ。22年間一度も貰ったことがなくて。要望が高過ぎるのかな。そりゃ、欲しいものは自分で手に入れたいし手に入れる努力もする、自分で手に入れる幸せも感じる。一方で、私の欲しいものを誰かに買ってもらうことも幸せだと思うんだ。人の金で食べる焼き肉は上手いとかそういう話じゃない。満たされると思う。肯定されると思う。私の好きなものを誰かに肯定してもらえたら、単純にとても嬉しい。お金を出すっていうのが最も分かりやすい肯定だからね。いつもお下がりと特に気に入ってないセール品の服ばかり選んで着てきたことがまさか性格形成に影響あるなんて、親も思わないだろうな。

父はまた、言った。(多分服のコンプレックスと本のコンプレックスは度々話題に出してる。前の記事を確認しないからこういうことに……すいません…)父がね、「カズオイシグロの本を買ってきて、中古で」って言うんだ。父は中古、というか主にブックオフでしか本を買わない人だ。古本が悪いとは思わない。でも「定価で売ってるが古本で出回ってないなら買わない」という考えはどうしても受け入れられないよ。苦学生じゃないんだから、働いているのだから、定価で手に入るのだから、新品の本を買ってほしい。傷つく。本に対してお金を払う価値が無いと言っているようなものだ。特に私は将来出版社周辺の仕事に就こうと考えているので、尚更傷つく。父が出版物にお金を払う価値がないと考えているのなら、私の就職先にも価値が無いと思っていることになってしまい、ああ、それはつらいんですよ、どんなに父がその気が無くても私のことが嫌いじゃなくても、私はどうしたって親のリアクションを気にしてしまうし、親から認められたい、褒められたいから、本にお金を払わない姿勢を見ると私の存在や努力を否定されたようでつらいのですよ。つらいんですよ。(つらいって親に言えればいいのに、言えないんだよね情けないね)

 

大切に育てられたつもりなのに、小さい小さい蟻が千切ったような穴が無数に集まって今の私の心にぽっかり闇を生んでしまった。しかし、親にほめられたいって初めて自覚したな。この気持ちは親に恩返ししたいという気持ちだと思ってたけど、違うんだな、これは褒められたり認められたりしたい気持ちなのだな。あー。そういうのじゃないって思ってたのに、自分にちょっとがっくし。早く脱したいな。うむうむ、何度も自分を見返して修正したり矯正したりを繰り返してもまだ見えてない私、巧妙に隠れている幼い私がいるのだな。お勉強になった。驕らないように気をつけゆ。大衆・人類すべてみたいな大きな対象じゃなくて「親」と断定して認められたい相手を見定めたのはかなり良い一歩だったと思う。よくやったぞだんごちゃん。一緒にがんばろうな。えっと、どっちに向かって歩けばいいの?自分を自分を認めるって段階は良い具合にクリアーできそうではいるから、そっちに進んでいけば自ずと親の呪縛が無くなるかな。難しいことなのかな。わかりゃん。まァたぶん、親に代わる誰かー多くの人にとっては恋人ーに認めてもらえればかなり満たされるんだろうな。私はそれも失敗しちゃったから、ダメだねえ。私を大切にしてね。私に甘え過ぎないでね。私ももう甘えさせ過ぎないように気をつけるし、私の意思をちゃんと言うから、「私」を曲げようとはしないでね。ただそれだけを思うよ。

 

ぶっちゃけてしまえば、むちゃくちゃSMがしてえです。性的遊戯がしてえです。たちゅけてぇ。そうゆう周期なんらな。妄想だけだ~。自分の望む形でそれが達成できる未来が来ると信じて今はお勉強がんばるよ~。圧倒的成長!ぎゃんばれ~!

 

と、まあ気付いたら3000字まであと少し、よく書いたね。SMの話とか自分と親の関係とか幾らでも話膨らませられるけど、抑えめにしたよ。誰が読むんでしょうね。ここだけは無法地帯で行きたい。私は自由だッ!おわり

 

 

2017年10月2日

どんどん自分の存在感が薄くなって感情も静かで、これは大変良いことだなあと思いながらも、野獣の呻き声が内側から聞こえてくるのを無視しているに過ぎないのかもしれないな、だって今も泣いてしまったよ、あなたが今生きて、考えていること、に、当てられて、私に届いてた。

 

引きこもりの私にとってはかなり忙しい週末を過ごした。

金曜日。私は大学の講義を終えて友人の仕事が終わるのをネットカフェで待ち、合流した後、新宿2丁目へ向かった。お互い新宿なんか何度も行ってるのに、会場が分からず迷子になって同じ道を行ったり来たり。途中、もう到着しないんじゃないかと諦め始めていた頃に目的地を発見する。全然分かりにくい場所じゃない。どうして迷ったのか分からないくらいだ。非日常世界に没入するためには手順があったのかもしれないねと笑った。

今回お邪魔したのは「りんごないと」という椎名林檎さんの曲オンリーの非公式イベント。林檎さんの音楽に包まれた会場は、みんな一緒に『罪と罰』を熱唱したり、クイーンの美しいお姉さま方のパフォーマンスを観たり、林檎さんと音楽への愛で熱気ムンムンでした。みんな踊って歌って笑ってお酒を飲んでいた!朝までテンションマックス。コスプレしている方もいらっしゃって、楽しかったなあ。場所が場所なので、私のようなちんちくりんが行ったら浮いちゃうんじゃないかと不安だったけれど、思う存分飛び跳ねてきました。今までのクラブで一番楽しかった。素晴らしい空間だった。私の友人も満足していた様子で嬉しかったな。次回の日程はまだ未定のようだけど、林檎さんのことが好きな人はぜひ行って欲しい。ブラックデビルを吸っている人が近くにいたようで、帰宅した私はかなり甘い香りを纏って眠りから覚めても鼻に残っていた。よいお土産。

そして、土曜日。猫とお布団で眠ってお昼に起きる。2時間くらい勉強をして、家事を済ませて家を出る。大宮ヒソミネさんで行われるイベント『ノストラダムスの大失言』へ向かった。こちらでも単純な道なのに駅から迷って、私は地図があれば知らない土地でも歩けると今まで思っていたのにどうしちゃったんだろうと自信喪失(苦笑)宮原は個人的に思い入れのある町だから過去の記憶に惑わされちゃったんだな、ということにする。

会場に着いて、代金を支払ったら後ろから私の肩を叩き、挨拶をしてくださる女性が…!『傘と包帯』で知り合ったそにっくなーすさん(ひのはらみめいさん)でした。インターネットを介して誰かに会うことは久しぶりだったから、そうだオフ会ってこんな感じだったと胸がそわそわした。笑。とても親切にしてくださって、コミュ障陰キャの私は救われました。ありがとうございます。

ビール片手に会場内へ。すでにライブは始まっており、私の知らない場所に私の知らない音楽があって、私の知らない情熱と私の知らないコミュニティーがあるのだと刺激を受ける。2年前かな?に初めてアングラ界隈に踏み込んだときもこのワクワクがあった。そうだ、私もともとこういう体験するのが好きだった、と知らない場所に何も知らず単身で乗り込む無謀的な楽しみを思い出した。アメリカ大陸の大地を踏んだコンキスタドールってこんな感じ? ※私は征服しない。時間の都合で全員のライブを鑑賞することはできなかったけれど、とても楽しい時間だった。そにっくなーすさんの朗読好きだな。笑いの好みが近いように思う。勝手にシンパシーを感じて聞かせて頂きました。証明写真も頂いた。超レア。宝物箱に入れた。たくさん元気をもらった。

日曜日。なんと、、、午前中に大学で試験が。馬鹿。Q.なんで試験の前にオールしたりライブに行ったりするの?A.遊びたかったから!試験対策は適当に教科書の試験範囲該当箇所を読んだり、レポートで扱った文学作品を読んだりするだけのお粗末な状態で試験時間を迎える。私は驚愕した!解答がすらすら書けたのであった!私は天才かもしれないと思った。いつも時間が足りなくて支離滅裂な汚い文章になってしまう試験が、今日は論理的で丁寧な文字で書くことができた。目標が「単位を落とさない」なので、全然良い記述できてないと思うけど、単位は確実だと思う。天才。

昼食を済ませて、恵比寿駅へ。日仏会館で行われるシンポジウムを聴講するためである。マチネポエティクの活動をした3人を中心としたイベントはかな~り内容が濃く時間も長く頭がクラクラした。へとへと。参加された先生方は偉大な方たちばかりでこれを500円で聴いてしまった私はなんて贅沢なんだと思った。自分の知識量が追いついてない部分は多々あったけれど、自分の知識の穴を見つけたとポジティブにとらえてこれから巻き返せばいいよね(?)東大仏文周辺の文学者たちに思いを馳せて帰宅。シンポジウムの熱に浮かされたままフランス象徴主義の詩を読んで胸を熱くする。苦しい。仏文系作家が追い求めた新たな定型押韻詩は挫折したし、現在も日本語の詩はどこへ行くのか私にはよく分からない。とてつもなく大きい闇が立ちはだかっていると感じている。知りたい、しかし私は何を究めるのだろうか。

詩って本当、わからない。まじでわからん、なんで私が詩を読もうとするのかも分からない。詩が好きかどうかもよくわからない。物語はかなり好きだという自覚がある。詩は物語か?…ただ、読みたいと思う。読んでて楽しい。読んでて気持ち良い。読んでて嬉しい。読んでて苦しい。読んでて苦しい。苦しい。苦しい詩の方がずっと気になる。何が苦しいのかわからない。理解できないことが悲しい。知りたい。誰か教えてほしい。

書いてたら、知りたいことがたくさんあるのにそれに気付いたのが遅過ぎて知りたいこと知らないままで死んじゃう予感がしてきた。生きねば。

 

引きこもりのくせによく動いた。ちょっと自分に自信がついた。

 

2017年9月27日

今日は体調が悪くて学校を休んだ。午前中はぐっすり眠って、午後は録画しておいた映画を観た。どれも女性のキャラクターが魅力的で、こんな素敵な人に出会えたら人生が華やかになるだろうと思った。我を忘れるほどの恋愛や、命を懸けて正義を貫く出来事がこれからの私の生きる道に残っているだろうか。熱情を失ったように感ずる今日この頃である。私はぶくぶく太り続けている。醜い腹周りを見て我ながら情けなくなる。体型や顔つきは身体の所有者の歴史を簡単に開示する。私を見た人はこう言うだろう、甘やかされて育った世間知らずのお子様ね、と。ここのところ、ブログ、詩、そして日記も書いていない。滅びに向かっていく。私がほろほろと解れて元の形状が分からなくなる。もう少し、自分の形を保っていたい。

私は馬鹿が嫌いだ。犬が自分の尻尾を追いかけるように同じところをぐるぐると回って、楽しい楽しいと偽りの満足で自分や周囲の人を慰めていつまでも目指すべき場所へ足を運ぼうとしない。そこが終着点だと言うのなら別に構わないけれど私は付き合えない。自分自身は馬鹿で屑で醜い無価値な人間であることを自覚しなければならない。苦痛を自分の純白の証明の道具として集めてはいけない。いつまでも満たされないのは、その自意識過剰のためである。

面白いこともあった。私が将来就職を希望している業種の現場を見学した。想像よりもチームプレイらしい。人間の仕事だから当たり前だが、人間との関わりがある。そして、何でもやる。でも私が目指そうと思ったことは正しい選択だったと感じた。職場によっても雰囲気や仕事内容は異なるのだろうけれど、方向性は間違ってないという確信を得た。若さに胡坐をかいて生きる上で求められる飢餓感を喪失している状態ではあるが、どうにかもっと自分を磨き上げていけたらいい。

早く働きたいという気持ちが今はあるから、おそらくその選択はしないだろうが、例えば、私が大学を卒業したら2年くらい語学留学してもいいんだなということに最近初めて気付いた。語学はずっとやりたいと思いながら何度も挫折しているものの一つで、長い(といいな)人生の中で必ず叶えようと考えているものの一つでもある。私がその気になりさえすれば何でも叶えられるし、何でもできる、ただ選択していないだけだということに気づけただけでも幸いなことだ。無知は、力が無い状態のことだ。

今更ながら、通学時間が長くてしんどい。今日も講義だけなら耐えられるだけの体力はあったはずだ。映画が3本も観られたんだもの。私は朝の通勤ラッシュに耐えられる自信が無かったのだ。だるくても15分なら、30分なら我慢しようと自分を鼓舞できる。でも、2時間も着席できず知らない人間たちに囲まれて都内に運ばれるのは……。帰り道なんて最悪だ。具合が悪くて早く家で横になりたいのにギュウギュウの電車に乗らなくてはならないなんて、考えただけでも不安で呼吸が浅くなる。電車が空くのを待とうと思っても無駄だ。17時以降は何時であってもすぐには座れない。私の家の方向だとね。体調がばっちりで元気なときは通学時間に読書が進むのだけど、体調万全の日は少なく意識を遠くに飛ばしてばかりだ。この時間を有意義に使えればいいのに。1週間で何時間無駄に電車に乗っているのだろうと考えると嫌になる。早く都内に住みたい。

母が足首を捻った。過去にも同じ箇所を負傷しているため、かなり痛そうだった。運の悪いことに母は今週末友人と旅行に行く。怪我した足じゃ何かと不便だろうに。昔から母は間が悪いというか、肝心な時にヘマをするように思われる。私がまだ親を「親」として見ていた頃はそういう母が恥ずかしくて嫌だった。今は不憫で堪らない。母は怪我した足を引きずるように歩く。医者には完治したと言われているのだが、痛むことがあると言っていた。そして今日また捻った。私は母の老後のことを案じた。いつか痛む足を憂いて歩くことが億劫に思う日が来るだろう。そうしたら、私は母の面倒を見るのだろうか。母が明日の午前中に接骨院に行きたいから、兄に車の運転を頼んでいた。母も普段から運転するのだが、怪我した足では少し不安で兄に頼みたかったようだ。兄は面倒臭そうに、用事があるからなあと言った。分かった、自分で行くよと母が不服そうに言った。私も一応運転免許は持っているが、すっかりペーパードライバーである。この田舎で生活するためには車が無くては何もできない。私は必ず都内に住むと決めているので、運転する気が無い。でも、親が車を運転しなくなったとき、そして親が病院に行くとき、私はどうするのだろう。タクシーを呼べばいいのだろうか。

ああ、この話を書いていろいろ考えたことを思い出した。私は嫌だったのだ。私は私の人生を生きたい。誰かの為の人生なんて、申し訳ないけどできない。私は介護をしたくなかった。私は自分の人生を犠牲にして誰かを気持ち良くしようなんて思えなかった。傷ついた誰かに大丈夫だよと声をかけることはできるけど、傷が癒えるまでの時間を傍でずっと面倒見れるだけの度量は無かった。それをすると私が望む形に相手の意思を動かせないと私に不満が生じるし、結局向いてなかったのだと思う。誰かを助けるのはあまりにも難しい。素人が簡単に手出しすべきことではない。そして、簡単に素人へ助けを求めるものでもない。適切な医療機関、または法的処置を行うべきだ。私には問題解決の責任や共に答えを探す義務は無い。そのために私の時間を割けない。私にはやりたいことがたくさんあるから!だから、貴方の問題は貴方の方で解決して頂くほかない。無力感と共に、当たり前だ、何も間違っていないとも思う。自分の問題を誰かに解いてもらおうと思うならそれは怠惰だ。甘やかされて、慰められて、いつまでも赤ちゃんのように泣き喚いて面倒見てもらえばいい。

 

 

2017年9月24日

頭がぼんやりする。恐ろしく何に対しても集中力が保てず。普段ならツイッターだけは延々に見ていられるのにそれも叶わず。無と向き合うこともできず。歩いたり本を撫でたり毛糸を転がしたり寝たり買い物をしたり連絡をしたり動画を観たり、細切れにやる一日だった。し、もう文章書くのが面倒くさくなった。

2017年9月4日

こんばんは!だんごちゃんだよ。今日のブログはツイートしようか悩んだけど、ツイートするほどでもない、でも忘れたくない日常を書きとめるよ。

 

 

新しいことに挑戦する約束。貴女も、私もね!

 

 

今朝、最寄駅で見かけたサラリーマンが素晴らしかった。白髪混じりの丸い髪型、スーツ、ひょろ長い、肩幅と腰の細さが黄金比、引き締まってプリッとしているお尻、身体を支えるのにバランスの良い脚、後ろ姿が完璧だった。もし私が商業BL漫画によく出てくる若くて元気な男子高校生だったらナンパしていたであろう。「あ、すいません。俺電車詳しくなくて。おじさん教えてくれませんか?どこそこ行くんスけど」「あああ 待っておじさん、おじさんはどこ行くんですか?えっと、仕事ですか?お盆はどこ行きました?」「いやいや、怪しい者じゃないです!んー、驚かないでくださいね、実は、おじさんに一目ぼれしてしまいました!お友達からはじめてほしいです!!」

 

 

前髪が伸びて鬱陶しいから真ん中で分けてピンで止めてる。これはこれでアメリカのナードな女の子みたいで可愛いのだけど、私はジャパニーズ・オタクだから早くぱっつんにしたい。

 

 

今日はコンビニで売っているちらし寿司のおにぎりをお昼に食べた。食べ終わったら、口の中が酸っぱくなった。嘔吐した後の胃酸が口に残ってるあの感覚。おにぎりのビニールを開けた時に匂ってくる酸味を嗅いだ事があるなあと思ったら、そういうことだった。私は吐瀉物食べたらしい。同じこと。

 

 

9月の最初の月曜日。事務所のお姉さんは、この間まで爽やかなお洋服を着ていたのに、今日は一気に渋い色の半袖ニットを着用されていた。街の色彩もトーンダウン。カーキ、マスタードイエロー、ブラック、ブラウン。それで私は季節は作られたものなのかもと思ったの。みんな「秋」というドレスコードを共有してるんだね。楽しそうでい何より。ただ、大学の図書館がもう冷房を使っていなくて驚いた!秋だからってそりゃないぜ。ムシムシして嫌な空気漂ってたよ。電気代が云々とか言うけれど、もう少し融通効かせてほしい。

 

 

千代田区は喫煙できる場所が限定されている。そのお陰で、小さな喫煙スペースに色んな人が集まってくる。私がちょうど通り掛った公園の一部も喫煙が許された場所だった。仕事中のサラリーマンの群れがひしめき合う。土木作業員のおじさんが公園の床に座り込んで誰かに手で指示を送る。ホームレスらしきおじさんがベンチで横になる。虚空を見つめる紫のウィンブレを着た男性。ハグレサラリーマンが公園の遊具に腰かけてノートパソコンを開いている。パンチパーマのおばあちゃんもやってきた。なんと素晴らしい空間なんだ。私は感動した。是非とも日本百景に入れてほしい。この世の楽園はここにある。

 

 

大学生?のカップル。眼鏡をかけたチェックのシャツを着た彼氏はしっかり彼女の手を繋いでた。彼女は古着のような色合いのピンクのロングスカートを穿いていた。お洒落してきてるのだろうけど、ほら、彼女さんよく見て!スカートの裾に、墨汁を垂らしたような黒い染みがあるわ!!

 

 

図書館に行くまでの廊下にて、80年代を彷彿とさせるだぼっとしたシルエットのファッションに身を包み、うなじを刈り上げてトップにボリュームがある髪型の男子学生とすれ違う。かっこよかった!

 

 

久しぶりに満員電車で帰宅。やれやれ、あんなの毎日乗ってたら頭がおかしくなるよ。みんなよく平気だね。背が低いために男性の脇の下が目の前に来る。無臭だったから助かった。彼の手には指輪無し。右手の爪は伸びっぱなし。バッグが開きっぱなしで英単語帳や可愛らしい巾着袋がこんにちは。

 

 

おしまい!