情死

Would you cry if I died Would you remember my face?

2017年4月22日 その2

 最近は戦後の日本文学のについて調べたりすることが多いの。やっぱり戦争は当時に生きる人々の何もかも崩壊して奪い去ったから、文学にも強く影響が見えるのね。それと同じことが、詩誌にも言えるなと湯船に浸かりながら思ったんです。

 私は平成に生まれて、おもちゃ代わりにパソコンでサンリオタイニーパークというゲームをよくやっていました。ポムポムプリンとか、結構難しかったんですよ。PCがとても身近なものとして存在していました。それから小学校上がって私はインターネットを覚えました。子供向けの掲示板に書き込んで、ロムってろと罵倒されましたよ。掲示板に慣れてきた私は、鬱屈していたのでしょう、無意味に卑猥な言葉を書き連ねて、二度と書き込めなくなったりしたわけです。(どんな小学生時代だ)そのあとかな?フラッシュゲームが全盛期で、誤ってアダルトサイトをクリックして架空請求食らって心臓が飛び出るくらい驚いたりね。

 …えーっと何が言いたいかって、インターネットで知らない人とコミュニケーションを取るのが当たり前の時代に我々は生きているのだなあとしみじみ感じたのです。だって、顔も知らない人と詩を書いてサイトにまとめて世界に公開するって、かなり凄いことじゃないですか?一昔前だったら、こう簡単に自分の作品を多くの人に見てもらうことなんてできません。SNSで不特定多数に簡単に宣伝できる、知ってもらえるということは改めて偉大なことだなあと思いました。そして、おそらくだけど、私は参加した皆さまと交流がほぼ無いのでおそらくなんだけど、私以外の皆さんもインターネットがかなり身近にある環境で育ってきたと思うんです。中学生頃にはブログでも作って詩や小説を書いてたと思うのです。私は「傘と包帯」を読んで「嗚呼、同じ時代に生きてる人なのだなあ」という感覚を覚えたのですよね。複数人の作品をまとめることのメリットですねきっと。ひとつ読むだけでも綺麗で愉しい。ふたつ読むとさらに違う側面が浮かび上がってくる。さらにいっぱい読むと交差して色濃くなっている核が見えてくる。面白いな~。

 

 最近のだんごちゃんの気付きを書いておくね。私、たぶんグループに所属するということが苦手なんだね。今更気付いたんだね。だから新たな出会いがあったとしてもここに所属しようとか、ここを自分の居場所にしようとかあまり気取らずに生きることにするよ。所属したい!という意識が先行して、グループの空気に馴染むための不自然な努力をしちゃうのがいけないのよね。まず、「私」という人間があってこそなのにね。その場に馴染もうとせずに、私が私としてその場に立っていようと思う。

 あとね、空気が読めない場所っていうのがあるの。または、空気は読めるが、正しい行動ができないっていうときもあるの。そういう場は単純に私の身体に水があってない状態にあるだけだからさっさと退散するに限るね。今までの私は、空気が読めない自分は駄目なのだと思ってへこんでいたけれど、むしろ逆だね。お前らが私に合う空気を醸し出さないのが悪いんだね。お前らを変えるよりも自分が去った方が早いので、さっさと去る!それに限る!!

 ここから先は憶測に過ぎないのだけど、もしかして私が思う以上に、みんなグループに所属していないのかもしれない。グループで行動しているように見えるみんなも実はグループに所属している感覚は希薄なのかもしれない。夫婦として人生の共同運営者を見つけた人でももしかしたらパートナーの腕の中は帰る場所ではないのかもしれない。私だけが孤独なんだ、私はどこにも所属できない人間なんだと思い込んでいた。だけど人間は誰一人として所属しているところなんて無いのかもしれない。みんなあくまでそのとき暫定1位の居心地の良い仮寓を見つけて笑っているだけかもしれない。それでも恐れを抱かずに過ごしているのは、彼らは強いからなのかもしれないし、視野が狭いのかもしれない、狭めているのかもしれない。どんな理由であれ、強さであると思う。今までの私はずっと恐れていた。所属する場所がないこと、居場所がないこと、私の居場所がどこにも見当たらないこと。不安と孤独と恐怖と…。涙が止まらない夜もあったけれど、私はもう大丈夫になったよ。砂のお城にも住める。一夜にして散ったとしても私はここに居ると言える。

そうよね、だんごちゃん?

 

 

 

だんごちゃん「うん!」

 

だんごちゃん「だんごちゃん、だんごちゃんのこと大好き!」

 

 

 

 

ありがとう!

 

 

 

 

 

2017年4月22日

だんごむしのだんごちゃんです。ポップコーン食べて上機嫌だよ。

 

 

 

今日はお知らせがあります。

 

↓Web詩誌『傘と包帯』に参加させて頂きました!↓

https://kasatohoutai.tumblr.com/201704

 

 

私の拙い詩が掲載されてあります。とても素晴らしいメンバーの中に私の名まえが並んでいることに気恥ずかしさもありますが、宜しければご一読お願いします。

 

詩誌について。

主催である早乙女まぶたさんを含め、ご参加されている皆さまの詩、とてもきらきらしていて読んでいて胸がときめきました。それぞれの詩に個性が光ります。それでも不思議なもので詩誌全体に似ているもの・共通するものも感じます。日常を柔らかく愛でるような無意識なる視線を感じます。繊細だけど強さがある。(せんさいってタイプしたら、1,000歳と変換される私のPCどうなってるの?)

 

このような素敵な企画に参加させて頂けて、だんごちゃんソーハッピー!一方で、私の素人感が凄いね!わはは~!以前の私ならば、劣等感や嫉妬心で消えてしまいたい気持ちに苛まれたでしょうが、最近の私は元気なので大丈夫そうです。というか、嬉しさと感謝の気持ちでネガティブな感情が打ち消されています。なんせ悲しい気持ちから発芽した「だんごむしのだんごちゃん」です。悲しいことや自分を傷つけることばかりで、だんごちゃんは自分にとって有害物だとさえ感じていました。それでも、こうやって詩誌に参加させて頂けたことは誇らしいですね!だんごちゃんの誕生は無意味じゃなかった!感謝の気持ちでいっぱい。

 

 

 

 

 

ねえねえ。ところで、だんごちゃんって誰なの?

 

 

 

 

2017年3月27日

だんごちゃんと〈私〉を統合したいのだけど、どうしたらいいんだろうか。

分ける必要性があるかないかで言ったら、安全を考えて分けた方がよい。

でも、裏の顔であることには変わりない。まず第一歩として、アイコンを変えてみました。

 

言葉足らずで何言ってるか分からなくてごめんね。

 

統合する必要無いか。でも、なんだったら〈私〉とだんごちゃんだったら、だんごちゃんの方が核な気がする。〈私〉はあくまで、私から一部を切り取った〈私〉だし、付属品でもあるし、私一人で完結しない存在だし。だんごちゃんももちろん私の一部を切り取ったものではあるものの私一人で完結できる存在なので、だんごちゃんは一人で歩いて行けるよ!って、本当に〈私〉が何を指しているか分からないとさっぱり分からないというへんてこりんのブログなのでした。

 

 

2017年3月22日

最近買ったハーブティーを飲みながら、ブログを書いてます。偶然見かけたenherbのブレンドハーブティー。「ストレスでキリキリしちゃう時に」という名前です。面白いですよね。すっきりとした味で、リフレッシュしたいときに良いです。緊張した心身を解す私のお守りになりそうだ。

 

自分を大切にするということを意識的にやっています。ハーブティーを購入したこともそのひとつです。自分へのプレゼント。心が温かくなりました。朝は必ず同じ時間に起きるようにすることや、暴飲暴食を抑えることなど。自律神経を整える工夫をしています。それでも私の心はざわめくのです。こういう体質なのだなと開き直って、うまく付き合っていきたいです。運動不足になりやすいので、気をつけたい。自分を大切にするという感覚を得てから楽になった気がします。今までの私はどれだけ自分を蔑ろに扱ってきたかも見えてきました。自分が今何を感じているのか、それはなんでなのか、私は私に問いかけます。そして私は丁寧にその問いに答えます。その繰り返しで、自分の人生を悔いなく過ごす方法を見つけられるのかなと思います。

 

運転免許を取得してから、随分運転していませんでした。しかし、4月から諸事情により車の運転が必須になってしまい、慌てて車の運転の練習をする日々です。駐車が下手くそです。車輪の向きと、車体の動きが脳内で上手く噛みあってないのだと思います。空間を掴む能力が劣っているのだろうな。がんばります。

 

昨日、「マツコの知らない世界」という番組でピアニストの方が出演されていました。マツコさんがどれくらい練習すれば私もピアノで革命とか弾けるようになるの?というようなことを尋ねました。ピアニストの方の答えは「毎日2時間、5~10年で弾けるようになります」でした。この答えは人によっては、毎日2時間とか無理ゲーと言うかもしれません。実際、仕事が多忙極める人には毎日2時間はとてもじゃないけど捻出できない時間なのだろうと思います。しかし、私にはこの答えは勇気を与えるものでした。だって、出来ないことが出来るようになるんですよ!宇宙飛行士とかサッカー選手、そしてピアニストにはもう慣れないけれど、確実に練習を積めば、上手くピアノが弾けるんですって!そう思うとわくわくしませんか?ピアノ弾けたからなんだっていうんだ、何の役にも立たないじゃないか、ともまあ、思いますが、自分ができることが一つでも増えることは自信に繋がると思いますし、いつ始めても下手くそでもそれなりに上達することができると思うと自分の秘められし可能性にドキドキします。それに、これはピアノじゃなくてもいいのだと思います。毎日2時間を5~10年つづけたら、たいていのものは上手くなるのだろうと思います。英語だったり、ゴルフだったり!続けることの大切さを改めて知ったのでした◎

 

嗚呼、しかし毎日ではないにせよ、ブログを何年も書いているのに文章は上達していませんね。それは当たり前ですね。私自身がブログに何の制約やハードル、目標を設けていないからです。読者を増やそうとか、面白いと思わせる文章にしようとか、何も考えていません。改行が少ないのは何よりの証ですね。うーん、ごめんなさい!自分の為に書いてます。自分で過去のブログ見返すのが面白くて。たまに全部消したくなるときがあるけど。消したらそっとしておいてください。

 

子どもの時期を描いた小説を読む楽しみを覚えました。世界が物語に包まれていた時期、意識が目覚めていなかった時期、知らないことの方が多い時期。今でも知らないものの方が多いのだけど、知ってしまったことによって私は推測するという方法を見つけてしまったのでした。だから、知らないことでも現実に即して答えを見つけてしまう。または、〈知らない・理解できないもの〉を目の前にしたときに〈それ〉を意識しないという選択を取ってしまいます。宇宙のはじっこの存在とかね。それはとても惜しいことなのだと思います。知らないことを知らないものとして荒唐無稽な空想が楽しめたあの時期に憧れを抱いています。

関連して、このツイートにすごく心動かされたので紹介しておきますね。

togetter.com

2017年3月16日

今晩は。飼い猫にいたずらしたら、がっつり噛まれました。本日の当たり前ハイライトです。

 

朝早く起きたいと思ってはいるものの、なぜか日々起床時間が遅くなる。風邪引いたから、生理中だから、身体が休みたいと訴えているのだとあまり気にしていなかったのですが、さすがに言いわけも見当たらなくなってきました。さらに問題となるのが、夜眠れない。これは昼夜逆転まで秒読みと言った具合であります。昼夜逆転はなんとしても避けたい。そのために今晩は眠るための工夫をしたいと思います。まず、ようつべに上がっている本当かうそか分からないけれど疲れが取れる音楽とやらをBGMにしました。次にスマホをいじらず、本を読もうと思います。贅沢な時間ですね。キャンドルを灯せば完璧なのですが、火事が怖いのでやめておきます。あと、筋トレして疲れさせるという方法もありますね。みなさんはどのようにして自らを眠りに誘いますか?

 

って、この動画、曲と曲の間?にコマーシャルが入りますね。穏やかな音楽が流れていたのにコマーシャルで台無しです。これで眠れるのだろうか?怪しい。

 

最近は本を読み漁っています。特に日本文学、近代以降の主要な小説たちを手に取っています。同時に評論にも手を出そうと考えているところです。知の巨匠たちの言葉は晦渋ではありますが、新たな視点を私に与えます。久しぶりに目の前が開けるような読書体験をして愉しい限りであります。これらは勉学の為の読書になりがちです。娯楽としては外国文学を読みたいと思っているのですが、なかなか手が出ず。積読もかなり有り。そんな中でも岩波文庫から『重力と恩寵』が出たので、買うか買わぬか悩み中。ちくま版持ってるからな、悩むなあ。

 

ドラマ『カルテット』が来週最終回ということで、もう今からさみしい気持ちです。こんなさみしい気持ちになるなんて、思ってもいなかったです。すずめちゃん家森さん別府くんそして、真紀さん。4人の食事シーンが大好きです。ずっと4人でわちゃわちゃやっている姿を見ていたい。素敵なドラマに出会えて私は嬉しいです。感想を書き始めると寝る時間がどんどん遅くなるので、控えめに。

 

幸せになろうね。

 

2017年3月6日

 

 

ブログを更新するかなと思いながらも特に書きたいことも無く今日まで過ごしておりました。お久しぶりです、だんごです。

 

一週間弱、体調を崩しておりました。

 

だめだ 文章が書けない 思うことから離れていく

 

私に足りないのは想像であった。

私に足りないのは創造であった。

私に足りないのは孤独であった。

私に足りないのは虚無であった。

私に足りないのは野望であった。

私に足りないのは私であった。

それは、私だった。私が足りていなかった。

私で私を満たすことの尊さを、幾度と理解しながらも見失う。

 

2017年2月11日

こんにちは。土曜日ですね。

 

来年度の単位取得計画を練っていました。前々から計画してあるので、確認程度のつもりでしたが、計算してみたら卒業単位に足りていない…。慌てて資料を開いて計算し直しました。うん、数え忘れがあっただけでした。一安心。

私の努力次第では、来年度の間に卒論以外の単位は取得できることになっています。努力次第、と書いたのは、通信制だからです。私が一生懸命レポートを書いて提出しさえすれば、ということですね。具体的な勉強計画までは立てていないので、これから計画していきたいと思います。何月までに何本レポートを提出できるのか。そして、テストは合格するのか。ハラハラドキドキですね汗。

相変わらずバイトしてないので、勉強する時間は人一倍あるのです。頑張ります。できれば、前期のうちにできるだけレポートを出してしまいたいと思っているのです。というのも、後期は新しいことにチャレンジすることを決意したからです。将来の職業にも関わる選択で、通信制だからこそ経験できることでもあります。

そして再来年度には卒論と、資格の勉強と、バイトに集中できるとといいなあと考えているのです。バイト、したい。それはお金が欲しいということももちろんですが、経験が欲しいからです。経験がなければ、と思うのです。